介護に六年ほど没頭した。老々介護といってよい程度の年齢だった。仕事を辞め、老母に尽くした。尽くしたという言い方は少し傲慢ではあるが私としては何の心の迷いもなく人生のすべての残力をここに注ぎ込んだという気持ちが強く、感謝もしている。もしかしたら、感謝していると改めていうことで、私の人生におけるさまざまのだめ人間ぶりが少し許されるような気がしているだけかもしれないとしても。

 彼女が亡くなって、私の人生の役割も終了した。あとは余生である。だが自由という気持ちはない。人にあらずと言うと、ちょっと卑下が過ぎるが、あまり人様の邪魔にならぬように生きていければよい。

 そういえば、運転歴は年相応に長いのだが、母を見送ってしばらく後、コンビニを出る時に縁石で擦ってしまった。こんなことは初めての経験で、案外精神がテンパった状態にあったのだろうかと思った。テンパったとは、古雅な言葉が好きな私としては使いたくないのだが、これがいちばん最初に出てきたもので、そのまま書いてしまった。この言葉、自分はtemperament、興奮しやすいとか不安定だったりする気質をあらわす英語からくる慣用かと思っていたが、どうやら麻雀の聴牌からくるらしい。しかし聴牌状態ならあと一つで上がりになるのだから行き詰まった気持ちとは違うのではないかという気がして、あまり言葉としてこなれてはいないのではないか。そうなるとやはり、普通に「精神的に追い込まれたようなところがあったのか」くらいの書き方が良かったと思いなおすのだが、まあいまさらよいか。

 人生の敗残者という位置は非常に居心地がよい。努力の必要がないからだろう。評価される必要がない。ただ、母には評価されるよう頑張ったわけで、私も最初からそういう覚悟を持って人生に挑んでいればあるいはもう少し何とかなったのだろうか。それは後出しの愚痴かもしれないが。まあ、いまさらもうどうでもよいことだ。

 母の体力の衰えを、私の死期と重ねて考えていたところがあった。介護の後のことは全く頭から消えていた。そこで介護ではない突然の日常が始まった。だから追い込まれていたのかなどと大げさに言わず、気持ちの切り替えに手間取ったと言えば済むことかもしれない。何でも書き方ひとつだ。ただ、存在論的な不安定さと言ってしまうと、気取った表現のようにとられてしまうだろうが、私にはそのようなところが確実にある。どこで生まれたのかも誰と誰の間に生まれたのかもよく知らないままに育った。今は一応わかっている。わかっているはずということに、公式ではなっている。母の死亡に伴って、様々な書類を書く必要があって、母の戸籍を順番に取り寄せていったから、おおよそこんなものであろうという道筋は見えた。でもそれは書類上のことであって、本当の履歴はわからない。記憶と戸籍上の居場所が一致しない。笑い話のようだ。

 こういう自分でもつかめない不安が原因なのか、あるいは生まれてしばらくの間充分な愛情を感じられなかったことで精神の不全感があるのか。前者はとても観念的で、ある程度のしっかりした自意識が必要かもしれない。私は自分で特にそのような意識を抱いたことがないから、それは的外れのような気はする。では後者なのか。でもそれを言うことは、大変申し訳ないという後ろめたさが残る。誰に対してなのか。それがよくわからない。大げさに言うと人類すべてに対して申し訳ないように思ってしまう。つまりそれは単なる愚痴であり泣き言である。私は、自分の弱さに負けただけだ。

 こう書いてくると、ちょっと観念的すぎるな。どうも、自然に書けない。