高次元を否定することは、誤解を招きそうな意見ではある。今できないことが、技術の発展によって可能になることはあるだろうからだ。テレポート、つまり物質転移はいずれ可能になるかもしれない。それが可能になれば4次元は証明されるのか。そうはならないのではないか。それはこの3次元世界内で完結するものであって、4次元は使わないだろうと思うのだ。もちろん説明的な理論として、高次元の概念は混じるかもしれない。しかしそれは直角に交わる三つの線全てに直角になるという意味での四つ目の次元を持つ、現実としての空間ではない。

 そもそも、この3次元世界という書き方が、本当は好きではない。次元とは要するにパラメータの数に過ぎない。それはなにかを表現するための人為的手段であり、この世界に三つの次元があるわけではないと思うのだ。縦横高さの定規をどうあてがってもよいわけだから、事実上無限の次元があるという言い方でもよいではないか。つまり世界は目に見えるこういう風にあって、それを現代人の多くは3次元と呼ぶということだ。

 仮想空間であっても、理論としてあるなら存在と認めてもよいという意見はわかる。ただまあ、現時点で物質転移装置は実現する可能性はなさそうなので、そこまで強く否定しておく必要はないし、逆に過剰に肯定的になる必要もないことではある。

 また繰り返しになるが、高次元空間が実在するという論法として、以下のような擁護がありふれた形だろう。ある人間の個性を、例えば四つのパラメータで表現すれば4次元的存在であり、五つのパラメータを使うなら5次元的存在となる。年齢、性別、身長、人種を入力パラメータとするならその人は4次元的人間であるし、これに職業を加えて5次元の存在として記述することも可能だ。次元とはこのような思考法のことであり、宇宙を高次元で記述する科学に抵抗を感じるということは理解しがたい視野狭窄と言えないこともない。

 しかしながら例えば人種と職業とを直角に交わらせた座標上に描く操作は可能だが、実際にこの二つが世界の中で直角に交わっているなんてことはない。このように言うことが冗談にもならない程度にばかげたことだ。だとすれば、この二つのパラメータは空間における「次元」とは全く別ものなのである。私たちは、空間的に作画された図表上に、いろいろなパラメータを、視覚的情報として表現できるという、それだけのことに過ぎない。パラメータそのものが実際の空間で直交しているわけではない。

 高さ、幅、奥行きのパラメータは実際の空間で直交している。3次元とは、空間内のある位置を指定するために基準点からの距離を示す三つのパラメータが必要であるということと理解できる。全く独自の座標系を考案して、それは位置指定に四つのパラメータを使う必要があるとする。この座標に三角錐を置いてみて、では三角錐の形が変わるのか。変わるなら、私たちはその座標系は不正確であり役に立たないと言うだろう。2次元であるとか立体的存在であるとかいうことは、比喩を廃した厳密な意味で使うならものの形についてのみ語れるのであって、形以外の性質を巻き込むべきではない。

 超弦理論について詳しく語るつもりはないが、これが高次元を扱う理由は二通り考えられる。身の回りにあるありきたりな大きさの物体のごとくには位置を特定できる対象ではないということから高次元が必要なのかも知れないし、あるいは形や位置以外の性質を表現するために付け加えられたパラメータなのかも知れない。いずれにしても、例えば超弦の代表的な解の一つであるところの9次元であることは比喩であると言えるし、存在論にまで敷衍した主張は完全に間違っていると言い切れる。無知ゆえの乱暴な決めつけと驚くかもしれないが、一般人の感覚ではそうなる。そもそも超弦理論が単なる解(これは理論としての場所を指す)ではなく高次元を直接要求するという考え方は、相対論の名目上の成功から安易に高次元を現実のものとして語る悪習が蔓延した結果であると思われる。そしてしつこく繰り返すが相対論が正しいという可能性は、全くない(一応個人的見解であると付け加える程度の謙虚さはあるつもり)。

 不思議でならないのは、4次元の存在は無条件に下の次元にアクセス可能であるという想定だ。それが事実であるなら私たちは2次元世界を目撃しているはずである。しかしそんなものは断じて存在しない。少なくとも、アクセス可能ではない。本当に幅のない線を引くことはできないし、全く厚みのない紙を見ることもできない。

 これに従って類推するなら、4次元世界なるものがもし存在したとしてもこの3次元とは無関係である、ということだ。従来それは、私たちは4次元世界の事象に触れることができないという、逆の形で理解されてきたが、4次元の住人こそが私たちに触れられないという理解が正しい。それを言うなら2次元の住人同士は触れあうことすらできないのだが。なぜなら触れるということが3次元の性質だから。