匿名性で世界を変える必要があるということは、無名の人間にとって、つまりごみでしかない人間(別に貶める意図はない、すべて人は風に舞う塵のようなものでしかない)である一個人にとって、生きる意味があるのかというところに直結しているような気がするんだ。人がdust in the windだとしたら、人に大きな影響を与える力のある個人はいくつかの子分をまとって動く、まあ泥団子みたいなものだろう。

 それでも、塵よりは団子の方がましなのか? つまらない問いか。

 私は、自分の知らない知識を求めるのか。それとも、ある程度予想している通りのことを、そっと後押しする書物を求めるのか。前者にはとても否定的な気持ちが勝ってしまい、無味乾燥で面白くもなく、あえて言うなら無価値な文章にしか思えず、私は投げ出してしまいそうに思う。後者についてはどうだろう。何度も読み返す文章もコミックもたくさんあるが、私はなにかを確認しているのだろうか。むしろ気持ちを微調整しているようなところがある。気持ちであって、理論的なものはそこにはない。

 最近ふと、ものすごく当たり前のことに気づいてしまった。それは、順調にいくとあと二十年くらい生きるのかもしれないということだ。いまさらのことなのだが、介護をやってて、介護終了までが自分の人生と決め込んでいたから、ずっとそのままの気持ちが持続していた。だから、なんというかな、こういって伝わるだろうか、「なんか終わらねえなあ」という妙な残念感が毎日に付きまとっている。

 わかりきった話なのだよ。普通に続くということは。でも心がずっと焦りのモードだった。

 だから少し落ち着いて本を理解したいなと思った。ただそれだけの話なのだが。まあ、やることが変わるわけではないんだけど。

 あと、自分は集中力の持続しない、踏ん張りの利かない人間であることが改めて実感されてきたので(暑さのせいではなさそう)、なおさら焦りは禁物だな。と、自己都合のいいわけで、十年後やっぱり後悔してそうだが、みんな同じだよね? 同じだと言ってくれ。