もう少し先まで考えてみる価値がある。移動する観測者に対し、追いかける形と、向かう先からのものと、二通りの光線を当てて、その光速度が一致するということは実現可能なのか。可能であるならば、列車の内外での同時刻のずれについては、考案者の軽い思い違いで、相対論の本体は傷つかずということになる。その可能性はある。

 ただ、この問題については、相対論の三種の神器を確認しておく必要があるかもしれない。それはつまり、以下の三つ。速度が上がることによって、時間が遅れる。進行方向に縮む。質量が増大する。

 これらの概念の組み合わせで何が説明可能になるか。同時ということのずれがうまく導き出せるのか。

 回り道のようだが、この三概念をどう理解するべきかをおさらいした方がよいのかもしれない。時間の遅れだけで導き得なければおかしいとは思うのだが、しかし何か補足的な理論が可能なのかもしれないと、そしてそれは実際にどこかで考案されているはずであろうと、多くの人が思わされている。

 まず時間が遅れるという理由。これは既出であるが改めて書く。次の「進行方向に縮む」ということとの関連を考える必要があるからだ。

 一台の自動車がaを出発点に、左から右へ移動する。その屋根にはライトがついており、上に向かって光を放射している。距離xを移動したとして、その光の軌跡は車外の人にとって斜めのzとなる。車内の人にはその光は垂直なyの軌跡として見える。相対論においては、光の速度は誰にとっても同じであるとされるので、yの軌道とzの軌道は、長さは異なるが、どちらの光も同じ速度でなければならない。するとここで、移動する自動車の中から見る視点と、外で見る視点とで、時間の刻み具合が違うという主張になる。

 つまり静止した視点の人が見る時間感覚でzの長さ分だけ進む光が、動いている人からはyしか進んでいないように見える。移動する物体の時間の進みが遅いとは、以上のような意味になる。

 では、その時間はどういう比率になるのか。車の外にいる人の時間をtとし、車内の人の時間をt‘とする。

まず、x、y、z、の関係はピタゴラスの定理に従うわけだから、

z²=x²+y²

 となる。ここで、

x=vt,y=ct‘,z=ct

 と置くことができる。cは光速度という意味で、tは車外の人の時間感覚、t‘は車内の人から見た(つまりyを光の軌跡と見る)時間感覚ということになる。この前提から、tとt‘の比率を求めることになる。

(c t)²=(c t’)²+(v t)²

 なので、

(c t’)²= (c t)²- (v t)²、つまり、c² t’²=c² t²-v²t²=t²(c²-v²)

 両辺をc²で割ればよいので、

t’²=t²(1-v²/c²)

 これで、t’=t√(1-v²/c²)、すなわちローレンツ変換式が導かれる。ローレンツ変換は、特殊相対性理論の文脈では、あらゆることの根拠として使われる。移動速度と時間の伸び縮みの関係。あるいは移動する物体が縮むこと。さらには空間がこの式の割合で伸縮すること。

 なぜ光が斜めに飛ぶのかとか、この具体例だけで時間を求めることができるのかとか、よくわからなくても構わない。この論法で光時計も考察されているし、単純に座標による、数学的に整理された説明だったが、半世紀前の矢野健太郎の解説もこのようなものだった。世界の大思想という中の一巻で、アインシュタインの思想をまとめていた。読んだ当時は、実に手際のよい解説だと感心した。今は疑問点しかない。しかし、批判はとりあえず措く。

 高速度ではものが縮むということは実はこの延長になる。というか、裏返しの関係になる。