2024年6月15日


こんばんは


復帰後の疲れが酷く1日寝て過ごした土曜日でした

でも、疲れは確実に取れたので

これでもいい方向に向かっていると思います

ようやくホッと出来ました


さて、初夏の京都旅2日目は

桂川にかかる嵐山の渡月橋からスタートしました

2日目の序盤は嵯峨嵐山エリアを歩きますが

桂川を渡って嵐電の嵐山駅の辺りから

歩道を歩く人たちがものすごいことになり

いや〜、大変なところに来てしまった!と


2日目の序盤はオーバーツーリズムとの

戦いでもありましたね(笑)


そんな嵐山編、嵐山と言えば個人的にはやっぱり

天龍寺でしょう!

ということで、まずは天龍寺を訪ねました

鎌倉時代が終わり、建武の新政の時期を迎えると
倒幕運動を支えた武士たちに与える恩賞を巡って
それまでの朝廷主導のやり方では対応ができず
武士たちは不満を抱いていました

そこで足利尊氏は独自に武士たちに恩賞を支給し
所領安堵を約束して武士たちをまとめ上げましたが
その様子は朝廷からは新政府を作ったように見え
足利尊氏は追討軍を出されてしまいます

ところが尊氏は一度は窮地に追い込まれたものの
あっという間に形勢を逆転させ
当時の後醍醐天皇と対立する光明天皇を擁立して
ついに室町幕府を作り上げます
しかし、これによって後醍醐天皇の南朝と
光明天皇の北朝に朝廷は分裂してしまい
日本は長い南北朝時代を迎えるのでした

説明が長くなりましたが
天龍寺は足利尊氏がライバルの後醍醐天皇を
弔うために作られた巨大なお寺です
このとき、後醍醐天皇を弔う必要性を説き
天龍寺の創建に深く関わって開基となったのが
造園家としても知られる夢窓疎石です
天龍寺は後に南北融和に大きな役割を果たしました
そのあまりに大きな開発規模から
開山には巨額の資金が必要になってしまい
資金調達のために大陸と貿易を行った
天龍寺船も有名ですよね

方丈からの庭園の眺めももちろん見事でしたが
やっぱり天龍寺は庭園を歩いてなんぼ
さっそく今度は庭園へと向かってみました
おお、これですよこれ
枯山水が登場する以前から作られた
優美な天龍寺庭園
国の特別名勝にも指定されています
天龍寺の庭園は目の前の庭先だけでなく
周囲の山のシルエットなどすべてを
庭園として、美しいものとして取り込んだ
借景庭園と言われているものです

そして夢窓疎石に始まり今に至るまで
天龍寺の庭園はここ以外の庭は一切作庭しない
専属の職人によって守られています
すごい世界観ですよね
京都の庭園は侘び寂びの世界とよく言われますが
枯山水庭園が登場する以前の日本庭園は
どれも優美で迫力のあるものばかり
ちょっとイメージが違いますよね

広い境内には季節の花々が植えられていて
新緑の季節も相まってとても癒やされました
願わくばもう少し観光客が少ないと
方丈からのんびりと庭が観れた気がします

激動の時代に、平和を願って建立された天龍寺
後の時代を含めても唯一朝廷が分裂した
苦難の時代の歴史を肌で感じられる
貴重な場所なのでした

個人的にも、関西に赴任して最初に訪ねたのが
実は天龍寺だったこともあって
いろんなことを思い出しましたね

さあここからは定番の道を歩きます

では、
今日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございましたm(_ _)m