キレイごと
どーも、たそがれるのが大好物の下村です。
テーマはタイ・カンボジア渡航についてということなんで、僕も。
今日は思い切ってキレイごとを並べてみます。
マザーテレサがこんなことを言ったらしいです。
『「自分が幸せにならなければ、人を幸せになんかできない」
という思い込みを捨てる必要があるかもしれない。
なぜなら、人の幸せを手伝うことから自分の幸せもはじまっていくのだから。』
これも一つの価値観でしかないし、
「幸せ」なんてワードをだしてきたら、きりがない気もするけど、
この渡航では、そんな感じをすこしだけかじれたかなぁと思っています。
僕らがスポーツを楽しんで、将来的に地雷を踏んでしまう人が、
地雷を踏むことなく、普通に生活ができる。
「かじれた」と言ったのは、稲妻のような衝撃が体にはしったわけではなく
現地の人が普通に生活をしているようすを頭で想像して、
なんとなくあったかくなれたから。
でも、最近のニュースでは矛盾を感じます。
僕らが支援している地雷除去団体。
PROが除去している場所である、プレアビヒア寺院での
タイ・カンボジア両軍の衝突。
銃撃戦で死者が2名も出たという。
いろんな利害関係がまじっているのでしょう。
僕たちは新しい銃撃戦の場所をつくるために地雷除去を支援しているのではなく、
安全でスポーツのできる場所をつくるため。
戦争は怖いものだ。地雷は怖いものだ。
歴史をみても人間はこれでもかというぐらいに学んできたはず。
でも、人間は忘れる生き物だし、欲深い生き物です。
また、間違いを犯すのでしょう。
もう一回学ぶのには2人の命というのはでかい代償です。
マザーテレサの言葉を思い出してほしい。
この価値観が絶対だなんて思っていない。
でも、そういう部分って人間にはあると思う。
面倒くさいし、簡単な道ではなさそうだけれども、
それを個人個人が意識して、社会に反映されれば、
この問題も解決するだろうし、地球ももっと丸くなると思う。
渡航中の日記でも書いたけど、
とってもシンプルなことだと思う。
誰かを傷つけたり、誰かを嫌いになったり
そんな気持ちは絶対に生まれてくるし、どっかにある。
でも、その気持ちのゴールって毎回決まっている。
なんでかわからないけど、嫌な気分になる。
俺はおバカさんだから、何回も同じことをくりかえす。
だから、何回だって学べばいい。
ちょっとづつなら、良くなるから。
自分のやりたいカタチで、
誰かを笑わせたり、楽しませたりすると
俺はハッピーなんだ。
自分の好きなやり方で
誰かを幸せにできたとしたら、
俺も幸せなんだ。
そんなことを繰り返しながら生きて死にたいです。
きっと、みんなも一緒なはず。
平和ボケした日本人のキレイごとだけれども、
理想なき学問など学問じゃない。と誰かが言っていました。
生きるということも学びであり、ある意味で学問。
このキレイごとに対して確信もなければ、
自信もあまりないけれど、
こういう姿勢でいたいということで
とりあえず、キレイごとを掲げてみようと思います。
いい加減が大好きな僕にしては
ちょっとストイックかなぁ。と思っている下村でした。
ほいじゃ。