最近“オシリーナ”が気になって仕方ない。

“パイオツカイデー、ミーモー。”

場面によって“粗い”が通用する年齢層の人間がいる。彼らは将来を期待されているからこそ現時点での“粗い時期”を許されている。その先に“美しい可能性”を秘めているからこその待遇なのだ。ボクの友人で“尼崎の貴公子”という職業の“宗くん”は昔、焼肉をつつきながら“共通の友人の現状”についてこう発言された。

『チンしゃぶ、即マン。』

意味を理解できない“変態な人々”のために“チンしゃぶ、即マン。”を説明すると、“会ったばかりの女にフェラチオさせて、即日挿入。”という“健全なる男子”なら“一度は実現させたい”と憧れる行動のことだ。つまり“共通の友人”は“お元気でいらっしゃる”ということだ。

ボクの知人の後輩で“巨乳マニア”のイサム君は“でかいオッパイを、揉む。”をインテリジェンス高く表現すると“パイオツカイデー、ミーモー。”になると息巻いた。ギャランティーの発生する女子としか交際したことのないイサム君は『パイオツカイデー、ミーモーっすよ!』と嬉しそうに言いながら携帯で本日のパートナーを探していた。
ボクは思う。“パイオツカイデー、ミーモー。”は別にインテリジェンスの高い響きではないと。むしろ、とてつもなく汚らしく下品な響きだと。

昔、“ちはる”は“ミモー”だった。今も昔もとても綺麗だ。