自分に厳しい人

がんばり屋さん特徴として



この位、できていて当たり前!

という観念があるように思います。



これがあると、

まるで、がんこおやじのように、


できたことがたくさんあっても、

ふん真顔こんなん、普通や!



と、自分を頑なに、

褒めません。



まわりから、すごい!と

褒められているときすら、



受け取りません。

実に、頑固、、笑



だから、わぁーい!

と能天気に喜んでいる人みると、



あほやな、

そんなんで、喜んでちょっと不満

くらいに感じたりします。



でも、ほんとは、

そんな風に、すなおに

小さなことでも、できたこと

褒めれたら、やっぱり、



ひとは、うれしい時間が増えます。

他ならぬ、自分から褒めてもらえると、

人生、楽しくなります。




​性質じゃなくて観念



で、これは、性質なのかな?

と思うじゃないですか。



でも、実は、

そうじゃないんです。



単に、ある出来事がきっかけで、

自分は、この位、できていて当たり前!

(できるべき!)



と思い込んだ。



そう、観念を握りめてるだけです。



だから、手放していくうちに、

じわじわと、自分のやっていること

普通に、えらいなぁーすごいなぁー



と、小さなことでも、

褒めるように変化していくので、



なんか、いい感じになります。



もう少し、具体的に話していきますね。



昭和世代の美徳、叱咤激励


私は、昭和世代ですが、




叱咤激励を受けるということが



ある意味で、愛のむちという表現が

あるくらい、美徳とされていた時代の

名残を生きていた世代ともいえます。



部活とか、勉強とか、



「もっと、がんばれ!」と叱咤激励は

そこら中に、存在してました。



これを間に受ける人と

バカ言ってんじゃねーよと

さらりとかわす人がいますにっこり



優等生と不良少年みたく。




間に受ける人は、

他者の期待に答えて相手を

喜ばせようとする人であり、





他者の評価によって自分の価値を

測るため、自己価値が揺らぎやすい

人でもあり



そのため、他者を攻略(期待に答えて

相手の気持ちをなんとかコントロール

しようと)することで



具体的に言えば、



  • 相手の激励に答えて期待以上のことを成そうとしたり


  • 相手の機嫌をとったり


  • 社会的によいポジションに立ち人からとやかく言われないようにしたり、、



精神的に安心できる居場所を作ろうとする



そんな特徴がありそうです。



そして叱咤激励を間に受けて

涙ぐましくどんどん、がんばり、



「できて当たり前の世界」

の住人となります。



本人は周りからの評価も上がるし、

自分もできた!という達成感から、



涙ぐましさとか、感じてなく、

むしろ興奮しているような

感じかもしれません。



結果、がんばって、できてしまう

ことをたくさん経験し、



できて当たり前のハードルを自分で

自分に課してしまう側面があります。



だから、ちょっとや、そっとの

ことでは、



おし!やったぜ!



みたいには、

なかなか簡単には褒められません



もし、読んでくれている人の中に、

同じような方がいれば、、



この位、できていて当たり前!


もう、そろそろ、手放しませんか?



そのハードルがあったおかげで

ころまで、あなたはたくさんのことを

成すことができたかもしれないし、



大切な人の期待に応えることが

できたかもしれません。



けれど、今の時代、

あまりにも、多くの人が、



次は何をなすべきか、

次は何を達成すべきかと



血眼になっていたりします。

私もそうでした。



どうしてか?

それは今ここに幸せを感じづらいからです。



そりゃ、やってもやっても

できて、当たり前だとしたら、



できなかった時は、

自分のふがいなさを責め、



小さなできたことでは、

自分のことを褒められず



何十年もかけてしか

なすことができないような

大きなことでしか、


自分はやったと褒められないよう

であれば、いつ自分を、



ねぎらうことができるのでしょう?

認めることができるのでしょう?



だから、あるタイミングで背負った



この位、できていて当たり前!



もう手放しちゃって大丈夫ですひらめき


手放しても怖いことなんて
起こりません。


できなくなる自分が
いるんじゃないかと思うかもしれませんが、


むしろ逆。

手放すことで、自分が
いかにいろんなことを日々
やっているか、


ということに気づけるようになります。


すると、小さな喜びや楽しみを

感じやすくなります。



心にエネルギーが戻ってきます。



生きていくと言う事は、

自分を愛すること、

自分を知ること、

本当の自分に一致して生きること




私には、できて当たり前



この観念を手放したときに、

どんな変化が起こったか、



また、よかったら教えてくださいね看板持ち






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オカメインコ本を書いています




セキセイインコ青タイと北海道の二拠点暮らし、はじまりました




セキセイインコ黄海外と関わる仕事づくり


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タイにて、作ってもらっています。





人生をハートの声にそって生きると

意図している人たちにとって、


エンパスは、自分のハートの声が聞こえやすい分、

それを無視していると、苦しくなる傾向がありますね看板持ち


ハートの声に耳を傾けること以上に

大切なこと。



それは、ハートを閉じてしまう原因になる、

重たい、地球由来の観念をリリース

手放していくことです。



ハートの声に沿って生きることと、

古いエネルギーを手放すことは、

天秤の両皿。




どちらが、かけても、

ハート(魂、エネルギー)としての

自分が、この世界を存分に体験し、



よき方向へ導かれていく

道すじにおいて、欠かせません。



ハートは、道標であり、



直感やビジョンを見せてくれるのも、

また、ハートですが、



さまざまな、

過去に蓄えられた感情エネルギーにより、

ハートがブロックされていると、



どうしても、光の通りが悪いようです。

通りが悪いと、直感やビジョンは、

降りずらいです。



また、自分の感覚に気づけない

ということが起こります。



私は、感情や観念のリリースは、

セドナメソッドを使っていますが、



こちらは、無理やり、

新しいポジティブな観念を

つくる必要もなく、



ごくごく不必要になった観念に

気づき、手放すことを選択することで、



自然にぎゅっと握りしめてきた観念に

緩みがしょうじ、


リリースされていきます。



そして、観念はあるべき状態に

おさまる、という感じを体感しています。



気づきの瞑想と言われる、

ヴィーパッサナー瞑想も、

3年くらい続けてみて気づいたことですが、



両者、アプローチがとても似ています。



東洋、西洋を超えて、

人類に必要なメソッドなのだと感じます。



余談ですが、私には、

セドナメソッドがしっくりきました。



ぜび、自分にあう、



地球由来の重たい観念、

エネルギーを手放す手法を探して

みてくださね。



私は、ほんとうに、

長らくの間、人生の中で

Body mind spritの癒し、統合を

テーマに探求し、学んできましたが、



ここにきて、

全体がきれいにつながり、

学びは、終止符を打ちました。



これからは、

その探求のエネルギーを



より、創造性に向けて

使っていけそうです。



本は校正が完了し、

まもなく発売になります。



目下、一番の楽しみは、

バンコクのお部屋のリノベーションです。




ともに、それぞれの場所で、

より自由にこの世界を

遊んでゆきましょう。




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セキセイインコ青タイと北海道の二拠点暮らし、はじまりました




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エンパスは外側からの影響を受けやすい


エンパスは、よき人であろうとする

傾向が強いです。



よって、この「よき」に翻弄されやす

かったりします。




けれど、時代、場所、により、

良きは変化しつづけ、



人によってすら、

良きは、ちがいます。



良きは、あるようで、ない



一人一人が、固有のフィルターを

もって、この世界を見ているということは、



心の世界が好きな人は、

よく知っておられると思います。



だから、そのフィルターの数だけ、

世界が存在していて、



同じ時空に存在していても、

この固有のフィルターがちがえば、



ほぼ、関わることは、薄くなり、

パラレルワールドと呼ばれるように、




似たような、

フィルターをもつ人同志が集まり、

同調しあうことで、

そのフィルターを強くしていきます。



ある、集団において、良きとされることは、

別の集団においては、悪ですらある。




いわば、固有のフィルターから

生みだされる世界観は、



あくまで、一つの形(色)にすぎず、

そこに正解も不正解もありません。




ただ、アートのようであり、

それは、ひとつの「表現」というだけ

です。



​自分の世界観に泥を塗らないために



かつて、臨済禅師は、

こんな言葉を放ちました。



逢仏殺仏(ブッダに会ったらブッダを殺せ)



この言葉は、強いインパクトですよね。



どんなに、聖人とされていても

立派な人間と称される人でも、

影響力がある人でも、



その人の教えは、

その人の固有のフィルターを通して

語られていること。



だからこそ、信じすぎない、

信じてもいいけれど、



それが、この世界の唯一の答えではない

ことを頭の片隅におきながら、




「好み」として、自分で選択して

いる意識をもち、



存分に楽しめば



とても、フラットで軽やかに、

自分のフィルターに自らが抑圧される

ことなく、



同時に、



その他の固有のフィルターをもつ

人たちの世界観も、また楽しむことができ、



心は、平安で穏やかです。



この土台があると、

ますます、自由にこの世界を遊べるな、

と感じます。



世界には、何かと

真実めいたことを言う人がいますが、



すべては、その人の固有のフィルターです。

その人にとって、明らかなリアルでも、


やっぱり、フィルターを通して

見ている世界です。


私自身のこのブログも、同じくです。



自分の気持ちが明るくなるなら、

教えを取り入れてもいいし、



そうじゃないなら、

放っておけばいい。



逢仏殺仏(ブッダに会ったらブッダを殺せ)



まさに、唯一絶対の答えはなく、



あくまでも、自分で選んでゆく、

好みじゃないなら、手放し、



常に新しいフィルターを通して

この世界を体験することができます。  



移りゆく空の景色、

雲のように、固定的なものはなく、



どんな世界も自分でつくれる

自由を与えられていると感じています。



エンパスは外側からの

影響を受けやすい。



だからこそ、外側から、

自分が何を受け取るか、



十分吟味して、自分の好みを

しっかり、選択していく、

ということを



意識していくと、よさそうです。



ふっと、思い立ち、

音声でも、今日のテーマの補足として、

収録してみました。



 音声で聞く↓↓





それでは、また看板持ち



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