海外で子どもを育てる。

あるいは、子ども自身が海外で育つ。

そう聞くと、まず思い浮かぶのは「英語」かもしれません。

英語が話せるようになる。
異文化に触れられる。
国際的な感覚が身につく。

もちろん、それらは海外で育つことの大きな強みです。

私は長く、マレーシアやシンガポールで海外子女の教育に関わってきました。

その中で、何度も感じてきたことがあります。

海外子女には、本人が気付いていない強みがあります。

でも同時に、

本人が気付いていない弱みもあります。

しかも、この二つは別々のものではありません。

海外で生活してきたからこそ身についた強みと、海外で生活してきたからこそ生まれた弱み。

実は、同じ経験の表と裏だったりします。

そして、それに本人だけでなく、親も気付いていないことがあります。

その1 違いに寛容になる

海外で暮らしていると、いろいろな人に出会います。

人種も違う。

宗教も違う。

食べるものも違う。

家族のあり方も違う。

「普通」だと思っていることそのものが、人によって違います。

特にマレーシアやシンガポールのような多民族社会では、そういう違いが特別なものとして存在しているわけではありません。

日常生活の中に、最初からあります。

子どもたちは、そんな環境の中で毎日を過ごします。

最初はいちいち「違う」と感じていたものも、そのうち当たり前になっていく。

そして私は、そういう環境で育った子どもたちを見ていて、とてもすばらしいと思うことがあります。

「自分と違う」というだけで、人を否定しない。

違う文化を持っている。

違う宗教を信じている。

違う考え方をしている。

でも、それはその人にとっての普通なのかもしれない。

そういう感覚が、日々の生活の中で自然に身についていく子がいます。

違うことに寛容になる。

そして、その寛容さが、人に対するやさしさにつながっていく。

私は、これは海外で育つことによって得られる、とてもすばらしいものの一つだと思っています。

ところが、本人は意外とそれに気付いていません。

なぜなら、

本人にとっては、それが普通だからです。

「私は多様性に対して寛容です。」

などと考えながら毎日学校へ行っているわけではありません。

いろいろなものを見て、聞いて、いろいろな人と一緒に過ごしているうちに、いつの間にか身についている。

ただし、ここには一つ弱点もあります。

経験はしている。

感じてもいる。

理解もしている。

でも、それを母語で説明した経験が少ないことがあります。

「なぜそう思うの?」

「何が違うの?」

「その経験から何を感じたの?」

そう聞かれたときに、意外とうまく言葉にできない。

豊富な経験があることと、それを母語で言語化できることは別です。

これが、海外子女を見ていて感じる最初の「強みと弱み」です。

その2 英語ができる。でも、その英語の土台は?

英語圏や英語を日常的に使う環境で育った子どもにとって、英語力は分かりやすい強みです。

学校で英語を使う。

友達と英語で話す。

先生の説明を英語で聞く。

毎日の生活の中で英語を使っているのですから、英語が自然に身についていきます。

しかも、いちいち日本語に置き換えない。

英語を聞いて、英語のまま理解する。

英語で考えて、そのまま英語で答える。

これは、日本で英語を外国語として勉強するだけではなかなか得られない、大きな強みです。

ところが、ここにも表と裏があります。

自然に身につけたからこそ、英語そのものの構造を意識したことがない場合があります。

文法用語を知らない。

文の構造を意識したことがない。

なぜその前置詞を使うのかと聞かれても、

「そう言うから。」

としか答えられない。

日常会話の中では、それで何の問題もないかもしれません。

でも、文章が複雑になっていく。

高度な内容を読む。

自分で論理的な文章を書く。

あるいは日本に帰国して、日本の受験英語や文法問題、複雑な英文読解に接続する。

そうなると、それまで感覚だけで処理できていた英語に、思わぬ穴が見えてくることがあります。

「使える」ことと、「構造まで理解して使いこなせる」ことは、必ずしも同じではありません。

そして、もう一つあります。

英語を母語である日本語を介さずに身につけたからこそ、日本語による英語の理解が抜けていることがあります。

これは単に、

「文法用語を日本語で知らない。」

という話ではありません。

例えば、英語では自然に使い分けている二つの表現について、

「日本語ではどう違うの?」

「なぜ日本人はここを間違えやすいの?」

「この英語の感覚を日本語で説明するとどうなるの?」

と聞かれると、うまく説明できないことがあります。

本人にしてみれば当然です。

そんなことを考えなくても、英語を使えてきたからです。

でも私は、ここに海外子女の英語教育で補うべき大切な部分があると思っています。

日本人が英語を使うとき、日本語は必ずしも邪魔になるものではありません。

英語を英語のまま理解できる。

そのうえで、日本語という自分の母語からも英語を捉えることができる。

二つの言語の違いを意識し、それぞれの言語がどう物事を捉えているのかを理解する。

そこまでできれば、海外で自然に身につけた英語は、もう一段違う強さを持つことができます。

逆に、構造を理解しないまま感覚だけに頼り続ければ、英語そのものの習得も、ある段階で不安定になる可能性があります。

会話が流暢だから、英語はもう大丈夫。

必ずしも、そうではありません。

英語を英語のまま使えることは強みです。

でも、

日本語を介さなければ英語を理解できないことと、日本語からも英語を理解する力を持っていることは、まったく違います。

前者に戻す必要はありません。

自然に身につけた英語を壊す必要もありません。

むしろ、

すでに持っている英語に、「構造」と「母語からの理解」を加えていく。

私は、それが海外子女だからこそ身につけられる、もう一つの英語の強さだと思っています。

その3 日本にいれば、「勝手に身につく」もの

そして、もう一つ。

これは英語以上に気付きにくい問題かもしれません。

海外で長く生活していると、母語だけでなく、その周辺にある文化や生活経験からも少しずつ離れていきます。

これは単に、

「日本語の語彙が少ない。」

という話ではありません。

日本で生活している子どもは、机に向かって勉強していない時間にも、日本について大量の情報を吸収しています。

街を歩けば、看板の日本語が無意識に目に入る。

電車に乗れば、アナウンスが聞こえてくる。

梅雨になれば、何日も雨が続き、湿気の多い季節を身体で経験する。

祖父母の家へ行けば、縁側に座ることがある。

季節が変われば、食べ物が変わる。

学校行事がある。

テレビから言葉が入ってくる。

友達との会話から、同世代が共有しているものを知る。

誰かが、

「今日は日本文化について勉強しましょう。」

と教えているわけではありません。

日本で生活しているだけで、勝手に入ってくるものがあります。

海外にいると、その量がどうしても少なくなります。

例えば「縁側」。

海外子女を教えていると、この言葉を知らない子に出会うことがあります。

辞書を引けば意味は分かります。

写真を見せることもできます。

今ならSNSもYouTubeもあります。

昔に比べれば、日本の情報に触れることはずっと簡単になりました。

それでも、

「縁側という言葉を知っていること」と、

「祖父母の家の縁側に座ったことがあること」は、

同じではありません。

縁側に座ったことがある子なら、その言葉の後ろに、家の中でも外でもないような空間や、庭の景色や、夏の暑さや、祖父母の家の記憶までくっついているかもしれません。

言葉の後ろに、生活があります。

梅雨も同じです。

「日本には梅雨があります。」

という知識を持っていることと、何日も雨が続いて、

「また雨か。」

と思いながら学校へ行くことは違います。

こうしたものは、テストをすれば簡単に測れるものでもありません。

そして一番難しいのは、

本人には、その「抜け」そのものが見えないことです。

知らない言葉がある。

知らない習慣がある。

経験していない季節がある。

同年代の日本の子どもたちなら当たり前に共有していることを、自分だけ知らない。

でも、知らないのですから、

「何を知らないのか」も分かりません。

親も同じです。

海外で毎日生活していると、子どもが日本で何を経験していないのかを、すべて把握することはできません。

帰国して日本の学校へ入ったとき。

国語の文章を読んだとき。

社会を勉強したとき。

同年代の子どもたちと話したとき。

そこで初めて、小さな「?」がいくつも出てくることがあります。

これもまた、海外で育つことの一つの側面です。

強みと弱みは、同じところから生まれる

こうして考えてみると、不思議です。

海外でさまざまな文化に触れたから、違いに寛容になる。

「自分と違う」というだけで人を否定しない。

その寛容さが、人に対するやさしさにつながることもある。

その一方で、その豊かな経験を母語で言語化する機会が少ないことがある。

英語環境で生活したから、英語を自然に身につける。

英語を英語のまま理解できる。

その一方で、英語の構造や、母語である日本語から英語を理解する機会が抜けることがある。

海外で豊かな経験をする。

その一方で、日本にいれば生活しているだけで無意識に蓄積していたはずの文化や言葉、季節感、生活経験からは離れる。

海外にいたから得たものと、海外にいたから得られなかったものが、同時に存在します。

ところが海外にいると、どうしても目立つ方に目が行きます。

英語がどれくらいできるようになったか。

海外の学校でどんな経験をしたか。

どんな国の友達ができたか。

もちろん、それらは大切です。

伸ばしてあげればいい。

でも、海外子女の教育に長く関わってきて、私はむしろ、その陰に隠れているものも同じくらい大切だと感じています。

本人も気付いていない。

親も気付きにくい。

そんな「抜け」を見つけて、少しずつ補っていく。

しかも、海外で身につけたものを否定するのではなく、それを生かしながら補っていく。

英語を一からやり直すのではなく、すでに持っている英語に構造と母語からの理解を加える。

日本について知らないからといって、海外で育ったことを弱点として扱うのではなく、必要なところに橋を架けていく。

私は、海外子女や帰国生に対する教育では、そういう作業がとても大切だと思っています。

海外経験によって得た強みを、さらに伸ばす。

そして、本人自身も気付いていない弱みを見つけ、必要なところを補う。

その両方があって初めて、

海外で育ったという経験そのものが、その子の本当の強みになっていく。

私はそう考えています。

 


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今、私はタイとシンガポールを行き来しながら生活しています。

タイで使っているのは、DTV(Destination Thailand Visa)です。

DTVは、リモートワーカーやデジタルノマド、フリーランサーなどのWorkcation、タイのソフトパワー関連活動、その家族などを対象にしたビザです。

有効期間は5年間。Multiple Entryなので、その間は何度でもタイへ入国でき、1回の入国につき最長180日滞在できます。

私の場合はシンガポール居住者として、在シンガポール・タイ大使館の管轄でe-Visaを申請しました。在シンガポール大使館では、DTVはシンガポール市民・居住者を対象にオンラインで申請する仕組みになっています。

オンラインでできる。

だったら、自分でやってみよう。

そう考えました。

結果から言うと、

一度、リジェクトされました。

たった一つの入力ミス

必要な書類を揃え、オンラインで申請しました。

勤務関係の書類。

財力証明。

パスポート。

居住地を証明する書類。

求められた資料を一つずつ準備して提出しました。

ところが、一つだけ入力を間違えました。

パスポートの発行地です。

私は日本国籍です。

だから何の疑いもなく「日本」と入力しました。

しかし、私のパスポートは日本国内で発行されたものではありません。

シンガポールの日本大使館で発行されたものです。

ここを正しく入力する必要がありました。

気になって大使館へ問い合わせました。

返ってきた反応は、

「他はOKなんですけどね……。」

そして、

「もうすぐリジェクトの通知が行くと思いますよ。」

というようなものでした。

え?

そこだけ?

他は全部大丈夫なのに?

修正させてもらえば済む話ではないのか。

済みませんでした。

リジェクト。

しかも、申請料は返ってきません。

在シンガポール・タイ大使館のDTV案内にも、申請料はNon-Refundableと明記されています。DTV Workcationの場合、現在の申請料は500シンガポールドルです。

再申請するなら、また最初からです。

オンラインで簡単。

確かにオンラインではあります。

でも、一項目の入力ミスでこうなる。

DTV申請で最初に受けた、タイの洗礼でした。

2回目は弁護士に丸投げした

もう一度、自分ですべてやるか。

少し考えました。

そして、やめました。

今度はタイの弁護士に依頼することにしました。

DTV申請を扱う専門のサポートチームがあり、再申請をお願いしました。

これは、自分で申請したときとはまったく違いました。

書類を一つずつ確認してくれる。

疑問があれば、その都度質問できる。

提出する資料にも逐一チェックが入る。

e-Visaへのオンライン申請作業そのものも任せました。

一度リジェクトされた後だったこともあり、精神的にはずいぶん楽でした。

そして2回目。

無事、DTVを取得できました。

これで一件落着。

……と思っていました。

妻のパスポートがDTVより先に切れる

最初に気になったのは、妻のパスポートでした。

妻もDependentとしてDTVを取得しています。

ところが、DTVそのものの有効期限より先に、妻のパスポートの有効期限が来ます。

途中でパスポートを更新したら、DTVはどうなるのか。

弁護士に聞きました。

回答は、

「その時点でDTVを取り直すことになります。」

はっ?

せっかく5年間有効なのに、パスポートを更新しただけでもう一度DTVを取り直す?

ただし、弁護士も根拠なくそう答えたわけではありません。

カナダのタイ大使館でDTVを取得したケースで、実際にそのような運用になったという情報を根拠として示してきました。

それなら仕方がないのか。

でも、どうも引っかかります。

私たちのDTVを扱っているのは、カナダではありません。

シンガポールです。

そこで、在シンガポール・タイ大使館へ直接問い合わせました。

すると回答は違いました。

「DTVを取り直す必要はありません。新しいパスポートと古いパスポートを両方持ってください。」

え?

話が違う。

その回答を弁護士へ伝えると、

「情報をありがとう。」

というような反応でした。

ここで、一つ分かってきました。

弁護士が間違っていた、と単純に片付けられる話でもない。

カナダではそういう運用例があった。

一方、シンガポールでは違う回答だった。

同じDTVでも、管轄によって実際の運用が違うことがある。

これがタイなのか。

今度は銀行口座

もう一つ、気になることがありました。

銀行口座です。

DTVを取得したあと、タイ国内の銀行口座について弁護士に確認しました。

回答は明確でした。

「DTVでは銀行口座は開設できません。」

そう言われました。

その時点では、

「まあ、それならそれでいいか。」

と思いました。

私にはシンガポールの銀行口座があります。

タイ国内の銀行口座がなくても、当面の生活には困りません。

ところが、将来のことを考え始めると話が変わってきます。

私は年齢的に、将来、一般に「リタイアメントビザ」と呼ばれている制度へ移ることも選択肢に入れています。

※以下では分かりやすくするため、50歳以上を対象にしたNon-Immigrant OやO-A、その後のリタイアメント目的の滞在延長を含め、便宜上「リタイアメントビザ」と呼びます。

ここで、最初に考えたのは一番単純な方法でした。

タイに住んでいるのだから、そのままタイ国内でリタイアメント目的の在留資格へ切り替えればいい。

これができれば、一番簡単です。

ところが、タイ国内でリタイアメント目的の1年間の滞在延長を受ける代表的な財力証明の一つは、タイ国内の銀行口座に80万バーツを置く方法です。

しかも、単に申請日に80万バーツがあればいいわけではありません。

現在のタイ入管基準では、この方式を使う場合、申請前2か月は80万バーツ以上を維持し、許可後も3か月間は80万バーツ以上を維持。その後も残高を40万バーツ未満にしないことが条件になっています。タイ入管の複数の公式案内で同じ基準を確認できます。

そこで疑問が出ました。

「DTVでは銀行口座を作れない。でもリタイアメントビザではタイの銀行口座が必要になる。では、どうやってスムーズに切り替えるの?」

これ、つながっていないじゃん。

私には、そう見えました。

さらにタイ入管の公式資料を調べると、タイ国内でリタイアメント目的の90日Non-Oへ資格変更する手続として明示されているのは、Tourist VisaやTransit Visaからの変更、またはVisa Exemptionで入国した人です。

少なくとも、現在公開されているこの公式案内にはDTVからの変更は明記されていません。

つまり、

「DTVで滞在しながら、そのままタイ国内で簡単にリタイアメントビザへ切り替える。」

私が最初に考えた一番簡単そうな方法そのものが、公式資料を読む限り、きれいにつながっていませんでした。

そこで弁護士にも聞きました。

「DTVからリタイアメントビザへ移るとき、銀行口座はどうするんですか?」

返ってきたのは、

「実際にそうなってから考えましょう。」

というような回答でした。

……そうなの?

私は、もう少し先の道筋まで知っておきたかったのですが。

ところが、「DTVでも口座を作れた人がいる」

さらにややこしいことがありました。

タイで知り合いにこの話をすると、

「DTVでも銀行口座を開けた人、いますよ。」

と言われたのです。

え?

弁護士には、

「DTVでは銀行口座は開設できません。」

とはっきり言われた。

ところが現地では、

「DTVで開設できた人がいる。」

という。

また話が違う。

銀行によって違うのか。

支店によって違うのか。

担当者によるのか。

開設した時期が違うのか。

その人に別の条件があったのか。

分かりません。

外国人の銀行口座について、タイ政府の投資促進機関であるタイ投資委員会(BOI/Board of Investment)の外国人向け案内を見ると、外国人にはパスポートとNon-Immigrant Visaなどを求め、Tourist Visaや旅行目的のビザでは口座を開設できないという銀行側の基準が紹介されています。

なお、このページの情報源はタイのカシコン銀行です。BOI自身が銀行口座開設規制を決めているという意味ではありません。

さらにタイでは近年、詐欺やマネーロンダリングに利用される「mule account」、いわゆる犯罪利用口座への対策が強化されています。

タイ中央銀行は2025年1月、従来の「口座単位」の対策から「人物単位」の管理へ対策を強化し、高リスクと判定された人が新しい銀行口座を作ること自体を難しくする措置を進めていると発表しています。

ネット上では、

「以前は観光系の滞在資格でも作れた。」

「最近は外国人の口座開設がかなり厳しくなった。」

「既存口座が凍結された。」

そんな話まで見かけるようになりました。

ただし、ここは区別が必要です。

「観光系のビザを持っている外国人だから」という理由だけで既存口座が一律に凍結された、とするタイ政府の公式説明までは、私が確認した範囲では見つかりませんでした。

一方で、タイでは、

「DTVでも開けた人、いますよ。」

と聞く。

弁護士からは、

「DTVでは開設できない。」

と言われる。

銀行側の案内を見ると、Non-Immigrant Visaを求めている。

ところが現場には、例外のように見える実例がある。

いったい、どれが正解なのか。

そこで、いったん国外へ出る方法を調べた

国内でそのまま切り替える方法がはっきりしない。

それなら、いったん国外へ出ればどうなるのか。

調べてみると、少なくとも二つの方法が見えてきました。

90日のNon-Immigrant Oで入り直す

一つ目は、居住地を管轄するタイ大使館・総領事館で、リタイアメント目的の90日間のNon-Immigrant Oを取得する方法です。

50歳以上を対象とするこのNon-Oは、リタイアメント目的の90日滞在資格としてタイ政府の公式資料にも明記されています。

その資格でタイへ入国する。

タイで銀行口座を開設する。

必要な資金を入れる。

所定の条件を満たしたうえで、タイ国内で1年間の滞在延長を申請する。

これなら話は分かりやすい。

DTVのままタイ国内で無理に切り替えるのではなく、いったん国外へ出て、Non-Immigrant Oで入り直す。

そのうえでタイの銀行口座を作り、80万バーツ方式などの財力要件を整える。

制度の流れとしては、こちらの方が理解しやすい。

ところが、もう一つ方法がある

もう一つは、居住地を管轄するタイ大使館・総領事館で、最初から長期滞在を前提としたNon-Immigrant O-A(Long Stay/Retirement)を取得する方法です。50歳以上が対象で、最初から最長1年間タイに滞在できる、いわゆるリタイアメントビザです。私が申請を想定している在シンガポール・タイ大使館でも、このO-Aを扱っています。

そして、このO-Aの申請段階では、80万バーツ相当以上を証明する銀行預金証明を提出できます。

つまり、申請時点で必ずしもタイ国内の銀行口座を持っている必要はない。

国外の銀行口座で財力を証明して、最初から1年間のO-Aを取得できるわけです。

ところが、大使館の案内を見ると、1年間の滞在終了後にタイ国内で延長する場合には、タイ国内への送金やタイ国内の預金口座などによる財力証明が必要とされています。

そこで、また疑問が出ました。

「では、O-Aを取得してタイへ入国してから銀行口座を開設し、80万バーツを入れて、次回更新に必要な期間を維持すればいいということですか?」

念のため、大使館へ問い合わせました。

返ってきたのは、

「そういうふうに理解できますね……。」

というような回答でした。

もっと複雑な説明が返ってくると思っていた私は、少し拍子抜けしました。

え、それでいいんだ。

厳密なのか、おおらかなのか

最初のDTV申請では、パスポートの発行地を一つ間違えただけでリジェクトされました。

他の書類はOK。

それでも修正ではなく、最初からやり直し。

申請料も戻らない。

ところがDTVを取得して、その先の制度を調べ始めると、少し違う世界が見えてきます。

パスポートを更新したらDTVを取り直すのか。

弁護士と大使館で答えが違う。

DTVで銀行口座は開けるのか。

弁護士には「開設できない」と言われる。

ところがホアヒンでは、

「DTVでも開設できた人、いますよ。」

という話が出てくる。

その一方で、外国人の銀行口座開設を取り巻く審査は厳格化している。

では、DTVからリタイアメントビザへどう移るのか。

国内でそのまま切り替える一番簡単そうな方法は、公式資料だけではDTVについて確認できない。

国外へ出れば、90日Non-Oで入り直す方法がある。

さらに条件を満たせば、国外から最初から1年間のO-Aを取る方法もある。

弁護士に聞けば、

「その時になってから考えましょう。」

大使館に確認すると、

「そういうふうに理解できますね……。」

申請するときは、一項目の間違いにも厳密。

なのに、その先の運用を突き詰めていくと、急に答えが柔らかくなる。

どうなってるの?

最初はそう思いました。

これも、タイで暮らすということなのかもしれない

制度を調べれば、どこかに一つの正解が書いてある。

専門家に聞けば、その正解を教えてもらえる。

私はどこかで、そう考えていました。

でも実際には、制度として書かれていることと、現場の運用が必ずしもきれいに一致するとは限りません。

管轄によって答えが違うこともある。

銀行や支店によって違うこともある。

時期が変われば、運用も変わる。

だからといって、

「タイだから適当。」

で終わらせるつもりもありません。

むしろ逆です。

まず制度を調べる。

専門家にも聞く。

疑問が残れば、自分を実際に管轄する大使館や入管へ確認する。

ネット上の「できた」「できなかった」は参考にはしても、それだけを根拠に自分の判断をしない。

そして本当にその手続きをする時が来たら、最新の制度と運用をもう一度確認する。

そのくらいの構えでいた方がいいのだと思います。

DTVを一度リジェクトされ、弁護士を使って取り直し、その後もいろいろな窓口へ問い合わせて、私はそう考えるようになりました。

そんなDTVを使いながら、今、私はタイとシンガポールを行き来して暮らしています。

制度は必要です。

でも、制度だけで生活は完成しません。

実際に暮らしながら、その都度確認して、必要ならまた組み直す。

これもまた、海外で生活するということなのだと思います。


参考資料

在シンガポール・タイ大使館:DTV Workcation

在シンガポール・タイ大使館:ビザ区分一覧

在シンガポール・タイ大使館:Non-Immigrant O-A(Long Stay / Retirement)

タイ入国管理局:リタイアメント目的のNon-Oへの資格変更(90日)

タイ入国管理局:リタイアメント目的の滞在延長基準

タイ投資委員会(BOI):外国人の銀行口座開設案内

タイ中央銀行:Mule Account対策強化(2025年1月30日)

先日、シンガポールの大型ショッピングモール「HarbourFront Centre」が営業を終えた。

セントーサ島への玄関口であり、インドネシア行きフェリーターミナルにも直結する、多くの人に親しまれてきた場所だ。

再開発のためだ。

ニュースを見た瞬間、「最後にもう一度見ておこう」と思った。

特別に美しい建物ではない。

最新のショッピングモールでもない。

むしろ、今のシンガポールでは少し時代に取り残されたような存在だった。

それでも私にとっては、大切な場所の一つだった。

 


 

現地へ行くと驚いた。

普段では考えられないほど人が多い。

「最後だから、一目見ておこう。」

そんなことを考えたのは、どうやら私だけではなかったらしい。

外国人である私だけではなく、多くのシンガポール人も同じ思いだった。

帰宅後、SNSを開いてみると、その理由が分かった。

タイムラインはHarbourFront Centre一色だった。

「子どもの頃、父に連れてきてもらった。」

「ここから初めてバタム島へ行った。」

「青春時代の思い出が詰まっている。」

「ありがとう。」

そんな写真やメッセージが次々と流れてくる。

そこに写っていたのは建物ではない。

家族との思い出であり、友人との時間であり、それぞれの人生の一場面だった。

私は外国人としてこの街を好きになった。

でも、その場所はシンガポール人にとっても、人生の思い出が詰まった特別な場所だったのだ。

そのことを知って、少しうれしくなった。

 


 

HarbourFront Centreは、私にとって特別な観光地というより、生活の一部だった。

買い物に立ち寄ることもあれば、人と待ち合わせをすることもある。

何か目的があるわけではなく、気がつけば足を運んでいる。

そんな場所だった。

ここには、私が好きだった東南アジアの空気が残っていた。

インドネシア行きフェリーのターミナル。

館内に自然と聞こえてくるインドネシア語。

昔ながらのDVDショップ。

少し古びたフードコート。

決して洗練されているわけではない。

でも、その少し雑然とした雰囲気が、私は好きだった。

 


 

インドネシア行きのフェリーは必ずしもここから利用していたわけではない。

それでも、この場所を歩いていると、自然と東南アジアの空気を感じた。

私にとってHarbourFront Centreは、単なるショッピングモールではない。

生活圏の中にありながら、東南アジアとのつながりを感じられる場所だった。

 


 

私がシンガポールへ移住した頃、こういう場所はまだあちこちに残っていた。

近代的な高層ビルのすぐ隣に、昔ながらの市場や食堂がある。

世界有数の金融都市でありながら、東南アジアらしい生活の匂いも確かに残っていた。

その不思議な共存に、私は惹かれた。

HarbourFront Centreには、その頃のシンガポールが残っていた。

 


 

もちろん、再開発そのものを否定するつもりはない。

シンガポールは変わり続ける国だ。

新しい街が生まれ、古い建物が姿を消す。

それが、この国の強さでもある。

HarbourFront Centre跡地には、2031年前半の完成を目指し、33階建てのオフィス・商業複合施設が建設される予定だ。フェリーターミナルも約70メートル先の新施設へ移転し、航路そのものは変わらない。

便利になる。

きれいになる。

それでも、人は合理性だけでは動かない。

あの日、あれほど多くのシンガポール人が最後に集まり、それぞれの思い出とともに「ありがとう」のメッセージを投稿していた。

あの光景を見て、私はあらためて思った。

建物が好きだったのではない。

そこで過ごした時間が好きだったのだ。

 


 

私は帰る前に、もう一度館内をゆっくり歩いた。

昔と変わらない案内板。

フェリーターミナルへ続く通路。

少し年季の入ったフードコート。

すべてが、もうすぐ過去になる。

そんなことを考えながら歩いていた。

 


 

また一つ、私の知っているシンガポールが消えた。

本当に消えたのは建物ではない。

私が初めて出会い、好きになった東南アジアの空気。

そして、その空気を自分と同じように愛していたシンガポール人たちの思い出。

HarbourFront Centreには、その両方が詰まっていた。

だから私は、最後にもう一度見に行きたかったのだ。

 


参考資料

最近、ジョホール・バルの話を耳にすることが増えました。

シンガポールとジョホール・バルを結ぶRTS Linkは、2026年末の旅客運行開始を目標に建設が進んでいます。

シンガポールにいる友人たちとの会話でも、

「将来はジョホールに住むのもいいかもしれない」

という話が、ときどき出てくるようになりました。

以前のジョホールは、シンガポールから国境を越えて買い物や食事に行く場所という印象が強かったと思います。

それが今では、シンガポールで働きながら暮らす場所、あるいはリタイア後の生活拠点としても語られるようになっています。

ジョホールが、単なる隣国の街ではなく、シンガポールの生活圏の延長として見られ始めているのでしょう。

そうした話を聞くたびに、私は初めてジョホールを真剣に調べた頃のことを思い出します。

きっかけは、MM2Hという制度でした。

 


 

MM2Hを知る

MM2Hは、Malaysia My Second Homeの略称です。

外国人が一定の条件を満たすことで、マレーシアに長期滞在できる制度として長年知られてきました。

私がこの制度を知ったのは、投資会社に勤めていた知人から教えてもらったことがきっかけでした。

当時の私はシンガポールに住んでおり、シンガポールのコンドミニアムを購入したばかりでした。

マレーシアへの移住を具体的に計画していたわけではありません。

仕事も生活も、完全にシンガポールが中心です。

それでも、MM2Hについて調べてみると、将来の選択肢としては面白い制度だと思いました。

当時のMM2Hは、現在の制度とはかなり違っていました。

最長10年の長期滞在が可能で、更新もできました。

一定の国外収入や資産、マレーシア国内での定期預金などの条件はありましたが、住宅の購入は必須ではありませんでした。

当時の代表的な条件は、月額1万リンギット以上の国外収入です。

当時は、申請時の流動資産要件とは別に、承認後に定期預金を預け入れる条件がありました。定期預金については、50歳以上は15万リンギット、50歳未満は30万リンギットという区分がありました。※当時は1リンギット約30円前後。

決して無条件で取得できる制度ではありません。

それでも、少なくとも私には、

「少し準備すれば、将来の選択肢として持てるかもしれない」

と思える条件でした。

すぐに移住する必要もありません。

不動産を買う必要もありません。

将来、生活環境や仕事の状況が変わったときに、マレーシアに長期滞在できる可能性を持っておく。

当時の私にとってMM2Hは、そのような制度でした。

 


 

シンガポールの隣にある選択肢

MM2Hを調べ始めると、自然に次の疑問が出てきます。

実際に住むなら、マレーシアのどこがよいのか。

クアラルンプール、ペナン、マラッカなど、候補はいくつもありました。

しかし、当時シンガポールに住んでいた私にとって、最も現実的に見えたのはジョホールでした。

国境を越えればシンガポールです。

仕事や用事があれば戻ることができる。

将来、生活拠点を完全に移さなくても、二つの場所を行き来しながら暮らすことも考えられます。

そこで、MM2Hの制度と並行して、ジョホールの不動産についても調べ始めました。

シンガポールと比べると、住宅価格はかなり低く見えます。

広いコンドミニアムも多く、将来の住居としてだけでなく、週末を過ごす場所としても現実的に感じました。

ところが、そこで思いがけない壁にぶつかりました。

外国人がジョホール州で住宅を購入する場合、一般的な最低購入価格は100万リンギット。

物件情報を見ているだけでは分からなかった規制です。

魅力的に見える手頃な価格の物件があっても、外国人は購入できない。

MM2Hそのものには住宅購入義務がないのに、実際に住宅を買おうとすると、別の制度による制限がある。

それを知ったときの率直な感想は、

「ちくしょう」

でした。

でも、実際にはそう単純ではありませんでした。

 


 

ビザと不動産は別の制度だった

今から考えれば、当然のことかもしれません。

MM2Hは、外国人がマレーシアに長期滞在するための制度です。

一方、外国人が不動産を購入できるかどうかは、土地や住宅の取得に関する制度です。

二つは別の制度です。

しかし、最初からその違いを理解していたわけではありません。

「マレーシアに長期滞在できる制度」を調べれば、その国で暮らすための条件も一通り分かるような気がしていました。

実際には、そうではありませんでした。

ビザを取得できることと、住宅を購入できることは別です。

住宅を購入できることと、その国の税務上の居住者になることも別です。

銀行口座を開設できるかどうかも、また別の制度です。

一つの国で暮らそうとすると、複数の制度が重なってきます。

MM2Hについて理解しただけでは、ジョホールでの生活設計は完成しなかったのです。

100万リンギットという基準を知った時点で、諦めることもできました。

当時の私にとって、簡単に出せる金額ではありません。

しかし、どうしても一つの疑問が残りました。

本当に、ジョホール州の物件はすべて同じ条件なのだろうか。

 


 

もう一度調べ直す

そこで、物件検索だけではなく、制度そのものをもう一度調べ始めました。

外国人の不動産購入に関するジョホール州の一般的な規則。

イスカンダル・マレーシアの開発計画。(当時進められていたイスカンダル・マレーシア計画は、ジョホール南部をシンガポールと連携する国際都市圏として開発する国家プロジェクトでした。)

地区ごとの位置づけ。

外国人向け物件の取り扱い。

調べていくうちに、制度が一枚の平らな板ではないことが見えてきました。

国の制度がある。

その下に州の制度がある。

さらに開発地区ごとの条件や特別な取り扱いがある。

すべての地域、すべての物件が、必ずしも同じ条件で扱われているわけではありませんでした。

そこで見つけたのが、Mediniでした。Mediniは、イスカンダル・マレーシアの中核地区として開発が進められていたエリアです。

当時は教育、医療、商業、住宅などを一体的に整備する国際都市として位置付けられ、多くの海外デベロッパーも参入していました。

現在では、レゴランド・マレーシアやグレンイーグルス病院などがある地区として知っている方も多いかもしれません。

私が注目したのは、街そのものではありません。

制度でした。

Mediniでは、外国人による住宅購入について、ジョホール州の一般的な最低購入価格とは異なる取り扱いが認められていました。

そのため、100万リンギット未満の物件でも、条件を満たせば外国人が購入できるケースが存在していたのです。

ここで重要なのは、「外国人に対する規制がなかった」ということではありません。

規制が存在しないのではなく、一般基準とは異なる特例が設けられていたのです。

100万リンギット以上という一般的な基準だけを見ていれば、私はそこで調査を終えていたでしょう。

しかし、制度の階層を一段ずつ下りていくと、自分にも利用できる可能性のある選択肢が残っていました。

 


 

Mediniでコンドミニアムを買う

私は2017年、Medini地区のコンドミニアムを購入しました。

購入価格は約40万リンギットでした。

これは、Mediniで外国人が購入できる法的な最低価格を示す数字ではありません。

あくまで、私が実際に購入した物件の価格です。

当時のMediniは、現在のように街が完成していたわけではありませんでした。

新しい建物が次々と計画されていましたが、周辺にはまだ空き地も多く、本当に計画どおり発展するのか分からない部分もありました。

完成した街の中から住宅を選んだというより、これからつくられる街の一部を買った感覚に近かったと思います。

期待はありました。

同時に、不安もありました。

シンガポールとの近さ。

イスカンダル地域の将来性。

周辺開発の計画。

それらが魅力的に見える一方で、開発計画がそのまま現実になるとは限りません。

それでも購入を決めたのは、単に投資として値上がりを期待したからではありませんでした。

将来、マレーシアで暮らすことになった場合に使える場所を持っておく。

シンガポールとは別の生活拠点を用意しておく。

MM2Hを含め、将来の選択肢を少しずつ増やしておく。

そうした生活設計の一部として購入しました。

当時は、このコンドミニアムが将来どのような役割を果たすのか、もちろん分かりませんでした。

住む場所になるのか、資産として持ち続けるのか、それとも別の選択をすることになるのか。

その答えは、まだ先の話でした。

ただし、この時点でもMM2Hは取得していません。

コンドミニアムを購入したことと、MM2Hを取得することは、最初から別の判断だったからです。

不動産を持っているからといって、マレーシアに長期滞在する資格が自動的に与えられるわけではありません。

それでも、当時のMM2Hの条件であれば、必要になった時点で申請を検討できる。

私はそのように考えていました。

ところが、制度はそのままではありませんでした。

 


 

2021年、MM2Hが大きく変わる

最初の大きな変更は、2021年でした。

一時停止されていた連邦政府のMM2Hが再開される際、条件が大幅に厳しくなりました。

月額の国外収入要件は、1万リンギットから4万リンギットへ。

流動資産は150万リンギット以上。

マレーシア国内の定期預金は100万リンギット。

さらに、年間累計90日以上の滞在も求められる制度になりました。

パスの期間も、以前の最長10年から5年に変更されました。

私が最初に知ったMM2Hとは、ほとんど別の制度です。

率直に言えば、

「超金持ちしか無理じゃん」

と思いました。

もちろん、実際に条件を満たせる人はいます。

しかし、将来の移住に備えて少しずつ準備する一般的な人にとっては、以前よりはるかに遠い制度になりました。

私自身、すぐにMM2Hを取得する予定だったわけではありません。

それでも、将来の選択肢として考えていた制度です。

その制度を意識してジョホールを調べ、Mediniにコンドミニアムも購入していました。

しかし、不動産を持っているからといって、従来の条件でMM2Hを取得できる権利が残るわけではありません。

制度が変われば、新しい申請者は新しい条件で判断されます。

「自分は何のために買ったのだろう」

という気持ちが、まったくなかったと言えば嘘になります。

けれども、ここでもう一度、最初に学んだことを突きつけられました。

不動産とビザは別の制度です。

私はMediniのコンドミニアムを購入しました。

しかし、MM2Hの将来の条件まで購入したわけではありません。

分かっていたはずのことでした。

それでも、自分の生活設計に関係する制度が実際に変わってみると、その意味を改めて実感しました。

 


 

そして、もう一度変わった

話は、2021年の変更で終わりませんでした。

その後、MM2Hはもう一度、大きく組み替えられました。

現在の連邦政府のMM2Hには、Silver、Gold、Platinumという三つの主要カテゴリーがあります。

これに、特別経済区・特別金融区を対象としたSEZ/SFZカテゴリーが加わっています。

2021年の制度で設けられた月額4万リンギットの国外収入要件は、現在の主要カテゴリーでは引き継がれていません。

定期預金やパスの期間は、カテゴリー別に設定されました。

Silverは、15万米ドルの定期預金と、60万リンギット以上の住宅。

Goldは、50万米ドルの定期預金と、100万リンギット以上の住宅。

Platinumは、100万米ドルの定期預金と、200万リンギット以上の住宅が条件です。

パスの期間も、Silverは5年、Goldは15年、Platinumは20年と分けられています。

一見すると、2021年の制度より選択肢が増えたようにも見えます。

ところが、条件を読んでいて、私は別のところで手が止まりました。

主要な三カテゴリーでは、MM2Hの承認後に一定額以上の住宅を購入し、保有することが義務づけられていたのです。

最も低いSilverでも、60万リンギット以上の住宅を購入しなければなりません。

「結局、コンド購入条件あるじゃん」

と思いました。

私が最初に知ったMM2Hでは、不動産購入は必須ではありませんでした。

ところが、実際にジョホールで住宅を買おうとすると、外国人には100万リンギットという別の壁がありました。

そこで私は制度を調べ直し、一般基準とは異なる特例があったMediniにたどり着きました。

そして約40万リンギットでコンドミニアムを購入しました。

その後、MM2Hは一度、私には手が届きにくいほど厳しい制度になりました。

さらにもう一度変更された結果、今度は住宅購入そのものがMM2Hの条件に組み込まれました。

制度だけを時系列に並べてみると、少し皮肉です。

「買った意味ないやん」

そう思わずにはいられませんでした。

もちろん、私が購入した物件が現在のMM2Hの住宅条件を自動的に満たすという意味ではありません。

購入価格、現在価値、物件の所在地、承認後の購入期限など、実際の申請では現行条件に基づく個別確認が必要です。

昔コンドミニアムを買ったという事実だけで、新しい制度上の条件を満たせるわけではありません。

そこにもまた、制度と個人の経験の間にある時間差があります。

 


 

同じ名前でも、同じ制度ではない

MM2Hという名称は変わっていません。

しかし、私が最初に調べたMM2H、2021年に再開されたMM2H、現在のMM2Hは、中身が大きく異なります。

名前が同じだからといって、制度も同じとは限りません。

これはMM2Hだけの話ではないでしょう。

ビザ、税制、永住権、年金、保険、銀行口座。

制度の名称が残っていても、条件や運用が変わることがあります。

昔の経験談が、そのまま現在にも当てはまるとは限りません。

インターネットでは、

「私はこの条件で取得した」

「以前はこの方法でできた」

という情報を数多く見かけます。

それらが間違っているとは限りません。

その人が経験した時点では、正しい情報だった可能性があります。

問題は、その情報がどの時点の制度に基づくものなのかが、分かりにくいことです。

MM2Hについて調べるときも、

「MM2Hの条件は何か」

とだけ考えるのでは足りません。

どの時期の制度なのか。

連邦政府のMM2Hなのか。

サラワク州独自のS-MM2Hなのか。

あるいは特別経済区を対象としたカテゴリーなのか。

同じ国の長期滞在制度でも、制度の管轄や対象地域が異なります。

一つの名前だけを見て理解したつもりになると、別の制度が混ざってしまいます。

 


 

サラワク、サバ、そして特別区

マレーシアの制度を調べていると、連邦政府の制度だけでは説明できないことが少なくありません。

サラワク州には、連邦政府のMM2Hとは別にS-MM2Hがあります。

サバ州でも独自制度をめぐる動きがあります。

現在の連邦MM2Hには、Silver、Gold、Platinumに加え、SEZ/SFZカテゴリーがあります。

このカテゴリーは、現在の制度ではForest Cityを対象とした特別な枠組みとして設計されています。なお、現在のSEZ/SFZカテゴリーでは、住宅購入要件も主要カテゴリーとは異なります。制度は現在も地域ごとに異なる設計が採られています。

一方、私が2017年に購入したMediniは、このSEZ/SFZカテゴリーとは別の話です。

時代も制度も異なります。

「どちらもジョホールだから同じ」と考えるのではなく、どの時代の、どの制度の、どの地域を対象にしているのかまで確認しなければ、正確な理解にはなりません。

ただし、この記事でそれぞれの条件を詳しく説明するつもりはありません。

ここで言いたいのは、マレーシアの長期滞在制度は一つではないということです。

国の制度。

州の制度。

特別区の制度。

さらに、不動産購入については、州の土地制度や物件ごとの条件が関係します。

制度は、横一列に並んでいるのではありません。

いくつもの階層に分かれ、互いに重なっています。

私がMediniを調べたときも、最初に見たのはジョホール州の一般的な基準でした。

しかし、その一枚下にある条件まで調べたことで、別の選択肢が見つかりました。

 


 

原則と例外を分ける

制度について調べるとき、最初に必要なのは原則を知ることです。

しかし、原則を知ることと、そこで調査を終えることは同じではありません。

外国人は100万リンギット以上の住宅しか購入できない。

これが当時、私が最初に見つけたジョホール州の一般基準でした。

もし、この文章だけを見て、

「自分には無理だ」

と判断していたら、Mediniにはたどり着かなかったでしょう。

一方で、例外だけを見て、

「ジョホールでは外国人も安い住宅を自由に購入できる」

と考えるのも間違いです。

一般基準とは異なる取り扱いには、対象地域、物件、申請方法、時期などの条件があります。

例外を一般化してはいけません。

原則と例外のどちらか一方だけを見るのではなく、両方を分けて理解する。

これは、制度と向き合ううえで非常に大切なことだと思います。

原則があるから、例外の意味が分かります。

例外があるから、原則だけでは見えなかった選択肢が見つかります。

 


 

調べれば、永遠の正解が見つかるわけではない

ここまで読むと、制度を詳しく調べれば、必ず最適な答えが見つかるように感じるかもしれません。

しかし、私がMM2Hから学んだのは、それとは少し違うことでした。

私は制度を調べ、Mediniを見つけ、コンドミニアムを購入しました。

その時点では、自分なりに合理的な選択だったと思います。

けれども、その後MM2Hは二度、大きく変わりました。

最初に想定していた制度環境は残りませんでした。

つまり、どれほど詳しく調べても、将来にわたって変わらない答えを手に入れられるわけではありません。

制度を調べる目的は、永遠の正解を発見することではないのでしょう。

その時点で存在する選択肢の中から、自分にとって最も現実的なものを見つけること。

そして、制度が変わったら、再び調べ、生活設計を組み直すことです。

Mediniを購入した判断が、現在のMM2H制度から見て最適だったかどうか。

そのような問いには、簡単には答えられません。

現在の制度は、2017年には存在していなかったからです。

未来の制度を知ったうえで、過去の判断を下すことはできません。

私たちが判断できるのは、その時点で分かる事実と、自分の状況を材料にした場合だけです。

重要なのは、制度が変わらないことを期待することではありません。

変わったときに、もう一度考えられる余地を残しておくことだと思います。

 


 

私に残ったもの

結果として、私はMM2Hを取得しませんでした。

制度は変わりました。

Mediniの街も、購入時に描かれていた未来とまったく同じ形で発展したわけではありません。

それでは、この経験に意味はなかったのでしょうか。

私は、そうは考えていません。

コンドミニアムという資産が残ったから、というだけではありません。

それ以上に残ったのは、制度を調べる方法でした。

制度の名称だけを見ない。

ビザと不動産を分ける。

国の制度と州の制度を分ける。

原則と例外を分ける。

昔の条件と現在の条件を分ける。

一つの説明で分かったつもりにならず、どの管轄の、いつの情報なのかを確認する。

そして、自分に使える選択肢が本当にないのか、もう一段深く調べる。

この考え方は、その後、別の国のビザや税務、銀行、保険、永住権について考えるときにも役立ちました。

制度に不満を言うだけなら簡単です。

私も、100万リンギットの壁を知ったときには「ちくしょう」と思いました。

2021年の新条件を見たときには、「超金持ちしか無理じゃん」と思いました。

現行制度に住宅購入条件が入ったときには、「買った意味ないやん」とも思いました。

感情としては、それでよいと思います。

けれども、その感情だけで終われば、生活は動きません。

制度を正確に理解する。

自分に関係する部分を切り分ける。

利用できる合法的な選択肢を探す。

見つからなければ、別の方法を考える。

制度が変われば、また組み直す。

その作業を続けるしかありません。

 


 

制度を、動く条件として見る

暮らしを制度に合わせるだけでは、いつか苦しくなります。

一つのビザがずっと同じ条件で続くことを前提にする。

一つの税制が変わらないことを前提にする。

一つの銀行口座や保険が、居住地を変えてもそのまま使えることを前提にする。

そのように一つの制度へ生活全体を預けてしまうと、制度が変わったときに、生活そのものが立ち行かなくなる可能性があります。

だからといって、制度を無視して暮らすこともできません。

私たちの生活は、ビザ、税務、住宅、銀行、保険、医療など、さまざまな制度の上に成り立っています。

必要なのは、制度を動かない土台として見るのではなく、変化する条件として生活設計に組み込むことだと思います。

制度は変わる。

数字も変わる。

管轄も変わる。

例外がなくなることもあれば、新しい選択肢が生まれることもあります。

その変化を完全に予測することはできません。

しかし、一つの制度が変わっただけで生活全体が崩れないように、複数の選択肢を持つことはできます。

ビザと住宅を分けて考える。

居住資格と税務上の居住地を分ける。

現在の生活と将来の生活を分ける。

一つの国だけでなく、別の可能性も残しておく。

これが、私の考える「生活設計整理法」の一部です。

 


 

MM2Hが教えてくれたこと

私がMM2Hについて調べ始めたのは、マレーシアに移住すると決めていたからではありません。

将来の選択肢を一つ増やしたいと思ったからでした。

その途中でジョホール州の100万リンギットという壁にぶつかり、さらに調べてMediniを見つけ、2017年にコンドミニアムを購入しました。

その後、MM2Hは2021年に大幅に厳格化され、さらに現在のカテゴリー制へと再設計されました。

最初に思い描いていた道筋は、途中でなくなりました。

それでも、調べたことが無駄だったとは思いません。

私が手に入れたのは、MM2Hそのものではありませんでした。

制度には原則と例外があること。

複数の制度が階層になって重なっていること。

同じ名前の制度でも、時期によって中身が変わること。

そして、その時点で自分に使える道を探し、状況が変わればもう一度考え直すこと。

暮らしを制度に合わせるだけでは、いつか苦しくなる。

制度を読み、自分に使える部分を探し、変わればまた考える。

私が手に入れたのはMM2Hではなく、そうやって生活を組み直す方法だったのかもしれません。

 


 

参考資料・一次資料

※制度は変更されるため、実際の申請や不動産購入に際しては、必ずその時点の政府機関、州政府、認可事業者および専門家へ確認してください。

1.現在のMM2H制度

Malaysia My Second Home公式サイト
マレーシア観光・芸術・文化省(MOTAC)

https://www.mm2h.gov.my/

現在のMM2Hが、Platinum、Gold、Silver、SEZ/SFZのカテゴリーで構成されていることを確認できます。

MM2H Category Overview
マレーシア観光・芸術・文化省

https://www.mm2h.gov.my/category/overview

各カテゴリーの定期預金額、年齢要件、パス期間などを比較できます。Platinumは定期預金100万米ドル・20年、Goldは50万米ドル・15年、Silverは15万米ドル・5年とされています。

MM2H Silver Category
マレーシア観光・芸術・文化省

https://www.mm2h.gov.my/category/silver

Silverカテゴリーについて、60万リンギット以上の住宅購入、10年間の売却制限、年間滞在要件などが記載されています。

Terms and Regulations for New Participants under the Malaysia My Second Home Programme
マレーシア観光・芸術・文化省

https://www.motac.gov.my/wp-content/uploads/2026/01/Terms-And-Regulations-For-New-Participants-Under-The-Malaysia-My-Second-Home-MM2H-.pdf

現行制度の正式な条件・規則をまとめた政府文書です。

Guide Malaysia My Second Home
マレーシア観光・芸術・文化省

https://www.motac.gov.my/wp-content/uploads/2025/12/Guide-Malaysia-My-Second-Home.pdf

主要カテゴリーおよびSEZ/SFZカテゴリーの概要と申請条件を確認できます。

2.旧MM2H制度に関する政府資料

Malaysia My Second Home
マレーシア入国管理局

https://www.imi.gov.my/index.php/en/main-services/malaysia-my-second-home-mmh2-en/

旧制度参加者の更新手続として、国外収入月額1万リンギット以上、定期預金口座、一定条件下での定期預金の一部引き出しなどが記載されています。旧制度と現行制度を区別する際の一次資料として参照できます。

FAQs – Malaysia My Second Home
マレーシア外務省・在広州総領事館

https://www.kln.gov.my/web/chn_guangzhou/faqs

旧MM2H制度の申請要件(流動資産・国外収入・承認後の定期預金要件など)です。

MM2H Presentation
マレーシア外務省・在シンガポール高等弁務官事務所

https://www.kln.gov.my/web/sgp_singapore/photo?_20_fileEntryId=1541037&_20_struts_action=%2Fdocument_library%2Fview_file_entry&_20_version=1.0&p_p_col_count=2&p_p_col_id=column-1&p_p_col_pos=1&p_p_id=20&p_p_lifecycle=0&p_p_mode=view&p_p_state=normal

旧MM2H制度に関する政府機関の説明資料です。

3.ジョホール州の外国人不動産取得

Perolehan Hartanah Oleh Kepentingan Asing
ジョホール州土地鉱山局

https://ptj.johor.gov.my/pendaftaran/perolehan-hartanah-oleh-kepentingan-asing/

外国人によるジョホール州の不動産取得について、物件区分ごとの条件や100万リンギット以上という基準を確認できます。

Maklumat Bayaran
ジョホール州土地鉱山局

https://ptj.johor.gov.my/pendaftaran/maklumat-bayaran/

外国人による不動産取得の承認手数料や、100万リンギットの最低価格基準を下回ることが認められたサービスアパートメント、SOHO等に関する記載があります。

※2017年当時のMediniにおける個別の購入条件については、現在のジョホール州公式ページだけから当時の制度全体を再現することは困難です。そのため本文では、筆者自身の購入時の確認と実体験に基づき、「規制がなかった」とは書かず、「一般基準とは異なる特例があった」と表現しています。

4.RTS Link

Johor Bahru–Singapore Rapid Transit System Link
シンガポール陸上交通庁(LTA)

https://www.lta.gov.sg/content/ltagov/en/upcoming_projects/rail_expansion/JB-Singapore_RTS_link.html

RTS Linkがジョホール・バルのBukit ChagarとシンガポールのWoodlands Northを結び、2026年末の旅客運行開始を目標としていることが記載されています。

RTS Link Project
Malaysia Rapid Transit Corporation

https://www.mymrt.com.my/projects/rts-link/

マレーシア側の公式プロジェクトページです。約4キロメートル、二駅間を結ぶ鉄道計画の概要を確認できます。

5.州独自のMM2H

Sarawak–Malaysia My Second Home Programme

https://smm2h.sarawaktourism.com/

サラワク州政府によるS-MM2Hの公式サイトです。連邦政府のMM2Hとは異なる州独自の制度であることを確認できます。

S-MM2H Frequently Asked Questions

https://smm2h.sarawaktourism.com/faqs/

S-MM2Hのパス期間、滞在要件、定期預金や国外収入などの条件が掲載されています。

 

先日、「Global Retirement Index」という、世界各国のリタイア後の暮らしやすさを評価したランキングが発表され、その中でマレーシアが10位に入っていた。

ランキングそのものよりも先に、「マレーシア」という文字に目が止まった。自分にとってマレーシアは、こうしたランキングで初めて知った国ではなかったからだ。

インドネシア好きの延長線上に

インドネシアには昔から強く惹かれていた。旅行で困らない程度にはインドネシア語も話せるようになり、何度も足を運ぶうちに、自然と東南アジア全体へ興味が広がっていった。

そのインドネシア語を通じて気づいたのが、マレー語との近さだった。

というのも、この二つはもともと同じ言語だ。マレー語という一つの言語が、国境や近代国家の成立という歴史的な経緯を経て、マレーシアとインドネシアでそれぞれ「マレー語」「インドネシア語」という名前で標準化されただけで、根っこは同じところにある。

だから片方を学べば、もう片方もかなりのところまで理解できてしまう。

「それならマレーシアにも行ってみよう」という発想は、特に気負うこともなく、ごく自然に生まれた。インドネシア好きの延長線上に、マレーシアはすでにいたのだ。

ジョホールとの出会い

以前書いたシンガポール移住の経緯の続きになるが、シンガポールで暮らすようになってから、仕事の関係でジョホールバルへ足を運ぶ機会が増えた。

シンガポールから橋一本。地理的には目と鼻の先にある場所だ。

それなのに、橋を渡った瞬間に空気がまるで変わる。

人の歩く速度。時間の流れ。街に漂う音。そして東南アジア特有の湿度。

それらが一気に押し寄せてきて、「ああ、この感じだ」と思わず声が漏れた。

かつてインドネシアで肌に馴染んだあの感覚が、ジョホールバルにもあった。

シンガポール人が語るJB

当時、シンガポールの友人や同僚にジョホールバル(通称JB)の話をすると、決まって同じような反応が返ってきた。

「夜は行かないほうがいいよ。」

「車には気をつけて。」

「治安があまり良くないから。」

そんな言葉を、数え切れないほど聞かされた。

シンガポールで暮らす人たちにとって、橋の向こうは少し違う世界に映るのだろう。

けれど、そう聞かされるたびに、自分の中では逆に、あの場所への興味が静かに膨らんでいった。

実際に通ってみたら、どんな感じなのだろう。

実際に通ってみて

実際に通うようになると、橋の向こうは思っていた以上に「違う世界」だった。

約束の時間はゆるい。雨が降れば普通に遅れてくる。店員さんも、こちらが急いでいてもまったく急がない。

けれど、それが嫌だとは少しも思わなかった。

むしろ、あのインドネシアで感じていた空気に近くて、どこか懐かしいくらいだった。

きっちりしすぎていないことの心地よさ、とでも言えばいいのだろうか。

物価という現実

生活費の感覚も、シンガポールとはまるで違った。

体感では、シンガポールの三分の一くらいで暮らせる印象だった。当時のレートで1リンギットはおよそ0.3シンガポールドルほどだったので、その感覚も決して大げさではなかった。

細かい数字はさておき、橋一本渡るだけで生活のスケールがこれほど変わるという事実には、単純に驚かされた。

「国」から「場所」へ

振り返ってみると、最初に興味を持ったのは「マレーシアという国」だった。

でも、ジョホールバルに通う回数が増えるにつれて、自分が惹かれていたのは国そのものではなく、「ジョホール」という場所だった。

それは、国という単位では説明しきれない魅力だった。

暮らす場所を考えるということ

この頃から、自分の中で問いの立て方が少しずつ変わっていった。

「どの国がいいか」ではなく、「どんな場所で暮らしたいか」。

そう考え始めると、その先には住まい、仕事、時間の使い方、人との距離感といった、もっと具体的な条件が見えてくる。

マレーシアとの出会いは、国を探すことより、自分にとってどんな暮らしが心地よいのかを考え始める小さなきっかけだったのだと思う。

 

参考

Global Retirement Index(International Living)

https://internationalliving.com/the-best-places-to-retire/

地方の小さな企業で働いていた自分にとって、あこがれの海外移住を実現する道は「現地採用」一択だった。

当時の自分には、それを裏付けるような知識も、能力も、資格もない。海外で暮らすことは夢だったが、その夢へたどり着くための現実的な方法は、ごく限られていた。

その頃、心はずっとインドネシアへ向いていた。

特にバリ島へは、時間を見つけては何度も通っていた。ウブドも今のようなオーバーツーリズムとは無縁で、静かな空気が流れていた。

だから海外で暮らすなら、いつかインドネシアで。

そんな思いを、ごく自然に抱いていた。

ところが、実際に自分が暮らすことになったのはシンガポールだった。

振り返ると、この選択が、今の自分の考え方の原点になっていたのだと思う。

 

ジレンマから始まった選択

 

憧れだけを優先するなら、答えは決まっていた。

けれど、人生は旅行とは違う。

暮らすとなると、仕事がある。生活がある。将来もある。

現地採用として働き続けられる環境はあるのか。

外国人として長く暮らせる制度なのか。

もし状況が変わったとき、自分はそこで生活を続けられるのか。

そんな現実的な条件を一つひとつ並べていくと、「好き」という気持ちだけでは決められないことが少しずつ見えてきた。

だからといって、東南アジアへの憧れを捨てたわけではない。

インドネシアそのものではなくても、東南アジアらしい空気を感じながら、現実的にも暮らしていける場所はないだろうか。

そう考え始めたとき、視界へ入ってきたのがシンガポールだった。

今振り返れば、この時点ではまだ「生活設計整理法」などという言葉は知らない。

それでも、自分は無意識のうちに、憧れという感情の隣へ、少しずつ「暮らしの条件」を並べ始めていた。

今でも時々、このページを開いては、あの頃の街を思い出す。

自分が暮らし始めた頃より少し前の写真も多い。それでも、この頃の街が持っていた空気は、まさに自分が記憶しているシンガポールそのものだ。

今の洗練されたシンガポールももちろん好きだ。

でも、不思議なことに、心がふっと引き戻されるのは、こういう景色のほうだったりする。

言葉だけでは伝えきれないので、もし興味があれば一度のぞいてみてほしい。

 

https://www.facebook.com/sgtimetravel/#

 

都市は変わり続ける。

それは発展であり、豊かさでもある。

でも、人の心に残り続ける風景は、必ずしも新しい街並みではないのかもしれない。

 

まだ日本の方が豊かだった時代

 

自分がシンガポールへ渡った頃、日本はまだ経済的な豊かさでシンガポールを大きく上回っていた。

それでも街を歩いていると、この国はこれから大きく変わっていくのだろうという空気が、至るところに漂っていた。

一方、日本ではバブル崩壊後の停滞が続いていた。

そのときはまだ、「日本が止まり、シンガポールが追い抜く」という未来を、はっきり想像できていたわけではない。

ただ、同じアジアにいながら、二つの国が違う方向へ歩き始めていることだけは、肌で感じていた。

後になって振り返ると、その感覚は間違っていなかった。

当時およそ1SGD=60円前後だった為替レートは、その後大きく変わり、今では倍近い水準になっている。

数字だけを見ても時代の変化は分かる。

でも、自分の記憶に残っているのは数字ではない。

街全体から伝わってきた、「これから変わっていく国なんだ」という、あの独特の熱気だった。

 

なぜインドネシアではなく、シンガポールだったのか

 

今振り返ると、自分は「シンガポール」という国を選んだというより、そこで実現できそうな暮らしの条件を選んでいたのだと思う。

当時は、そんなふうに整理して考えていたわけではない。

ただ、憧れという気持ちの隣へ、一つずつ条件を並べていった結果、その時点で一番納得できる答えがシンガポールだった。

まず惹かれたのは、東南アジアらしさがきちんと残っていたことだった。

インドネシアそのものではない。

けれど、湿度のある空気、街に流れる時間、人との距離感には、自分が好きだった東南アジアの雰囲気が確かにあった。

「憧れを完全には叶えられない。でも、全部を諦める必要もない。」

そんな現実的な落としどころが、そこにはあった。

次に大きかったのは、生活の見通しが立てやすいことだった。

経済は勢いよく成長していたのに、当時の生活費は今とは比べものにならないほど手頃だった。

 

タクシーの初乗りは2.4SGD。

ホーカーで食べるチキンライスは2.5SGDほど。

 

現地採用で働き始める人間でも、「ここなら生活できるかもしれない」と思える現実味があった。

仕事という条件も大きかった。

日本企業が多く進出していたこともあり、日本人が現地採用として働く土壌が比較的整っていた。

海外で働くという夢を、現実の仕事へつなげやすい環境だったのである。

さらに安心感につながったのは、外国人を受け入れる姿勢だった。

後に自分自身が永住権(PR)を取得することになるが、その背景には、外国人材を積極的に受け入れようとする当時の国の方向性があった。

もちろん、制度は時代とともに変わる。

だから「あの頃はそうだった」という話でしかない。

それでも、その時代の自分にとっては、「長く暮らせるかもしれない」と思える安心材料の一つだった。

もう一つ印象的だったのは、法律や行政が動く速さだった。

法案が通れば、すぐに運用が始まる。

「決まったことは、その通りに動く。」

その当たり前のようで当たり前ではない感覚に、何度も驚かされた。

一方で、この国は決して機械のような社会ではなかった。

ある夜、酒類の販売が禁止されている時間帯に店へ入ったことがある。

「もう売れないよ。」

そう言われるかと思ったら、店員さんは笑いながら急須にビールを入れて運んできた。

思わず笑ってしまった。

法律は守る。

でも、人との距離感まで失うわけではない。

その何とも言えない柔らかさが、この国には残っていた。

ビザ制度も比較的見通しが立てやすく、生活インフラも安定していた。

銀行、交通、通信、街の清潔さ。

毎日の暮らしを支える仕組みは、高い水準で整えられていた。

こうして並べてみると、自分はシンガポールの魅力を探していたわけではない。

「海外で暮らす」という人生を現実にするために、自分に必要な条件を、一つずつ確認していたのだと思う。

もちろん、当時の自分はそんなことを言葉にできなかった。

ただ、「何となく安心できる」という感覚の裏側には、こうした条件が静かに積み重なっていたのだろう。

 

でも、完璧な場所ではなかった

 

もちろん、シンガポールは何もかも完璧だったわけではない。

あるときは、一等地のオフィスビルで天井から雨漏りが起き、天井材が落下したことがあった。

高級マンションに住んでいても、水漏れに悩まされたことがある。

修理をお願いしても、約束の時間になっても業者が来ないことも珍しくなかった。

街を歩けば、都心の真ん中を、まるで山下清のような格好で歩いている人を見かけることもある。

初めて暮らし始めた頃は、「シンガポールは何でも完璧な国」というイメージとの違いに、少し驚いた。

でも、暮らしているうちに、その少し肩の力が抜けたような雰囲気が、むしろ心地よく感じられるようになっていった。

法律や行政は驚くほどきっちりしている。

一方で、人間の営みには、どこか東南アジアらしい大らかさが残っている。

その二つが同じ街の中で共存していた。

振り返ると、自分が求めていたのは、この絶妙なバランスだったのかもしれない。

インドネシアで感じていた空気感。

そして、安心して生活を組み立てられる法制度。

どちらか一方ではなく、その両方を手に入れたいと思っていた。

結果として選んだのは、「完璧な国」ではなかった。

自分にとって、納得できる条件が最も多く重なった場所だったのである。

 

「直感+1」という選び方

 

若い頃を振り返ると、自分はいつも直感だけで動いていたわけではなかった。

もちろん、「ここが好きだ」という感覚は大切だった。

だから最初の出発点は、いつも直感だった。

でも、そのまま飛び込む勇気はなかった。

そこで、自分なりにもう一つだけ条件を加えていた。

勝手に「直感+1」と呼んでいる考え方である。

このときの「+1」は、法制度の安定感だった。

外国人として働く以上、制度が突然変わることは避けられない。

それでも、「ルールが決まれば、そのルールに沿って社会が動く」という安心感は、生活を考える上で大きな支えになっていた。

その価値を本当に実感したのは、ずっと後になってからだった。

平穏な毎日を送っているときには気づきにくい。

けれど、大きな出来事が起きたときほど、「予測できる社会」で暮らしている安心感は、想像以上に大きかった。

当時の自分は、そこまで考えていたわけではない。

ただ、「何となく安心できる」という感覚に従って選んだ結果、その選択は後になって大きな意味を持つことになった。

今なら、その「何となく」を、もう少し言葉にできる。

好きという気持ちだけでは人生は決められない。

だからといって、条件だけでも人生は豊かにならない。

その間を行き来しながら、自分なりの答えを探していたのだと思う。

 

それでも、探し続けたインドネシア

 

それでも、インドネシアへの憧れが消えることはなかった。

シンガポールでの暮らしが嫌だったわけではない。

むしろ、仕事も生活も少しずつ落ち着き、自分の居場所になっていった。

それでも、休みが取れるたびに飛行機へ乗り、インドネシアへ向かった。

マレーシアにも足を延ばした。

「もっと自分に合う場所があるのではないか。」

そんな思いは、ずっと心のどこかに残っていた。

けれど、不思議なことに、探せば探すほど、「インドネシアの代わり」は見つからなかった。

バリ島はバリ島でしかなく、シンガポールはシンガポールでしかない。

何かを別の何かで置き換えようとしても、うまくはいかなかった。

だからある時から、考え方を少し変えるようになった。

インドネシアを諦めるのでもない。

シンガポールを妥協の場所だと思い続けるのでもない。

シンガポールで暮らしながら、休暇にはインドネシアへ通う。

その二つを組み合わせた暮らし方が、そのときの自分には一番しっくりきた。

当時は、それが特別な考え方だとは思っていなかった。

ただ、自分にとって無理のない答えを探した結果だった。

 


 

今振り返ると、あの頃の自分は、「インドネシアか、シンガポールか」という二択で悩んでいたつもりだった。

でも、本当に比べていたのは国ではない。

仕事。

暮らしやすさ。

法制度。

将来への安心感。

東南アジアらしい空気。

そして、「やっぱりインドネシアが好きだ」という気持ち。

そうした一つひとつの条件を、知らないうちに並べていた。

気づけば、「国」という大きな箱は少しずつ小さくなり、その代わりに、自分が暮らしに求める条件が見えるようになっていた。

それでも最後には、好きという気持ちを捨てなかった。

感情を押し殺して条件だけを選んだわけでもない。

条件を整理したうえで、それでも残った「好き」という気持ちを、自分なりの暮らし方の中へ戻していった。

今、このブログで「生活設計整理法」と呼んでいる考え方は、後から作った理論ではない。

名前が付くずっと前から、自分自身が試行錯誤の中で歩いてきた道を振り返り、言葉にしたものだ。

だから、このブログでシンガポールやタイ、マレーシアやインドネシアについて書くことはあっても、本当に伝えたいのは「どの国がおすすめか」ではない。

その国で、どんな暮らしができるのか。

その暮らしは、自分が大切にしたい条件と重なるのか。

そして最後に、それでも「ここが好きだ」と思える場所なのか。

その順番で考え始めると、「おすすめの国」は、人によって自然と変わってくる。

あの日、インドネシアへ行きたかった自分は、結果としてシンガポールへ渡った。

遠回りだったのかもしれない。

けれど、その遠回りがあったからこそ、今の自分は「どこに住むか」よりも、「どう暮らしたいか」を考えるようになった。

もしこの記事を読んで、「どの国が自分に合っているのだろう」と考えている方がいたら、一度だけ、その国の名前を横へ置いてみてほしい。

 

仕事。

住まい。

家族。

安心感。

趣味。

教育。

老後。

 

そして、どうしても譲れない「好き」という気持ち。

それらを一つずつ並べていった先に、自分だけの答えが見えてくるかもしれない。

私にとって、その始まりは、「本当はインドネシアへ行きたかった」という、少し切ない憧れだった。

 


 

今回書いたのは、シンガポールという一つの選択でした。

でも、このブログで考えていきたいのは、一つの国のことではありません。

同じ国でも、選ぶ場所が変われば、暮らしは変わります。

そして、その先には、一人ひとり違う「大切にしたい条件」があります。

東南アジアでのさまざまな経験を通して、そのことを、これからも一緒に考えていけたらと思います。

 

頭の中の地図が、少しずつ変わっていきました



最初は、私も「どの国がいいのだろう」と考えていました。

シンガポール。

タイ。

マレーシア。

国ごとに情報を集め、比べれば、自分に合う答えが見つかる。

そんなふうに思っていました。

ところが、調べれば調べるほど、不思議なことが起こりました。

答えに近づいているはずなのに、むしろ迷いは増えていったのです。

「タイがいい」と思った翌日には、「いや、ホアヒンとチェンマイでは暮らしがまったく違う」と立ち止まる。

「マレーシアもいいかもしれない」と思えば、今度はジョホールバルとクアラルンプールでまた迷う。

一つ答えが見つかったと思うと、また新しい問いが現れる。

調べるほど選択肢は増え、答えに近づいているのか、それとも遠ざかっているのか、自分でも分からなくなっていました。

その頃からでしょうか。

私の頭の中の地図が、少しずつ書き換えられていったのです。

まず、「国」という単位だけでは考えられなくなりました。

タイといっても、バンコクなのか、ホアヒンなのか、チェンマイなのか。

マレーシアといっても、クアラルンプールなのか、ジョホールバルなのか、ペナンなのか。

同じ国でも、暮らしはまったく違います。

だから、自然と視点は「国」から「都市や地域」へ移っていきました。

でも、それで答えが見つかったわけでもありませんでした。

さらに調べていくうちに、今度は都市や地域という枠さえ意識しなくなっていったのです。

気がつくと、頭の中に並んでいたのは、国でも都市でもありませんでした。

ビザ。

税制。

金融インフラ。

教育。

医療。

生活コスト。

ペットとの暮らし。

暮らす目線で考える海外不動産。

街の空気。

文化。

日本との距離感。

まるで「国」や「都市」という箱がほどけ、その中に入っていた暮らしの要素だけが目の前に並んでいるような感覚でした。

そして、その一つひとつの条件を組み合わせながら、「自分はどんな暮らしをしたいのか」を考えるようになりました。

教育という切り口なら、シンガポールだけでなく、ジョホールバルやクアラルンプールも比較する。

老後という切り口なら、ホアヒンだけでなく、チェンマイやペナンも見てみる。

ペットと暮らすという切り口なら、入国制度だけでなく、住まい、動物病院、預け先まで考えてみる。

そうやって一つひとつの条件を見比べているうちに、いつの間にか気づいていました。

私が探していたのは、「どの国がいいか」という答えではなかったのです。

探していたのは、

どんな条件を重ねれば、自分に合った暮らしが見えてくるのか。

その組み合わせでした。

だから、このブログでは国を紹介することが目的ではありません。

シンガポールも、タイも、マレーシアも、インドネシアも、それぞれが東南アジアというフィールドを読み解くための一つの入口です。

本当に見ていきたいのは、その場所でどんな暮らしが成り立ち、その条件がどう変わり、どう組み合わさっているのか。

このブログは、私自身がそんな条件を一つひとつ整理してきた記録でもあります。

実際、一人で考えていると、途中で迷ったり、堂々巡りになったりすることもありました。

だからこそ、このブログでは、答えよりも、その答えにたどり着くまでの考え方や整理の過程を大切にしていきます。

もし、このブログを読み進めるうちに、「どの国がいいのだろう」という問いが、

「自分が大切にしたい条件は何だろう」

という問いに少し変わっていたとしたら。

あなたの頭の中の地図も、きっと少しずつ書き換わっているはずです。

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次回予告


次回は、私が海外生活を始めるきっかけになったシンガポールを振り返ります。

ただし、書きたいのは「シンガポールという国」の紹介ではありません。

私が暮らし始めた頃のシンガポールは、今とはずいぶん違う表情をしていました。

街も、暮らしも、外国人を取り巻く環境も、そして私自身がその場所に求めていたものも、25年という時間の中で少しずつ変わってきました。

だから次回は、「なぜシンガポールだったのか」という答えではなく、

「あの時代の東南アジアで、私は何を見て、何を比較し、なぜその場所を選んだのか。」

そんな「最初の選択」から、このブログを始めてみたいと思います。
 

振り返れば、この25年は選択の連続でした。

今、タイの自宅でこの記事を書いていますが、ここに至るまでには、シンガポールへの転職を皮切りに、住む国、働く場所、家を持つかどうか、そして老後をどこで過ごすかまで、何度も選択を重ねてきました。そのたびに情報を集め、自分なりに比較し、決断してきたつもりです。

しかし後になって、「あの選択は本当に正しかったのだろうか」と考えることも少なくありませんでした。そうした経験を通じて感じたのは、海外移住に唯一の正解はないということです。

だからこそ、その歩みを記録として残したいと思い、このブログを始めました。同じように悩み、迷いながら選択肢を探している方の参考になれば幸いです。

私が提供できるのは「答え」ではなく「判断材料」です。

 

このブログでは、例えば次のようなテーマを取り上げていきます。

・永住権を取得した国から、なぜ再び別の国への移住を考えたのか。

・なぜマレーシアではなくタイだったのか。

・海外不動産は本当に買うべきだったのか。

・老後をどこで過ごすのが、自分にとって最適なのか。

そんな問いに向き合いながら選択してきた記録を、少しずつ残していきたいと思います。

もし同じような問いを抱えている方がいたら、このブログが自分なりの答えを見つけるための判断材料になれば幸いです。

【次回予告】

まずは次回、「東南アジア移住のルートマップ」で全体像をご紹介したいと思います。