点とは無限小の一点ではなく、場所のことであると言ったとして、何が変わるのか。思考の方向だと思うのだ。

絶対的な基準が存在しないという意味は、実存にかかわる場合と広い意味での言語にかかわる場合とでは、全く異なる意味となる。同じ場所、という言葉が正確ではありえないことをはっきりした言葉で最初に書き残したのはコペルニクスだった。地動説の概念を敷衍してゆけば自然に思い至ることであろうから、地動説も当然に唱えられていた古代ギリシアにも近い考えの人はいたのだろうが、とりあえずコペルニクスの説が明快だ。

 地面のほうが動いているということが、それこそ驚天動地の発見と言われるが、ギリシア人は井戸に射し込む太陽光の季節による違いから太陽の大きさと距離を測っていたという。かなり現実的に地動説が導き出されていた。人は、地面が動くことに気づけるはずがないという近代の話こそが、非常識ではないかと思う。万有引力を知っているから素直に受け入れているだけなのだろうか? これは、その知識を先に得ているからには、よくわからない。そういえば「三国志演義」に若い曹操(劉備だったかもしれない。なさけなくも忘れている)が星空を見上げて銀河は(黄)河よりも大きい、自分は何とちっぽけだと慨嘆する場面があって、しかし大陸で河と言えば向こう岸も見えぬほど広漠としていて、しかも多分源流がどこかも知られていない、星屑がそれよりも大きいという知識はないのではないかと感じたのだが、もしかしたら星は遠くにあって巨大であるという知識は明代(演義の成立した時期)には存在していたかもしれない。ただ、私が読んだのは吉川英治版であったから、その時は吉川の時代感覚が間違っているのだろうと思っただけだった。原文にあるかどうかはまだ確かめていない。もしあるのならたいしたことかもしれない。でも、センチメンタルな心理描写は吉川の付け足しなのだろう。

 ところでコペルニクスの考えだった。その言うところによると、私たちが同じ地点と認識しているところでも、宇宙の中では違う場所になる。例えば知人と飯田橋駅で別れるとき、来週この場所でまた会いましょうと約束する。この場所とは早稲田通り側の出口を指す。しかし地球は太陽の周りを廻っているし、その態様は銀河系のオリオン腕の動きに伴って、どうやらヘルクレス座の方向へ猛烈な速度で移動しているらしい。さらには……というわけだ。視点を広げるにしたがって、その同じ場所とやらはだんだん速度を上げて手の届かないところへ逃げてゆく。同じ、という概念はどこに基準を置くかで相対的に決まる。ただし、もちろんコペルニクスは太陽系のことだけを考えていた。だからこそ彼の宇宙観が不思議ではあるのだ。

 生活空間にさほどの変化が観測されない場合、それを絶対的なものとみなして、神楽坂と外堀と少しだけ見える病院棟があの時と相同の関係にあるこの場所が同じ位置にあるということに間違いはない。しかしもし宇宙規模でそれが絶対的な事実であると考えるなら、その基準を共有してくれる人はいないだろうし、これに時間の観念を絡めると、ますます「同じ場所」ということの無意味さに気づかされる。

 不思議なことには、彼の想定したこの相対性をニュートンは捨ててしまった。ニュートンはあたかも空間や時間それ自体に目盛りが刻みこまれているかのように扱った。これを不思議と感じることへの説明が必要かもしれない。コペルニクスはキリスト教信者らしく、有限の宇宙観の持ち主だったということだ。ネオプラトニズムとキリスト教義が合体して以来、無限、永遠、絶対的、などと言う属性は神のみの持ちうる性質であり、被造物は有限でなければならない。

 有限の規模の宇宙の真ん中に太陽があり、それをめぐって内惑星、地球、そして外惑星が正確な円軌道を描いている。たくさんの恒星は宇宙の果てを区切る外壁に張り付いている。その外は天使の座か、神のみそなわす場所であったのだろうか。これが真情を伴う謙虚な不可知論であるか、キリスト教の権威への妥協的な世界観であるかは即座に読み解きがたい。

 いずれにせよ、もし宇宙が有限であるなら、場所に対して絶対的な座標が与えられるはずではないか。有限でありながら外との境界が存在しないという、非ユークリッド幾何学による三次元の記述は、もちろんコペルニクスの知るところではない。もっとも、有限でありながら果てのない三次元の空間を分かりやすくするため、次元数を落として球の表面のイメージで語られることはある。それでも地球に経緯度線を張れるように、座標を与えることはできよう。ましてや中心が太陽であるのだから、そこから同心円状に距離を割り振ってやればよい。