香月泰男 | ミニチュア制作 La Petite Fleuriste

香月泰男

今日は、水泳、卓球、そしてレスリングで大盛り上がりでした。

昨日は、柔道でしたね!

柔道は少し齧っただけですが、自分のことのように

ドキドキしたり熱くなっていました・・・(・_・;)



柔道は、力学、美学の武道。

昔の柔道は、有効も効果もなく、一本、技あり、技あり二本合わせて一本、

押え込み30秒(昔は25秒経たないと技ありにはならず、24秒では有効にも効果にもならない)、

旗判定。。。

あと、関節攻めや襟で閉める技ですね(石井選手の一本の技は審判に気づかれませんでした)。

様式美、潔さが日本国技にはあって相撲でも剣道でも柔道でもそうなのです。

礼儀は最重要視されるほどですね。


欧州が主導権を握って、一本、技あり、旗判定が、ポイント制に移行し、
日本人が勝ちにくいルールになってしまいました。
レスリングの要素を取り入れすぎですね。
日本人を見て、勝ちにくいようにルールを変更しています。
今の柔道は、海外選手にとって有利な審判との駆け引きのポイント稼ぎで、

礼儀や様式美などは無視されているように思えます。
潔く美しい柔道ではなく、世間も言うようにJUDOになってしまいました…。

それにしても日本人女性の花火師、天野さんの審判は立派でしたね。

そういえば、この前は子供電話相談室に先生として質問を受けていました。


オリンピックのことをどうしても長々書きたくなりますが、
今日は美術のことについて。
報道写真を見ていて思い出した日本の画家、

香月泰男です。



香月泰男といえば、シベリア・シリーズ、黒のマチエールです。


シベリア抑留のイメージが私の中では強いです。

シベリア抑留というと森本仁平も挙がりますが、
日本洋画史における一連の作品の中で、

香月泰男ほど世に知れ渡ったシリーズはなかなかないと思います。



香月泰男は、
画家として認知されて喜びを噛み締め始めた矢先、

1943年に召集されて、満州(ハイラル)に駐屯され、

敗戦でシベリア収容所へ送られた後、寒波の中での飢餓、強制労働に

苦しめられます。

人を殺すための戦場へ送られ、過ごした数年の歳月が画家の人生を変えたのです。


軍の生活とシベリア抑留の生活で体験した記憶は、

「シベリアを描きながら、もう一度シベリアを体験している」というように

鮮明にこの57点の連作の中に物語のように収められ、

私たちに戦争の悲惨さについて訴えています。


シベリア・シリーズは、黒のマチエールが独特です。

黒は黒でも、テカテカしていない木炭を摩り下ろしたような黒だということを

間近で見ると実感できます。

香月泰男の記憶の中で鮮明に甦るシベリアは、

木炭や方解末を混ぜた油絵の具を塗り重ねていく手法で印象付けられます。


写真だと版画のように見えますが、検索して見つかった一枚を載せます。




ゾッとしませんか・・・。

想像力を掻き立てられませんか。


シベリア抑留中、亡くなったばかりの兵士の顔をはがきに描いたものがありました。

一連の57点には加えられることはなかった作品です。

そのはがきは、敵に見つかると大変だということで、ある人物に託したそうです。

残念ながら、命懸けで描かれたそのはがきは現存していません。


私の父が九州で、たまたまある医者と話し、その医者がシベリアの

話をしたそうです。

その医者がはがきを託された人物だったのです。

父と話したことで、彼が売れている有名な画家になったことを知ったそうです。

少し聞いただけなので、この話の詳細は知りませんが、

その医者は、「ああ、本当に申し訳ないことをした。」

と言っていたそうです。

そのはがきが加わっていたら、また一味違ったシベリア・シリーズになっていた

かもしれません。


昨日は終戦記念日なので、記事にミミちゃんを書きましたが、

こちらにしようか迷いました。


おまけになりますが、、、、

香月泰男は、海外旅行の絵も描いています。

月を描いた作品も印象的です。


拾ってきた画像なので、サイズがバラバラです。












他に載せたい作品がありましたが、見つからなかったので、以上となります。