ハイエクが挙げているドイツ政治思想の悪いところ。ヘーゲルかマルクスか。リスト orシュモラー。ゾンバルトまたはマンハイム。これらの二種択一を迫られると説く。なるほど一人として参考に値しない。現代の目には多少の不満があったとしても、やはり英語圏のバジョット、トクヴィル、ミルなどを読むだろう。それはもう絶望的に精神性が違う。

 同様のことを哲学的な著作にも感じる。イギリスの経験論とアメリカのプラグマティズムは、議論が精緻とは言えないので、とかく人気がない。外連味に乏しいともいえる。しかしドイツ哲学の迷妄さに比べるとなんと透き通って見えることか。この点では近代フランスもひどいもので、全く議論の体をなしていない。

 間違っている度合いというのは、実はあまり違いはないような気もしている。ただ何と言うか、オープンな感じがする理屈と、権威主義的に論じ籠めようとする態度の違い、という肌合いの違いはありそうだ。

 気質の違いが正否を分けることはないのだろうとは思う。思うのだが、示唆的以上の何物かがここにはあるようにも思う。正しいと感じるのは私の親和性によるものか、それとも実は根拠があるのか。間違っている度合いは同じくらいかも知れないと書いたとおり、個人の好みの可能性はある。しかしハイエクもドイツ系の政治思想に嫌悪感を示している。つまり明らかに間違っていると言いたがっている。英米及び日本は海洋国家と定義され、欧州内部は大陸国家とされる。自由に対する思考が全然別物であると地政学では言われる(米国は地政学では「島国」である、意外かもしれないが。理由は、外国とのつながりが船頼りであること)。だから政治思想でその違いが出ることはわからないでもないが、哲学でもそうなのか。

 もしかしたらだが、英語圏と日本語からだけ、未来に通じる思考が出る可能性があるのかもしれない(言い過ぎ?)。 あともう一つ、二十世紀の最先端の世界観的な科学理論は圧倒的にドイツ人とユダヤ人が担ってきた。で、私はたぶんそれらはでたらめだったと思っている。

 でも日本人、ドイツ思想好きだもんな。なんか妙に格式張ってて。