情熱と、狂気。

 

 

 

 

あるいは

 

魂が、高鳴る。

 

 

よく出来た良い映画でした。

 

さすがのマイケル・マン監督です。

 

イタリア郊外の朝のステキな風景から入って、

 

理容室の雰囲気や、チームFのにぎやかな食事シーンとか、

 

教会の場面は荘厳で、当時のイタリアの空気が

 

ドラマ以上にスクリーンによく出ていてとても感心させられました。

 

会話は英語でしたけどね。

 

レーサー時代の古い映像にアダム・ドライバーを見た時は、

 

思わず笑ってしまいましたが、

 

だんだんイイ感じに思えてきて、これはアタリ役なんじゃないか!と

 

はじめて役者としての存在感を感じましたが、

 

最後はあっさりペネロペに持って行かれてました。

 

彼の人気の起用理由は、相手を輝かせる!

 

そんなところに在るのかもしれません。

 

なんだかそんな風にも思えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔女の毒で あなたは目覚める

 

 

 

 

ローズ(オデッサ・ヤング)。

 

車窓のローズを射して流れる陽の光に目を奪われていると、

 

「くじ」を読んで鳥肌がたった彼女は、彼を誘いコトに及ぶのです。

 

この冒頭の画ヂカラだけで期待が増してゾクゾク!

 

監督はジョセフィン・デッカー。

 

音(楽)の使い方も絶妙で。

 

初見でしたが、もう追って行こうと決めてます。

 

パーティーに向かうローズたちの前を、音を立てて横切る人影とか、

 

なんてことのない講義のショットも学生の並びが見事な撮影で、

 

セリフや話を追わなくても、画だけ観ていれば、

 

この映画の内容や素晴らしさは理解出来るんじゃないか…と、

 

しばらくは本気で思えたくらい。

 

撮影はシュトゥルラ・ブラント・グロヴレン。

 

 

そして、シャーリイ・ジャクスン役のエリザベス・モス。

 

凄かった!

 

勿論どん欲なローズも魅力的ですが、

 

登場した最初のショットからすでに鳥肌モノでね。

 

この人物、ホントに魔女じゃないか!と思える

 

表情や仕草を幾度も何度も魅せつけてくれます。

 

彼女の怪演だけでも観る価値は充分。

 

大学教授の夫との眼鏡レンズの厚みとか、

 

その奥に覗く瞳の、気持ちの違いとかを見比べてみるのも

 

オモシロイかもしれません。

 

この夫婦の最初のやり取りがまた土俵際の押し相撲の様でね。

 

見応えあり。

 

その後の、シャーリイが挑む新作への創作過程と

 

同居する二組のカップルのそれぞれの関係性が絡み合う展開は、

 

当時の男女や夫婦、家柄や雇用などの力関係、

 

さらには劇中に流れる楽曲とも相まって、目が離せません。

 

登山口を上った先にある、森を見下ろす崖の先に立つシャーリイと

 

ローズと抱いた赤子の、幻想とも現実とも捉えられるシークエンスは

 

印象的です。

 

自立していようが専業主婦であろうが、この時代、

 

社会的に女性はそういった立ち位置にあったんでしょう。

 

だから新作が書き上がり、夫婦でダンスを踊るラストシーンは、

 

(その夫の評価を待つ間のシャーリイのコロコロ変わる表情がまた秀逸!)

 

土俵際ではあるけど、それは押し相撲なんかじゃなく、

 

ふたりで愉しく踊っただけよ、というせめてもの希望。

 

それはまた新天地へ向かう車中のローズの笑顔にも共にありました。

 

最後まで圧倒されっぱなし!です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実在のスキャンダル

 

当事者の心で追うか

 

よそ者の目で追うか

 

 

 

 

鏡の中のナタリーとジュリアンの場面が

 

とにかくどれも緊張感があって、それぞれ見応えあるシーンばかり。

 

こういう二大女優対決みたいな構図は、

 

ずいぶん久しぶりなんじゃないかって。

 

これが実話に基づいた物語だとしても、

 

その真実だとかジョーのバックボーンとか哀しみとかはね、

 

ゴメン!もうどうでもよくって。

 

それとトッド・ヘインズ監督の画作りが、やはりお見事なんで。

 

ジョーが白人だったら、こうは映画化されなかったかもだけど。

 

彼をかなりバカにした感のエリザベスですから。

 

ハリウッド二大女優の映り合い、競い合い、

 

監督の映画作りが純粋に楽しかった作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もが

 

幻想(キメラ)を

 

探してる

 

 

 

 

想像できる女神像の頭を海に投げ捨てた後を描くのが、

 

アリーチェ・ロルヴァケル監督。

 

トンネルの中でアーサーが赤い紐を見つけた時は、

 

(一旦切れると、あ!なんて声まで出て)

 

さすがにちょっと鳥肌が立ちました。

 

 

歌曲も多く、聴き応えがあって、

 

特にトライアングルの演奏や音色は印象的。

 

列車が映画「異人たち」と同様に、

 

死者たちと繋がる装置なのも興味深い。

 

廃駅は再出発の拠点だしね。

 

80年代トスカーナ地方の田舎町の雰囲気も好ましい限りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛おしい空想と

 

ほろ苦い現実

 

 

 

 

黄昏の港町に、ジャガイモが転がり鹿が現れるのだ。

 

哀愁たっぷりなこのロケーション

 

(ポートランドからほど近く、名作映画『グーニーズ』の舞台としても知られるオレゴン州アストリアの閑散とした港町:HPより)

 

に、まず惹き込まれた。

 

デイジー演じる主人公フランの心象風景にも思えてきてね。

 

掛かる楽曲も徹底的にノスタルジック。

 

そうした土地柄か、フラン自身をはじめ彼女の人間関係に

 

大きな変化が映画的にも起こるわけではない。

 

けど映し出されるこの港町が(ほとんど曇天だけど)

 

ホント素敵で、彼女がときどき空想すること以上に雄弁なのだ。

 

撮影はダスティン・レーン。

 

ロバートとケンカ別れしたあと、家に帰り過呼吸の嗚咽をもらすと

 

足だけで脱ぐパンプスの色とか汚れ具合や、

 

朝をむかえた町の表情と射し込む陽に上アゴ丸見えの大アクビをひとつして、

 

昨晩の姿のまま床でぐいっと伸びをするフラン。

 

このシークエンスは、彼女の存在をぐっと身近にして見事でした。

 

監督はレイチェル・ランバート。

 

この名シークエンスだけでバミろうと思います。

 

デイジー・リドリーは本作でプロデュースもしていて、

 

監督、撮影ともども期待してしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ真夜中のパリオリもはじまったけど、

 

(いつでもスマホで再生メルシー!)

 

北野監督の新作!がヴェネチアで正式上映のトピックも

 

愉しみでうれしい朗報です。