3次元と4次元は同じであると、ある意味で言うことができるだろう。ある意味でとは、数学的な処理のことを指す。では4次元が存在するということでよいではないかと思うかもしれない。しかし写像関係であるとは、4次元の現象はすべて3次元にあらわれているということだ。しかし4次元をわざわざ持ち出す理論は、隠れた何かがそこにあると言いたいがために架空の次元を持ち出すわけだろう。そうでなければ意味がない。すべて4次元はある種の神秘的な理論を言うためにある。

 例えば遠い所へのワープは4次元を経由するということが一つの常識だ。時間を超えることも4次元を利用すればあり得る。まあ私の体も心も写像関係で他へ移せるなら4次元を持ち出すこともなく可能と言ってしまえるわけで、しかしそれではいかにも作り事でしかないから「4次元空間を経由して」と付け加えればもっともらしくはなる。宇宙戦艦ヤマトも銀河英雄伝説もワープとは四次元を迂回する航路のことだった。藤子不二雄Fの21エモンだったと思うが、白い紙の対角に点を打って、この点どうしの最短距離はなにかと尋ね、回答は紙を折り曲げてくっつけるというものだったと思うが、これが要するにワープの考え方だ。しかしどこかおかしい。なぜ紙(この場合で言えば3次元空間)が曲げられることが前提なのか。いやそうではなく、曲がるのは4次元のほうであると思うかもしれないが、では逆にそちらならなぜ自由に曲げることが可能であるのか。もしくは自由に通路をこしらえることが可能であるのか。AとBをつなぐ線分(1次元世界)は紙(2次元世界)の中の最短距離である。したがってこの線分をはみ出す行程はすべてそれよりも遠回りになる。つまりワープとは全くのたわごとである。

 あるいは、エンターテインメントの小技に過ぎないものに過剰に反応しすぎと思うかもしれないが、実のところ科学畑においてもホワイトホールというものが話題に上がっていた。つまりブラックホールに吸い込まれた物質が4次元の通路を通って再びこの宇宙に吐き出されるある特異点が存在するというものだ。これなどは余計に恣意的だろう。なぜならやはり3次元世界中心の考えにすぎず、4次元はほんのおまけの隠し通路的にとらえられているわけだ。しかし4次元がもしあり得るならこの3次元よりもはるかに広大でなければならず、こちらの世界がむしろおまけになる。しかし、紙に線を引いてみればわかるが、その1次元世界は、残るくまなく2次元世界に接触しており、そこから独立した要素はない。つまり2次元から隠れた部分は存在しえない。

 まあいろいろ理屈を言うことは可能だ。例えば曲線を描いて、その曲線上を辿れば距離があるが、カーブのところにもう一本の直線を引けば近道たりえる、ワープとはそういうものではないか、とか。それに対して言いたいのは、もし曲がった線があり得るなら、それは最初から2次元世界の存在なのである。つまりこの3次元世界が曲がっているとしたら、それは4次元世界なのである。しかしこの世界が曲がっているということは言葉の綾であり、数学的操作なのであって、それ以上のものではない。まっすぐな背景の上に置くから曲がっていると見える。つまり基本の世界はあくまでまっすぐなのである。非ユークリッド幾何学は、幾何学ではない。単なる計算式だ。なぜならそれは物の形を正確に描写しないからである。三角形は、三角形でしかありえない。違うだろうか?

 まあ、否定したくなる人が多いことは理解する。ただ、現実問題として、ここにある何かの物体を、遠くの場所に「写像」できないことは事実なのだから、実はその考えを言い換えただけの「高次元」は事実としては存在しないと考えておいた方がよいのではないか。それは思考上のゲームに過ぎない。