毎日これは結構な発見したと思って、だいたい千文字を目安にお気持ちをそこに乗せて、どやって感じで上げるのだが、読み返すとだいたいそうでもない。自分の求める文章の密度に達してない。そもそも大した発見ではない。深夜の思い付きは翌日に見返すとだいたい白けた気持ちになると昔から言われる。私はそのような経験はない、皮肉な意味で。昼も夜も関係なくくだらないことしか思いつかないからだ。

 新しいこととはいったい何だろう。そんな力が己の中にないことは知っている。私は特殊でなければならぬという思い込みにとらわれすぎているのだろうか。それはもしかしたら平均的なことさえできない自分へのあきらめと絶望感があるからなのか。

 猫の動画があってその中でかわいいしぐさを見せていて、それを十万人が見るとしたら、その何気ない動きだけで私が生涯をかけてやってきたことよりもはるかに価値があることになる。それはそれでよい。なぜなら世界中に知られて影響を与えられる人物がいたとしても、たかが私の数十億倍の価値でしかない。それは宇宙全体に比べれば誤差の範囲だ。

ひょっとしたら宇宙の大きさは、人が、自分の価値観に絶望してしまわないようなところに設定されているのではないだろうか。これはさすがに難しい説だとは思うが、まじめに突っついてみる価値があるだろうか。宇宙が完全に偶然的で無機的なら、これは難しく言っているようだが要するに、現代の科学理論が完全に正解なら、全くのお笑い種である。しかしたとえ神ではなくとも、宇宙全体の目的とかかすかな意志みたいなものを想定できるなら、途端に現実的な解であり得ることになる。

 この思考は冗談ぽい。私は誠実でありたいとは思う。つまり騙すとかわかったようで意味のない単語を並べてそれらしいふりをする悪い趣味はない。嘘というのは趙高が鹿を馬と呼んだことのような場合で、それらしいふりをする悪い趣味とは、申し訳ないがポストモダンにまつわる様々の言語様態。あとは偽善があるか。

 それらに陥らぬように気を付ける。しかしそのつもりで考えていても、真実性の濃淡はある。

 

 割とダウナーな気分で書き始めたが、理屈っぽいことを考えていたら調子が戻ってきた。その空気は伝わるだろうか。