古代蓮の里~大好き行田市~6
3:30
雨降り頻る中、私は傘を差し、自転車で目的地へと向かいました
人工的なライトが多い東京とは違い、外は真っ暗です。
電灯が、ぽつ ぽつ と遠くで弱い光を放ち、
暗闇に光が浮いているようでした。
見通しの悪い中、その弱い光を目指して自転車をこぎ続けます。
まるで電灯が自分の位置を定義する表象でもあるかのように・・・。
自分が蛾になったような気分にもなり、
夜にコンビニがあると入ってしまう人の心情も理解できました。
混沌の中、
方向音痴の私は一度も通ったことのない道を一定の速いスピードで走ります。
これから先は長いのです。
暗澹たる一抹の不安がもやもやと沸き起こり、
それに心を占領されまいとするかのようにこぎ続けます…。
視力の弱い私には電灯が殆どない道では足元が殆ど見えなかったので、
スピードを出しつつも細心の注意を払いました。
人も車も通りません。
まるで、この土地には私しか存在していないような不思議な気持ちになりました。
夜中に見る古墳や神社は非常に恐ろしいものがありました。
見られている感じが纏わりつきます。
そこではあまりにも自分が目立ちます。
魑魅魍魎としたものたちの中に存在する一介の自分、空間を意識しつつ、
気を取られたくなく、夢中で自転車をこぎました。
こいで30分は経ち、
遠くに明かりがいくつも見えてきます。
車も数台通り過ぎました。
自分が迷わず辿り着けること、
そろそろ着くことが分かり、立ち止まって写真を撮りました。
ライトで写真が滲みました。
写ってはいけないような気味の悪いものを捉えた写真も撮れました。
念のため除外しておきます。
そして、到着。
どんなに安心したことでしょう。
恐らく、4:10前後。
雨音さえも静寂の一部として私を包み込んでいました。
写真を撮るには暗すぎるので、明るくして撮影してみました。
ところどころ設置された電灯の光は、何故か私の視界の中に残像をも残さず、
ただただ蓮の残像が、私の視界や脳裏に焼き付きました。
夢現。
その場所には私しか居ず、夢か現実か分からなくなるような空間が
夜明け前の静寂と蓮によって作り出され、
その過ごした幻想的な時間は何日も経った今でも私の中に深く居座り、
薄れはすれどこれからも決して忘れないことでしょう。
よく分からない撮影モードに設定してしまったようで、
「どうしよう、ダブって写って普通に撮れない」と思っていましたが、
これはこれで、幻想的な雰囲気で良いのかもしれません。
私のブログのレイアウト上の関係で縮小して載せているのが少し残念です。
次回から、再び自然な状態で写真を撮っていきます。
空は段々白んでいきます。