花が美しい理由
ブルースターのアレンジは、
頭に思い浮かべていたものと違うものになりつつあります。
理想と現実の間を縮めるのは難しいです
ブルースター自体はこんな感じです。
サイズがサイズだけに思ったようにいきません。
大きくても上手くいきそうにないです。
ブルースターの中でも一般的なフニャフニャの花びらを作りたいのですが・・・。
今は、ブルースターの制作は終わって、どうアレンジしていくか考えてます。
私の力量不足もいいところで、当初とは全然違います。
紙を使って鉢をラッピングするかどうするか色々考えてます
大分遅くなりましたが、粘土の作品作りについて今日は書きます。
一般受けする可愛いものと、芸術性が高くてあまり大衆受けしないもの(見る人が見れば唸る)
両者ありますが、私は後者寄りの真ん中を目指してます。
最初気づいたとき、とてもショックでしたが、
花は性器そのもの。
それだからこそ美しいのです
儚げで控えめな雰囲気と少しの淫美さがない花は
可愛さがあっても美しくないと私は思います。
儚げさ、控えめさを大切に考えてます。
逆に主張しすぎているものは、グロテスクだったりしませんか?
アンスリウム(花言葉:煩悩、恋にもだえる心)とか・・・。
私は絶対作りたくない花です。
朽ちていく姿、儚げな花を作ることができるよう精進していきたいと思います。
10年以上かかりそう・・・。
そんなことを言っておきながら、最近、可愛さを求めています。
自分の中で納得いくようになったら、芸術性も出していければと思ってます
長所と短所は紙一重で、
私は、食品サンプルに近い状態に居ます。
それは父から指摘されたものです。
「一つ一つ見るとよくできてるけど、全体を見ると芸術性がなく、面白みがない」
”一つ一つ見ると良くできてる”は嬉しかったですが、
”芸術性なし、面白くない”はドンピシャだけにショッキングでした。
ただ、それが私の今の世界観であって、むやみに壊されたくないものでもあります。
急な変化より、徐々に変化していくことを望みます。
ですので、
中学校の宿題で、デッサンした作品の上から父が勝手に書き直していたときの、
悲しみと激怒は今でも胸に残ってます。
帰宅して机の上を見たとき、言葉を失ったことを今でも覚えています。
徐々に何かしらの影響を受けて成長していきたいです。
強い刺激もあまり欲しくありません。
私の感性と全く別のもの(別のものであっても要素を取り入れたいと思うことはよくあります)は
現時点では受け入れたくありません。
根本的な感性・概念・観念等のものの上に、流動的な感性・概念・観念等があって、
内外的な刺激によって作風が変わると思います。
要はきっと気分屋なんですね・・・
自分でも良くわからないですが、ピンときたものを作っていこうと思います。
大したものを作っていないのに、大きなことを言いすぎてしまったでしょうか・・・。
う~ん・・・先は遠すぎます・・・真っ暗闇です・・・頑張ります。