Let's Enjoy 千葉! 3
今日は母が作った人形をアップしようと思いましたが、
未完成だからと許可が下りませんでした。
もう少ししたらこちらに載せられそうです。
また続きです。
前回、検見川にある東京大学農学部附属植物実験所について更新しましたが、
そこを訪れたいと思った一つに、大賀蓮が有名だということがあります。
実験所の近くの東京大学総合運動場で大賀蓮が発掘されたのです。
今日は大賀蓮について。
大賀蓮の誕生については、記念石碑や本により大分違いがあり、惑わされました。
正しい内容が分かったので記載していきます。
大賀博士は、武蔵野郷土館の丸木船と蓮の花托を思い出し、
スコップ一本と府中市市民有志からの寄付金を携え
(後述させていただきますが、府中で蓮の研究をしています)、
検見川にお住まいの市民をはじめ、多くの千葉県民の支援協力を得、
発掘作業が行われたのは昭和26年のことです。
費用が底をつき、明日で打ち切りという前日の午後5時、
女子中学生が泥の中から約2000年前とされる1粒の蓮の実を
発見したのです。
「あった、あった、みつかった、これだ、たしかにあったぞぉ。
ああ、検見川の地よ、汝の名はこの蓮の実の発見によって
永遠に世界に残る」と嬉し泣きをしながら女子生徒と喜んだそうです。
その一週間後2粒が発見され、
それらは地下5~6mもの底にあったと記録されています。
発芽実験を始めたものの、
後になって発見された実は、一つは葉が出たそうですが、
結局両方枯死してしまっています。
中学生のお手柄ですね
文献により、苗字が西野さんだったり高野さんだったりします。
恐らく西野さんだと思います。
西野真理子さんです。
翌年に育った蓮根を3つに分根し、東京大学総合運動場、伊原宅、千葉公園
に植えます。
そして、一年後僅かに開花したのが7月18日で、
次の日19日はその全容を現したそうです。
東京大学農学部附属植物実験所の観蓮会19日はそれに因んでなのでしょうか。
2000年という永い眠りからピンク色の美しい花を咲かせた大賀蓮は、
世界中の話題となりました。
昭和27年に「毎日クラブ」「LIFE」で世界に発信され、
「LIFE」の写真は現存するカラー写真では唯一のものだそうです。
大賀蓮は千葉県の天然記念物に指定されています。
こちら分根された千葉公園です。
朝日新聞にも開花情報などが先々週掲載されていたようです。
遊歩道が設置され、間近で観察できます。
訪れたのは昼過ぎだったので、開花している蓮は少なかったです。
写真はあまり撮りませんでした。
千葉公園はモノレールを使って訪れました。
久々のモノレールに嬉しくなってしまいました。
大賀博士について少し書いておきます
大賀博士(大賀一郎)は、花蓮、蓮根、曼荼羅などを研究した方です。
「蓮は平和の象徴なり」と謳い、百個の蓮の実を中国へ託し、交流を深めました。
孫文やネール首相寄託の蓮も所有していたそうです。
中国大連に近い普蘭店出土の蓮の実もアメリカで発芽に成功しています。
前回更新時に記載させていただいた妙蓮も甦らせていますね。
博士は、古代の蓮を甦らせることに夢を抱き、探し求めます。
前述させていただいたように、武蔵野郷土館の丸木船と蓮の花托を思い出し、
千葉県検見川での発掘を試み、今でいう大賀蓮の実を見付け
発がどころか花を咲かせ、世界に広めたのです。
一粒の実から、日本どころか世界に広めたのです。
皇太子ご夫妻の渡米の際に北米より携えられたアメリカ黄蓮と
大賀蓮、中国の慮山白を原爆地広島に送ってもいるそうです。
博士は「日本から世界各地に伝わって、ことに世界の平和の
来たらんことを念願するものである」とも仰っていたようです。
今では、国内各地はもとより、中国やアメリカ、ドイツ、ブラジルなどへ分根され、
友好の一翼を担っていますね。
大賀博士は府中市に転居され、研究をしていたそうです。
修景池のことも書きたいと思っています・・・。
ここを訪れる前に行ってきてしまいました。
第一回観蓮会も妙蓮が咲いた年に府中で行われたそうです。
以下、おまけです。
千葉公園では他にアガパンサスなども見ることができました。
次回は蓮から少し離れます。