トモダチ
「あなたなら~と思っていたのに」
「やっぱり自分を分かってくれる人はいない」
「あなたに分かって欲しい」という本心より先行して
相手に責任を転嫁し、愛されることを放棄するのは
勿体ないなぁとよく思います。
自分の思い通りにいかないと自分が相手に拒絶されてしまったと思われていたり。
本人がそういった意見や想いを主張するのと同じように、
相手にも意見や想いを主張する権利があるわけで・・・。
その「あなたなら~」「やっぱり~」といった発言の裏にある心の痛みは、
時間が癒して消えてくれるものでも、
はたまたどこかへ隅に追いやって忘れ去られるものでもないようです。
自分自身を受け入れ、答えを見出そうと心から欲すれば
自然と解消でき、自分を癒していて、幸せな気分にすらなると思うのです。
起きた不運が自分のせいではなくても、
不運を嘆いて、自分の心を閉ざせばそれは自分の責任です。
ここまでは、見かけた文章を見てちょっと思ってしまったことです。
自分のくだらない考えを書いていますが、意見を主張するのは好きではないです。
私は気を付けていることがあります。
例え、ある真理を知っていても、
自分で良い考えだと判断することがあったとしても、
それを誰かに押しつけることは絶対にしたくないのです。
個人には段階段階に応じた真理があって、
ある真理を知っていても、それはその人にとって最適な真理ではないことが
多いように思います。
私が判断することよりも良い判断が幾千と存在していて、
ある段階に進むと過去にその判断を無視していたことに気づき、
勿体ないと思うことがよくあります。
それはその選択をして知った結果を見て思うこともありますが、
それを除外して気が付いたものです。
ただ言えるのは、そのときの自分には最善な判断だったのでしょう。
私は、「悩みなんてなさそうだよね」なんて言われることがあります(笑)。
周りにそういう人いませんか?
どんなに幸せそうに見える人でも、それぞれに悲しみを抱えて生きてい
ると思うのです。
育った環境も何もかも違うのだから相手の気持ちは半分も理解できないと思います。
自分が経験した中で、「ああ、この人が抱えている痛みはこんな痛みなのかもしれない」
と想像し、相手を想いやることができるのも、
何か辛い経験をしたからで、その辛い経験は知らないところで
活きていると感じます。
「自分の気持ちは、他人は分ってくれなくて当たり前」
というような考えが潜在的にあって日々過ごしています。
そんな中、A friend in need is a friend indeedではないですが、
私が困っているとき、深夜でも何時でも自分のことより優先して駆け付け
助けてくれる友達、後日遠方から時間を作ってきてくれる友達、
私を喜ばせようと気を遣ってくれる友達、
気にいるような素敵な写真をくれる友達が少なからずいることを
私は本当に幸せだと感じ、心から感謝します。
そして、「○○が居てくれてよかった」その何気ないたった一言で、
相手も幸せな気持ちになるようです。
flyleaf "There For You"
ちょっとクサかったですね。
余談ですが、flyleafの中では、
"All Around Me"
http://jp.youtube.com/watch?v=_-sNIWi2fLs&feature=related
"Fully Alive"
http://jp.youtube.com/watch?v=jWVX9Yi4M5E&feature=related
が好きです。
初めて聴いた"I'm So Sick" には驚きました。。。
http://jp.youtube.com/watch?v=o5zL3dqdxUg&feature=related
「やっぱり自分を分かってくれる人はいない」
「あなたに分かって欲しい」という本心より先行して
相手に責任を転嫁し、愛されることを放棄するのは
勿体ないなぁとよく思います。
自分の思い通りにいかないと自分が相手に拒絶されてしまったと思われていたり。
本人がそういった意見や想いを主張するのと同じように、
相手にも意見や想いを主張する権利があるわけで・・・。
その「あなたなら~」「やっぱり~」といった発言の裏にある心の痛みは、
時間が癒して消えてくれるものでも、
はたまたどこかへ隅に追いやって忘れ去られるものでもないようです。
自分自身を受け入れ、答えを見出そうと心から欲すれば
自然と解消でき、自分を癒していて、幸せな気分にすらなると思うのです。
起きた不運が自分のせいではなくても、
不運を嘆いて、自分の心を閉ざせばそれは自分の責任です。
ここまでは、見かけた文章を見てちょっと思ってしまったことです。
自分のくだらない考えを書いていますが、意見を主張するのは好きではないです。
私は気を付けていることがあります。
例え、ある真理を知っていても、
自分で良い考えだと判断することがあったとしても、
それを誰かに押しつけることは絶対にしたくないのです。
個人には段階段階に応じた真理があって、
ある真理を知っていても、それはその人にとって最適な真理ではないことが
多いように思います。
私が判断することよりも良い判断が幾千と存在していて、
ある段階に進むと過去にその判断を無視していたことに気づき、
勿体ないと思うことがよくあります。
それはその選択をして知った結果を見て思うこともありますが、
それを除外して気が付いたものです。
ただ言えるのは、そのときの自分には最善な判断だったのでしょう。
私は、「悩みなんてなさそうだよね」なんて言われることがあります(笑)。
周りにそういう人いませんか?
どんなに幸せそうに見える人でも、それぞれに悲しみを抱えて生きてい
ると思うのです。
育った環境も何もかも違うのだから相手の気持ちは半分も理解できないと思います。
自分が経験した中で、「ああ、この人が抱えている痛みはこんな痛みなのかもしれない」
と想像し、相手を想いやることができるのも、
何か辛い経験をしたからで、その辛い経験は知らないところで
活きていると感じます。
「自分の気持ちは、他人は分ってくれなくて当たり前」
というような考えが潜在的にあって日々過ごしています。
そんな中、A friend in need is a friend indeedではないですが、
私が困っているとき、深夜でも何時でも自分のことより優先して駆け付け
助けてくれる友達、後日遠方から時間を作ってきてくれる友達、
私を喜ばせようと気を遣ってくれる友達、
気にいるような素敵な写真をくれる友達が少なからずいることを
私は本当に幸せだと感じ、心から感謝します。
そして、「○○が居てくれてよかった」その何気ないたった一言で、
相手も幸せな気持ちになるようです。
flyleaf "There For You"
ちょっとクサかったですね。
余談ですが、flyleafの中では、
"All Around Me"
http://jp.youtube.com/watch?v=_-sNIWi2fLs&feature=related
"Fully Alive"
http://jp.youtube.com/watch?v=jWVX9Yi4M5E&feature=related
が好きです。
初めて聴いた"I'm So Sick" には驚きました。。。
http://jp.youtube.com/watch?v=o5zL3dqdxUg&feature=related