プリン
私は、波長が似ている人間との付き合いが一番好きで、
周りにはそういう人間が多いのですが、
波長や行動、思考が似過ぎていて、
肝心なときにお互いの欠けている部分を補えなかったりすることも
ありうるというのも事実で、
それも思いやりや愛でカバーしているのではないかと
ボーっと考えているときに、
プリンが私を凝視していることに気づきました。
相性など関係なく、私という人間を丸ごと受け入れ、愛してくれるプリン。
ペットとして飼っている犬や猫の飼い主に対する愛は、
”相手のここがこうだとか、こうだから合わないだとかそういう薄っぺらい
条件付きのような愛ではないのですね。
飼い主の心が変わってもペットはずっと好きで居てくれます。
飼っていた犬を保健所へ連れていく飼い主の写真を思い出しました。
捨てられたことが分かったのに、迎えに戻ってきてくれるのを信じて待っているのです。
酷い仕打ちを受けても飼い主を愛してるのです。これを考えると(考えなくても)、昨日の記事はなんて稚拙で一面的な馬鹿げた記事でしょう。
それなのに沢山コメントいただいて驚きました。
ありがとうございます。
有り得ませんが、もし、ペットが
“飼い主のこういう点が嫌いだ”、“相性悪い”
などと飼い主を慕わなかったら、飼う人があまりいなくなるのではないでしょうか。
ペットには選択の余地がなく、飼い主がどんな悪人でも、
ペットの飼い主への愛は絶対的。
時として家族愛よりも絶対的な愛があるのではと思います。
プリンに関しては、
私や家族、私の友達という何度か会ったことがある存在しか知らないのではなくて、
一度も会ったことはないけれど通じる人(私の知り合い)へ生霊になって会いに行き、
訴えたりもするので、私が思うよりも多くのことを知っていると思います。
たまにそれが分かって怖くなるくらいです。
私が悲しいとき、体調が悪いときは、それを文字通り吸収してくれます。
それはプリンが霊的感受性が極度に強いという理由もあると思いますが、心から私のことを愛して常に気に掛けてくれているからでしょう。
私の知らないところでも見守ってくれているプリンは、
毎日毎日私の愛を確かめるために、色々な行動をとります。
愛情が足りていないのでしょうか・・・。
「ロビンへ心変わりするのではないか」とか、不確かな面があるのでしょうか。多分、私のプリンへの愛より、プリンの私への愛の方が大きいのだと思います。
プリンにも毎日愛をもらっています。
こうしてブログを書いている今もプリンが私を見守っています。
明日は、旧古河庭園のバラと洋館の写真をアップしようと思います。