まあ正直な話、今回は失敗だったとは思ってるんよ。漠然と考えていたこと、つまり進化論は正確ではないということと、自分が老境に差し掛かってくると、世界が発展し続けるという現状では当たり前の世界観があまりにばからしく見えてきて、むしろいつか滅びることを前提にした人の覚悟が必要なような気がするということ、この二つの考えがあって、ストーリーなんかは全く見込みの立たぬまま。とりあえず書いちゃった。だから失敗なのだが、まあここは私が自分の文章力を上げる場であると半ば決めてあるので、失敗かどうかはどうでもいいやという感じ? たぶん、もう少し以前なら大学ノートにいろいろ書き連ねて、いやになって破り捨てるようなことを書き綴っておるわけだ。したがって、人に読ませるようなものではないかもしれない。かもしれないとは微妙な言い方だなあ。

 心持としては、プラモを作るとか、一人でゲームに打ち込むことと似ている、自分の中では。本気でやり始めると、たぶん人がどう見てくれるかということとは無関係になる。いや、まだ本気度が足りてないと言えばそうなんだが、まあなんだってこの程度だ。

 そういえばクリフォード・D・シマックのThe Cityは大好きな作品ではあるのだが、遠い将来に犬が人の文明を引き継ぐという設定になっている。だからほのぼのとした雰囲気にならざるを得ないのだが、しかし犬が次の覇権を握るということはあり得ない気がしている。なぜなら、恐竜の後は哺乳類だし、それ以前も三葉虫だったり両生類だったり、とにかく同族が覇権を継ぐということは余り考えられない。今の覇権種族とは無関係のところから次世代が出てくると思っている。

 よく言われる、人が滅びてゴキブリが栄えるとか、鼠が生き残るとかは、ありえない。ゴキブリも鼠も、人が生活する環境でうまく生き延びている。人に守られているところがある。どちらも野生の中では本当に片隅に逼塞し天敵の餌食になり続ける存在で、人がいなくなればかなり弱い。犬もそれに近いところがある。人類が進化の駒ではなく、環境として存在する限り強いだろうが、そうでなければ優位であり得る理由はないだろう。

 ありえるのはジュラ紀で最も強かったアロサウルス(知識が更新されてないので。今は違うのかな?)が白亜紀にT・レックスに置き換わったように、人よりも高い知能の哺乳類ということなのだろう。すべてのSFがその方向で考えてきた。つまりミュータントだ。でもT・レックスはアロサウルスの進化系ではない。だからこの線も違う。

 まじめに正論をぶつけるほどのことではない。ただ、もっと根本的なこととして、これまでの進化の歴史は、強さで圧倒する者が勝つという形態をとってきた。人の知能も、それが武器として役立つからだ。完全に物理面の優位以外の方向で、強くあれることを発見したわけだ。でもそれは適者生存という進化論の規格が強いた考えであるかもしれない。

 進化論は、どこまでも合理的であろうとしている。だけど、その合理性に偶然を持ち込もうとしている。進化は偶然の積み重ねで、しかし結果は合理的であると主張する。つまり、数学もしくは物理学で進化を語る試みであろうとしている。だからそこが全体のいびつさになっているのではないかと思う。

 何を主張したいのかわからなくなっているが、たとえば、犬やゴキブリが現在繁栄(?)しているのは、少なくとも弱肉強食という意味で強いからではない。適応していると言えばそうなのだが、何を適応とするのかと言うと、現に繁栄しているということになる。これはトートロジーなのである。あとはいろいろ理由を挙げて、このトートロジーを補強すると、筋の通った理論らしくなる。

 偶然の積み重ねが必然になるという理屈は苦しいのではないかな。たとえば自分は父と母の組み合わせからできているのだけど、自分がこの世に出てくることはとても必然とは言えない。偶然だ。では、結局は偶然が最後には勝っている。進化論の根本は、人がこの世界の支配者であることに合理性を持たせるための理論体系ではないか。