わたしが2019年に受け取った言葉たち 𓋹





「女性性がすごい。その中にしっかりとした男性性を備えてる。あとそこに対する情熱がすごい」
(そこっていうのはこの時に語ってた想いみたいなもの。和の心がどうとか調和とか。笑)


「とにかく女性性がすごいからそれだけの男性性〝外に出す・動く〟をしないとバランスがとれない」


「22って女性性の数字でもあるんだよ〜!」
(これは数秘の話し、わたしの過去数)





でね、小学生の頃からの友達と
お茶してたときの会話で…



「なんでかむかしからみんな、相談ごとするってなったらりさやったもんな」

「そうなんかな。なんでなんやろな」

「引いたりせえへんからちゃん。りさってなに聞いても引かんやん?それってこうも捉えれるくない?とか、意見とかはくれるけど、どうしたいん?っていう姿勢というか、自分で決めって感じやん。それでちゃん?」



(ほーん。たしかに。)


自分で選んで自分で決めるのが大事じゃない?
というスタンスはずっと変わらない。




それで、時々ふと思い出すワンシーンがあって
それがまたふと浮かんできて


高校の時なんだけど
よく相談に乗ってたひとつ先輩の女の子にね
ある日、話しを聞いたあと


「りっちゃんはいつも変わらんな。落ち着く。なんか〝かえってきた〟って感じ」


と言われたことがあって
ふーん、そんなふうに感じるんだー
って。笑笑



何が変わらないのかはわからないし
〝かえってきた〟という感じもわからなくて
ただ、そうなんだなーって聞いてて


それは、久しぶりに故郷に帰ったりして
昔馴染の喫茶店のマスターに会ったような
そんな感覚なのだろうか?

ってイメージしながらふーん、って。笑




でもね、わかった。



あのときの先輩は、たぶんだけど
自分の中にある変わらない部分(本質)

その表面にペタペタと
飾り付けされた部分ではなく

自分の中にある心地よい空間、真ん中
スペース、ホーム、あ、ここここ、っていう


そこに〝かえってきた〟と
感じたんじゃないか、と想った。



そこ(本質)を取り巻くものが変わっても
(考え方、視野、価値観…etc)

真ん中にあるその場所、奥深くにある

自分にとっての
〝そこ(ホーム、内なる安らぎ)〟は
いつも変わらない。


静かに、そして堂々と、いつもそばにいる。



あのときの先輩の〝かえってきた〟は
たぶんきっと、そういうことだった。

忘れても何度も思い出すようにして
人と対話しながら自己対話もしながら
気づきながら脱皮しながら進んできたのだ。


だから相談に来る人と話してるときは
〝過去の自分〟と出逢っているような
気分になることが多々ある。

〝痛み〟なんかも冷静に共に感じながら
〝ドン〟と受け容れつつ包み込むような感覚。




でね、
 「あとそこに対する情熱がすごい」
という言葉をくれた人に、そのとき


「〝守れなかった〟という痛みが強い。恐怖を持ったまま進んでもいい。焦らなくていいから、その恐怖もしっかり感じ切ってください。なくそうとしなくていいから」

とも言われていたの。




わたしは「死」から「今」を
見つめ直すことがむかしから多くて、
(確定してる確実な未来の出来事ってそれしかないから)

だったら楽しいことしたい!!って。


死ぬときは遊び切って遊び疲れた子どものように
〝あ〜!楽しかった!〟と言って死ぬ!って
もうずっと前から、子どものときから決めていて。



うちらの細胞って生まれては消え
生まれては消え、ってしてるじゃん?

うちらって宇宙からすれば
「意志のある細胞」みたいなものだし
「意志のある楽器」みたいなものだし


だから〝そういうもの〟というか
〝それが訪れるのはとても自然なこと〟というか。


ていうか〝今〟生きてる人間の数より
〝死んでった人間の数〟の方が圧倒的に
多いのすごくね?!

〝見えない世界〟に〝見える者〟として
お邪魔させてもらってる感ハンパなくね?


その人たちも過去はこの大地を踏んでたんだな〜
って想像したら、なんかすごくて

アスファルトに隠れちゃってるけど
〝大地〟を〝みんな〟を感じるというか
時空を超えて共に生きてる感すごくね??

って、ひとりで感動する小学生だった。笑笑
(もちのろんで不思議ちゃん扱いされる)
(でも気にしなーい♡ 変な人扱いされるの好き♡)



〝死〟という〝それ自体〟には何も思わないのに、
なんで自死には〝反応〟するんだろーなー?って。



「肉眼では深刻な事態」に見えるものって
(暴力とかその他諸々)
それはただ〝悲しみ(誤解)の連鎖〟なんだけど
それは中学の頃に実体験から気づいていて

だからそれはねー、
肉体年齢に関係なく赤ちゃんが
ママに駄々をこねているように見えるんだけど
(誰も悪くないよ)
(けどそこはやり切ったから反応しない)
(徹底的に〝与える愛〟と)
(自立のための〝見捨てる愛〟をした)



でも〝自死〟に対してはね
「愛に還りたいだけじゃん!愛あるよー!」
「愛ならいくらでもあるんだよー!」
って叫びたくなるというか

「あっちでも会えるけどこっちでも会えるよー!」
みたいな(笑)えー!あそぼー!って(笑)

みんなで集まってなんか楽しい企画
考えたらよくない?!だめ?!みたいな(笑)
絶対みんないいもの持ってるっしょ?!って(笑)

三人寄れば文殊の知恵って言うじゃん!(笑)

わたし「所属」は好きじゃないけど
「屯ろ」は好きよ!火囲んで話そ!ね?


だって、なんにも持ってない人なんていない
って、言い切れるもん。


わたしも社会に適合しようとしてたら
たぶんとっくのむかしに死んでるよって(笑)

「助けたい」とかはまったくなくて、
どのみち死ぬんだから遊ぼうよ!!!(笑)
ってなるんよね。笑笑



こないだ〝地でコジコジ〟みたいな人に
たまたま出会ったときにね、
その人が隣の席の顔見知りの女性に言ったの。


「死ぬのなんて社会が崩壊してからでもいいじゃん!
そんときにみんなでいっしょに死ねばいいじゃん!
ぜったいそっちのほうが楽しいよ!!」

って(笑)キラキラした笑顔で(笑)
わたし腹抱えてゲラゲラ笑った(笑)




「死にたい」って「生きたい」だし
それって「自分に素直に生きたい」だけだし
愛に還りたくなるほど疲れてるだけじゃん!
寝てろよ!!休めよ!!笑笑


素直に生きろよ!!笑


読んだことないけどプロ奢さんの
「嫌なこと全部やめても生きられる」を読め!!笑
(読んだことないけど!笑)

プロ奢さんが言いたいのって、
「存在」以外のことはどれだけ諦めてもいい
ってことだと思うんだよね。

とりあえず存在してろ、存在だけになってみろ
そしたら自然と退屈になって
自然と自らなんかやりたくなるから。って。
(結構荒技かも知れんけども笑)



わたしは社会に適合したら
わたしという〝存在〟が死ぬことがわかったから
20歳でさっさと諦めたよ。笑

諦め戦略だよ。笑
(読んだことないけど!!笑)


だったら腹くくって水商売一本にしようって。
人生に保険かけててもしゃーねーって。



けどね、それを選ぶこと自体は悪いことじゃないし
それを選ぶのも本人の自由だからいいんだけど、

わたしにとって重要なのはそこじゃなくて、
なぜ〝反応するのか〟なんよね。



なんでむかしからこんなに
自死に〝反応〟するんだろう?って
不思議で、内観してみた。


そして、ホステスという仕事が当時
なぜあんなに〝楽しかった〟のか

もう一度〝体感〟してみようと思って
最近ちょこちょこ北新地に出てたの。



でね、わかった!


わたしが当時「北新地のホステス」を
思う存分に楽しめたのは、

昼間どんだけの肩書きを持ってようが
そんなもんすっぱ抜いて相手を観る
という練習が楽しかったのと

いかに表面的なものを脱ぎ捨てて
相手と〝心〟で繋がっていけるか?
という練習が楽しかったのと


だけどその段階はもう
わたしのなかでは終わってて


「じゃあ、今は何?」って。

あの頃の〝何〟に、わたしは惹かれてる?って
「記憶」と「体感」と「感覚」を遡った。


それでわかった。

「個性を発揮していい」という〝瞬間〟に
わたしは自然と〝本気〟が出せた。


そして最も〝本気〟が出せた〝瞬間〟は
その〝本気〟に周囲を巻き込んだときだった。

「このチームで全国一位を獲る」と決めたときの
わたしの集中力は凄まじかった。


あの期間中、ずっと背中で感じてた。

見えない〝何か〟に背中を押されてる。
見えない〝何か〟が背中を押してくれてる。


条件が厳しいなか、そんなのぶっとばして
みんなで本気出して、みんなで優勝して

リッツカールトンでの表彰式の景色を
壇上から見た景色を、わたしはずっと憶えている。



ほんとうにまじで〝お陰様〟なの。

〝本気〟出すと、まじで〝お陰様〟なの。

だってあれは、わたしの力でもなんでもなく、
ほんとうにみんなのお陰だったんだよ。



わたしはわたしの〝個性〟だけは譲れないから、

わたしは〝わたし〟という〝存在〟を
〝愛〟を、人生を、それだけは諦められないから


わたし、愛することだけは
ど〜〜〜してもやめられないから


だからこんなに〝自死〟に
反応してたんだー!!って。笑



いつか自然と〝死〟が訪れるその瞬間まで
わたしは〝生〟を生き切ってやる!!って。

だから12歳のわたしは、
「人生をおもいっきり楽しむ!」と決めた。


だから唐突に、教室で宣言した。
「決めた!中学行かん!」

隣の子めっちゃ笑ってたよ(笑)

「ええ〜?!いかんの?行かんとどうするんww」
って。笑

「わからん!けど、行かん!!(ドン)」
(超爽快感でご機嫌のワイ)





でね、ここまで内観して出てきたのが


愛舐めてんじゃねええええ!!!!


だった。笑
どっちかっていうとキレてた。笑


わたしの視界に入る世界で
自ら〝愛〟を殺してんじゃねえ!!!!笑

〝愛〟は出す!!!笑
〝愛〟は〝いのち〟で、使うもの!!!笑

(マグマで焼き尽くす勢いの情熱)



けどね、
〝その選択をした人たち〟そのものに
キレてるんじゃないのよ。




わたし自身がわたしの愛を舐めてた!!!!笑笑


わたしがわたしの〝存在〟を舐めていただけだった!!!笑



それで〝わたし〟は〝わたし〟に怒られていた。笑



子どもの頃からの友である
〝もうひとりのわたし〟は
キレるとまじで、超怖いのである。




からの、これ。









たぶんね、自分にとっては〝当たり前〟すぎて
〝ふつう〟すぎて、気づいてないんだけど。


もしかしてワイ...
自分でおもってるよりも愛のかたまり?
Xmasなんていらないくらい日々が愛のかたまり?
(確かに近畿ゆえ西の女やらせてもろてますけど〜!)
(地球で言うたら東の女ではありますけど〜!)

(宇宙で言うたら局部超銀河団 おとめ座銀河団 局部銀河群 銀河系(天の川銀河)オリオン腕 太陽系 第3惑星 ですけども〜!)




Ricoさんには
「第六感がめちゃくちゃ覚醒してる」と言われ
「あなたはほんまに器がでっかいわ」と教えてくれて


プレアデス強めの人は
「その第六感はギフトですよ」と教えてくれて


ANYちゃんは
「りさちゃん第三の眼に宝石ついてるもん!」
「りさちゃんは〝縦!〟って感じだね〜」
と、きらきらと笑いながら教えてくれて


あゆみさんは、
わたしの愛が大きいことや
〝音〟にとても敏感なことを教えてくれて


だから愛さんはわたしのことを
「直感の女神」と呼んだんだ、って


だから彼はふいに、わたしのことを
「自由の女神」と呼んだ




わたしはスピリチュアルとかよくわからないけど
ただ〝普遍的な愛〟の話しをしたいだけ。


そしたら自然と宇宙の話しになるだけで、
そしたら自然と音や色や光の話しになるだけで、

それは今ここにある〝自然〟が
もうずっと前から、いつも教えてくれていて


「不思議だね!」「すごいね!」ってことを
それをわかりやすく説明しようとしたときに

〝自然〟を題材に引っ張ってきたり
〝漫画〟を題材に引っ張ってきたり
〝ゲーム〟を題材に引っ張ってきたり…

いつもそんなやつだった。笑



時代背景に左右されるものはエンタメ
時代背景に左右されないものはアート

わたしたちは〝存在〟が〝アート〟で
わたしたちの本質は〝普遍的な愛〟なんだよ。


この世界には愛が溢れてるよ、まじで。

というかすごいことに、愛しかなかった。笑



それにどれだけ気づくことができて
それをどれだけ感じられるかってだけ。



「変えよう」としなくていいし、
「変わろう」としなくていい。

だって、自然と変わっていくものなのよ。




だからわたしは言う
「SEXは芸術だ!!!」
(岡本太郎風)
(芸術は爆発だ!!)

(愛は芸術だ!!愛は爆発するんだ!!)
(だから宇宙があるんだーー!!!)
(BIGBANGしたんだ!!大爆発だ!!)
(スパークするんだ!はじけるしゅわしゅわ!)
(わたしたちはMAKE LOVEするんだー!!)


それで言うなら、ワイはずっと
「大スピ野郎」じゃ〜〜!!!(千鳥)



「いのちの数だけ世界がある」こと
もうずっと前から、子どもの頃から気づいてたし

心の状態で観える世界や感じ方が変わることにも
中学の頃から気づいてたし、ずっと感じてた。

ぼーっと夜景見ながら、ひとりで感動してた。
人間ってすごいなって。

全部みんなで創ってきたんだなって。




けど時々「外の世界」に意識が向くことがあって
そういうときはいつも〝平和〟や〝調和〟について

本気で向き合って、構造を理解しようと調べたり
感じて感じて、ってしてるときなんだけれども

外の世界って、世間や社会のことね。
〝目に見えるこの世という世界〟



そういうときにたどり着く〝答え〟は
いっっつもおんなじだった。


〝愛〟しかない。

正解がないから〝考えても〟わからない。



だから「自分」と「愛」と「人生」と
「目の前の相手」と本気で向き合い続けた。



で、ちょっとひとりでマインドが混乱したときに
ANYちゃんに相談して教えてもらったんだけど


「りさちゃんは本来縦軸で第6チャクラを使ってきた人なんだけど、今ちょっと水平軸になってるね!水平軸は〝この世〟だよ!」


この第6チャクラ(第3の眼)が
〝水平軸〟の状態で〝世界〟を観ると
〝この世〟に没入したりするんだって。


この現象がなぜ起こるのか、
わたしの感覚だと

〝外の世界〟に真実を見いだそうとすると
どうやら横軸になるっぽいことがわかった。



…は!
「マインドトラップ」だ!あぶね!笑

わたしにとっての真実は
〝ここ〟にしかねーわ!あぶね!笑

わたし本来は直感型で
頭使ってねーんだった!あぶね!笑



「感じる」「感覚」「ノリ」「勘」で
やたら強気で「わたしはこう思う」って
先生たちや上司ともタイマンしてきたわ!笑
(なぜか最後は必ず可愛がってもらえる)
(ここでいうタイマンは腹割って話すこと)



そしてANYちゃんが通訳してくれた
ワイのハイヤーセルフの発言聞く?


おっと文字数オーバーだ!続きはWebで!






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