2024年6月17日


こんばんは


まだまだ本調子からはほど遠い状況ですが

先週と比べるとかなり調子自体は良くなりました

ここから先は劇的に良くなることはないと思います

でも、だからこそ今できることに集中して

より良い充実感を手に入れたいと願っています


さて、初夏の京都旅は大混雑の嵐山を抜け

嵯峨野エリアへと歩いて入りました

この一帯もまた大変歴史が深い地域の1つで

また大好きなお寺がある場所でもあるのですが

そこを訪ねる前に、京都五山完全制覇へ

嵯峨釈迦堂こと、清凉寺を訪ねました

京都五山の中でも特に古刹として知られる清凉寺
京都市内のお寺の多くとは成り立ちも異なっていて
三国伝来の釈迦像、
つまりはインドからやって来たお釈迦様を
御本尊として祀っているのが清凉寺なんです

平安時代は神仏習合や新仏教の登場など
日本式に多くの文化が進化していく時代ですが
清凉寺はそのような時代の流れに逆行して
奈良時代の、南都の仏教の再興を掲げて
建立された歴史を持っています
広い敷地には多宝塔など多くの文化財がありました

そしてその誕生にもまた源氏物語と繋がりが…
元々この場所は源氏物語のモデルの1人
源融の別荘があった場所でした
そして、源融が釈迦堂を造りたいと祈願したことに
清凉寺の歴史は始まっています
簡素な造りですが本堂もとても立派でした!
本堂の内部には釈迦像などの国宝があり
また、清凉寺を深く信仰していました
徳川綱吉の母、桂昌院が使っていたとされる
様々な調度品を見ることも出来ました

清凉寺とは直接関係のない話題ですが
調度品の多くに蒔絵が使われていて
何百年も前のものなのにとてもキラキラした造りに
日本の漆器の技術の高さを感じましたね

今、能登半島地震で輪島塗が危機的な状況ですが
何百年も変わらない輝きを作れる技術として
漆器や蒔絵の技術は絶対無くしてはならない!
そう強く感じたのでした
本堂の奥には庭園があって
とても静かで優雅な時間に癒やされましたね
清凉寺はインバウンドの方もほぼいなくて
落ち着いて見学が出来たのが良かったです
ちなみに、玉の輿という言葉は
桂昌院のことを指すのだそうです
詳しいことは長くなりますので
気になる方は検索されてみてください!
古き良き奈良時代の仏教再興を願って
この地に建立された清凉寺ですが
皮肉にも愛宕神社との神仏習合によって
名実ともに清凉寺の繁栄はピークを迎えます

インド由来の釈迦像は全国各地に巡礼されるほど
江戸時代には人気を博したそうですが
明治政府の神仏分離令によって
輝かしい時代は幕を閉じました

京都五山で最も古いお寺の1つ、清凉寺
静かな空気の中で眺める庭園と
南都仏教の繁栄を願った古式ゆかしき本堂に
このお寺の個性を強く感じましたね

そして、何百年も前の蒔絵が放つキラキラも
必見なんじゃないかと思います!

ようやく静かな一帯に来ることが出来ました
そんな嵯峨野をのんびりと歩いて
いよいよ次回は今回の旅で最も行きたかった
思い出のお寺が登場します!

では、
今日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございましたm(_ _)m