先週広島平和公園のトイレの内部が見えすぎるので改良の必要がる、ということを述べましたが実はこれは私が自分で気がついたのではないのです。カナダのバンクーバーに移住した私の郷里出身の人の指摘なのです。
その人は幼年期にカナダのバンクーバーに単身で行き、当地の家庭で使用人として働きながら学校を卒業した後はバンクーバーに定住しそこで事業を成功させた方です。約40年前、その人が60歳の頃だと思いますが、広島に帰省された時に私と平和公園に行った時のことです。

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そのおじさんが私にこんな質問をするのですが、私にはおじさんの意図することが分かりませんでした。

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そこで、おじさんはトイレのことを指摘されたのです。私にとっては、男性トイレの中が外から見えるというなんでもない光景が、海外生活が長いおじさんにとっては非常識に見えたわけです。特にその頃にはすでに多くの外国人観光客が来ている平和公園でそんなトイレがあるということが、おじさんにとっては母国の恥に思えたのでしょう。
でも私にはその恥に気がつかなかったのです。

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これはフランス人の風刺画家、ビゴー氏が明治31年(今から116年前)に描いたもので、人々が千葉県で海水浴をしている絵です。今では考えられませんが、当時では女性の上半身の裸には屋外でも違和感がなく、それを見ても不思議に思わなかったのでしょう。平和公園のトイレも同じ様な感じで、私が見ても違和感を感じなかったのでしょう。

でも、西欧人が見るとこの開放度抜群のトイレには違和感があるはずです。先日我が家に遊びに来られた友人は、日本人の奥さんとイギリス人のカップルですが、お二人にこのトイレの写真を見せたところ、非常に違和感がある、というご意見でした。

このおじさんは数年前にバンクーバーで亡くなられました。40年ほど前に、私にこのトイレの話をされたのは、私になんとか改善させろ、ということだったのでしょうが、なんと昨年末に市役所宛の改善依頼の手紙を書くまで何もしなかったというていたらくでした。
私が死んであの世に行けば、おそらくおじさんとこんな会話となるでしょうね。

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ということで、おじさんのためにも私が死ぬまでにはなんとか改善できるように、広島市や広島市民に働きかけなくてはならないのです。