相対論についておさらいして、少し付け足しなどして過去の思考を確認している間に、別の思考をなにか生み出せないかという下心も少しはあったりしたのだが、あまり頭が働かない。それはいつも通りではあるのだが、おさらいはなんか楽しい時間だった。だから、考え事はあまり進まなかった。いやまだ途中なので分からないが。

 あと、せっかくだからウィトゲンシュタイン全集を通して読み返したいとか、気になっている大作、カネッティの「群衆と権力」、ル・クレジオの「大洪水」、ベケット「名づけられないもの」とかブロッホ「ヴェルギリウスの死」とかユルスナール「ハドリアヌスの回想」とか、読む気満々なのだが、なかなか頭に入ってこない。

 一つには、これらの日本語訳はすでに古書店にしかなかったりするし、新刊なら相当高価で、安い英語版ダウンロードでそろえてしまった。しかしどう考えても英語の本を日本語と同じ速度で読むことは私には難しいらしく、ただでさえ乏しい集中力を要求されてものぐさな私は疲れてしまう。前にも書いたかもしれないが、千円二千円を節約したつもりで、時間がかかってしまうのは、果たして得したことになるのか。まあなんだ、永遠に生きるつもりで勉強しろという箴言は守られているような気がする。ガンジーだったっけ?

 そんなわけで、ついついコミックを開いてしまうのであった。ラノベ及びそのコミカライズを楽しめるようになったということは、私も年取ったんだなあと思う。逆ではないか、むしろ幼児性への退化ではないかというかもしれないが、そうではない。あれらの作品は時代劇と同じだ。うまく定型に落とし込んで、そのお決まり感を楽しむための作品だろう。つまり助さん格さんの無敵ぶりと水戸の御老公の印籠での締めでどんな途中経過も、無事に収まることがわかっている、安心安全のストーリーである。こういう場合予定調和という言葉が使われることが多いが、ライプニッツの概念は少し違っているので、書きそうになって止めた(知識自慢うるせえよ)。

 いまさら積ん読が増えてゆく。