2024年6月18日


こんばんは


コロナ後の倦怠感によって無理が出来なくなり

今日やれる限りのことをしようと

前提条件のある日々を過ごしているのですが

それが逆にいい方向に自分を動かしている

何だかそんな気がします

この変化は大きなものに繋がっていきそうです


さて、5月の京都を歩いた初夏の京都旅

いよいよ今回の旅で最大のハイライトの1つ

最も再訪したかったお寺を訪ねます

向かう足取りからして既にワクワク

テンションがとても上がっていましたね(笑)


次に訪ねましたのは大覚寺

嵯峨野エリアで最大の寺院の1つです

境内に入ると…おや?と思いませんか?
雰囲気がお寺とまるで違いますよね
実は大覚寺は元々、平安時代初期の天皇
嵯峨天皇の離宮、嵯峨御所として建立されました

ですので、平安京の大極殿を再現した
平安神宮でも見かけましたあの木の並び
左近の桜と右近の橘が見えます!

嵯峨天皇は実際にこの場所で公務を行ったほか
後に大覚寺として寺院になったあとも
南北朝時代の引き金の1つになった
天皇家の両統迭立の時代に
南朝を築いた後醍醐天皇の父、後宇多天皇は
ここに籠もって政治を行いました
そのため南朝方の皇統のことを大覚寺統といいます
日本史でもお馴染みですよね
ちなみに北朝方の皇統は持明院統です

宸殿や正寝殿など、宮中が再現された境内
残念ながら江戸時代に再建されたものも多く
初期の建物はほぼ残ってはいませんが
それでもこの宮中を思わせる雰囲気は独特です
宸殿の中を覗くなんてドキドキですよね
こちらがその宸殿です
後の時代に再建された建物ですが
それでも後水尾天皇から下賜されたものだそうです
かつて御所だっただけあって
今でもその雰囲気の違いには圧倒されましたね

そして、大覚寺と言えばこの御所の建物たちと
もう一つ、とっておきの風景があります
かつての御所を歩いてその場所までやって来ました
それがこの大沢池です
大沢池は一見湖のようにも見えますが
実はこれ、人工の池でして
しかもこの大沢池全体が庭園として作られました

平安時代初期に作られたもので
日本初の庭池とも言われています
この大沢池の湖畔が当時からすごく好きで
何度もここに癒されに来ていました
個人的にもものすごく思い出がある場所の1つです

風の音、鳥の声、見上げると雲が流れる
平安時代にもきっとあったであろう
変わらない京の都の風流たちが
貴族たちの心を癒したのでしょうね
大沢池に注ぐ川の名前は有栖川といいます
後に宮家の名前にもなった歴史ある小川です

今回は時間の兼ね合いで行きませんでしたが
大沢池から少し山に入った場所に
枯れかけた小さな弱々しい滝があります
その滝は名古曽の滝といい
大河ドラマ「光る君へ」にも登場する
藤原公任が和歌にしたことで有名になりました
池の反対側に回ってきました
奥に小さくさっきまでいた大覚寺が見えますね
大沢池は甲子園球場がすっぽりと入るほど
巨大な庭池なんですよね

今では農業用水にも使われていて
敷地の反対側では農家の方がこの水を使って
京野菜を育てられていました
さらに大きくかつての御所が見えてきました
巨大な大沢池に面した御所は
自然と一体となって何なら建物すら
1つの庭園作品に見えてしまうほどでした
こんなにも優美な御所って
世界中を見渡してもないんじゃないかと思います

要塞とも城塁とも違う、自然と繋がった御所
これこそが自分が大覚寺を慕う理由なんですよね
今回、京都を訪ねるにあたって
どうしても来たかったのが大覚寺でした
そんな大覚寺を風も穏やかな青空の日に
のんびりと歩いて散策できたこと
心から嬉しかったです
時間をかけて大沢池を歩いた大覚寺
この旅のハイライトの1つだったと思います
そして、かつての日々と同じように
またしても心から癒やされましたね

初夏の京都旅2日目も中盤戦に入りました
名残惜しく大覚寺を後にして
そろそろちょっと早いですが
お昼ご飯といきましょう

今回は初夏の京都旅の中でも
特に印象的だった大覚寺と大沢池をお送りしました

では、
今日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございましたm(_ _)m