これ、子どものときから、
まっっっじで、むかしからよく言われる。
わたし的にはめちゃくちゃフツーに
喋ってるけど、なんか知らんけど言われる。
けどわたしはこれ、どっちかっていうと、
むしろまわりに感じることが多かった😂
「パラパラ漫画と人生ってめっちゃ似てない?」
とか唐突に言い出して
「え?わからん、そんなん考えたことない」
って言われて
「だってさ、」って語り出す、みたいな。
だからこそ、ひとりひとりの〝世界観〟を
〝知る〟のが楽しかったんかもしらん。
「異星人」と交流してるような感覚。
そんなに観えかた違うんや?!すげえ、みたいな。
いろんな世界を〝知る〟のは楽しいけど、
〝取り入れる〟かどうか?は、また別で。
(意見とか価値観とか物の見方とか)
なんでも取り入れて、なんでも受け入れてたら、
自分の星(国、世界)が滅茶苦茶になるから。
外からのものはなんでも受け入れるんじゃなく、
そのままを観て認めること。受容。
うーん、文字にするの難しいけど、
わたしのなかで「受け入れる」は
〝取り入れる〟〝内側に採用する〟
そんなイメージ。
人と対話するときっていうんはさ、
「あーこの人の星(国、世界)はこういうやり方なんかー」
「この人の星(国、世界)ではそうなんやなー」
っていう、
星と星の。国と国の。世界と世界の。
宇宙と宇宙の交流、みたいな。
ライオンにはライオンの世界が。
イルカにはイルカの世界が。
ライオンの世界でも、一頭一頭に世界が。
イルカの世界でも、一頭一頭に世界が。
「地球はひとつでも、世界はいのちの数だけある」
いつかのわたしが発した言葉やけど、
これは今でもそう思う。
なんかなー、パッと見〝にんげん〟っていうのが
ややこしくさせるんやと思うねんな😂
多種多様やのに〝種〟としては
〝にんげん〟でひとくくりやからなあ。
やからなんかな。わたしは、惹かれる人がおると、
その人を構成してる〝世界観〟を知りたくなる。
〝どんなふうに世界を観てるのか?〟
〝その人から観た、世界〟
そうすると自然に、どんな体験、経験をしてきて、
何を感じ、何を観、どう捉え、考えてるのか、とか。
どんなことに心を動かされるのか。
どんなことに心が震えたのか。とか。
なんかそんなんを聴きたくなってしまう。
今どんなことを感じてるんかとか、
どんな世界が観えてて、どんな世界を望んでるのか。
〝今〟どんな世界を想い描いてるのか。
幼稚園の頃、
「今はみんな見た目は人間やけど、中身はどこ(星)の誰(魂)が入ってるかはわからんもんな〜」
っていう感覚で世界を観ててんけど。
「中に誰(魂、どんな存在)が入ってるんやろう?」
っていうふうにみる(観察、感じる)ことが多くて。
人生全般で、ナチュラルに、そんな視点。
わたしむかしから、
人にはたくさんのレイヤーがあって、まあるくて、
どの側面から観るか?どの角度から観るか?とか
〝それ〟はその人の〝一部分〟
〝それ〟はその人の〝ひとつの側面〟
っていうふうなものの見方をするタイプやねんけど。
可能性を無限にしときたいし、
実際、可能性は無限にあるし。
そんなんが口癖やったな、と、しみじみ。
あと、うちらはどうやったって、
それがたったひとりの人であれ〝すべてを知る〟のは
到底無理やと思ってる。
無限の可能性を秘めてるのがうちらやから。
その人の得意を見つけたり、それ個性やな、とか
それ才能やんな、とか、見つけたり感じたりしたら
ナチュラルにサラっと伝えたり。
大体そういうのって
本人からしたらただ好きでしてることやったり
めちゃくちゃ当たり前なことやったり
めちゃくちゃ自然としてることやったりするから
気づいてなかったりすることも多くて。
(実際わたしも人に言われて気づいたり)
けど側からみてたら〝瞬間〟で放つ〝輝き〟が
もうなんか全然ちゃうっていうか。
エネルギーが、ぶわぁっ!って。
ぶわぁっ!ってなる。笑
あと、ぶわぁっ!ってなるやつもあれば、
そんなナチュラルにそれできんのすごいで?!とか。
または逆に、せっかくの素敵な贈り物を
自分では短所やと捉えてる人もおったりする。
そんなんは結局、見方次第やねんけど。
わたしの場合は、繊細で豊かな感受性。
短所やと捉えたことはなかったけど、
「長所でもありながら随一の苦手分野でもある」
って過去に書いたことを覚えてる。
誰かや何かの直接目では見えへん、
直接耳では聞こえへん、色々なものを
エネルギーとして感じてる、みたいな。
感じたこれらを言語化するなら…?
絵で書くなら…?色は…?質感は…?
音なき音を言葉にするなら…?
〝感じてるそれはどんな感じ?〟
小学生期は、
感じてるそれらの扱い方がわからんかったり、
自分の内から湧いてきたものなのか?
それとも他者のものなのか?の見極めやったり。
席が前の方になると、首の後ろがザワザワして
それが居心地悪くてイライラしたり。
HSP体質。
HSSなのか、HSEなのかはわからんけど。
スピリチュアルな言い方だと、エンパス体質。
やけど、わたしはエルゴンさん。
※エルゴンさんってADHDとも似てるらしい
めちゃくちゃわかるけど検査はしたことない
※あとエルゴンさんはたしかに
エネルギーに敏感で繊細なんやけども
己のパワフルさを認めることも大切なんやろな
厳密に言うと、HSP体質と
エンパス体質は、また違うらしいねんけど。
詳しいことは知らない(てへ)
ぶっちゃけ、こういう「ラベリング」は、
わかりやすくするため、やと思ってるから。
お互いに理解しやすくするため、というか。
自分で大体のことが理解できたら
ラベリングはべつに意識せんでいいと思ってる。
ひとことでまとめるなら、
エネルギーに敏感で、感受性が強くて、
想像力が豊かで、好奇心旺盛な、繊細さんです。
(あと探究心もつよいかな)
キャッチすること、感じることが多いからか、
一日に何個も予定入れたりとかはあんましたくない。
わたしの〝感じる〟って受動的というより能動的やから
何かに夢中になってるときはそれ以外は眼中にない。笑
過集中やねん。笑
音に敏感。
周波数(トーン)を聴いてる。
領域が違うだけの場合は、
投げ方や角度を変えたら伝わることもある。
絵や図を書いて伝えてみたりとか、
創作で例え話を持ってきたり、とか。
人との対話や、理解をしたりするのに、
この「繊細で豊かな感受性」はとても役に立つ。
それと同時に、伝えることもとても細かい。
「その第六感はギフトですよ」
って教えてもらったとき、認めようと思った。
むかしから、
「りさはほんまに人のことをよく観てる」
って言われるねんけど。
人の癖や特徴を掴むのがうまいのか
しょーーもないモノマネがナチュラルに
出てきてしまうんは大阪ゆえかな。笑
けど、自分的には、あんま意識してなくて。
ただ、思い返せば、なぜかわたしはふとしたときに
「データを集めてる」って、よく言ってた。
〝その人のデータ〟っていうニュアンスもあれば、
〝人間(人類)のデータ〟っていうニュアンスもあった。
(みんなおもしろいねん)
惹かれる、興味湧く、しっくりくる、ときめく、
そういうのを〝誰かの世界〟からいっぱい集めて
わたしなりの〝世界観〟をつくりあげてたり。
そんなんを自然としてたように思う。
「わたしの〝世界〟ってこんなんなんやな」
って、認知していくような作業。
相談に乗ってるとき、対話してるとき、
意見交換をしてるとき、なんかもそう。
「わたしはこう思う」って出てきて、
〝ああ、わたしってそんなふうに思ってたんや〟
とか。
わたしのもとへ相談にやってくる人は
みんな、ハッキリ言われる覚悟というか、
〝ハッキリ言ってくれるからこそ来た〟
みたいな人がほとんどやなって思う。
相手の言ってることを
「わたしは理解できてるか?」を確認するのに、
けっこう質問したりする。
いろんなものがごっちゃになってることって
多々あるから、ひとつひとつ整理していく。
解体作業にも似てる。
また逆に、わたしの言ってることを
「相手がどれくらい理解してるか?」を
こっちが理解して、投げ方を変えたり、
伝え方を工夫してみたり。
そういうのが、わたしにとっての
〝誰か〟との「対話」やったりする。
自己対話をずっとしてる。
これは、これからもずっとそう。
「素材を引き出す」×「解体作業」
これが同時進行でおこなわれてる感じ。
わたしのなかでは
対話と会話って、ちょっと違うくて。
「軽い」と「浅い」も違うんよ。
わたしはさ、軽いだけではつまらんし、
深いだけでは「笑い」が足りん。
「軽い」は笑い、ユーモア、あそびごころ。
「深い」は愛、宇宙、対話、根底。
愛は深い。笑いは軽い。
対話と会話。
ふか〜〜〜〜い、よろこび。
ふか〜〜〜〜い、やすらぎ。
ふか〜〜〜〜い、あんしん。
「なんかいいことあったん?
なんでそんな楽しそうなん?」
「え?べつになんもないけどたのしいっ」
(笑)
どういうことやねんな(笑)
けどそういうことやねんな。
この感覚。
なんかがあるから楽しいんじゃなくて、
なんもなくても楽しいから、笑いが福をつれてくる。
解体作業、脱皮して、
意識の拡大、変容サポート
みんな本来、めちゃくちゃパワフルなんやから。