高校の卒業式仲の良い友人や先生に大学生になったらブログを始めようと思うと相談したことがある。皆私の文章力が低いことは知らなかったようだが他人よりもよく回る口については知っていたため、いいのではないかと背中を押してくれた。

しかし、大学生活も色々あり想定していたよりも遅く始めることになってしまった。

目まぐるしく変わる毎日というわけではないがそれなりに忙しく過ごしていた。

一番の変化は友人関係である。

上京し、新しい友人ができた。しかし、これは高校から入学してきた同学年の人に言われた言葉だが"温室育ち"のクラスで育ったため、いまいち新しい友人の作り方も分からなかった。

「なんとなく」

で友達をつくり

「なんとなく」

で会話をする。こちらが申し訳なくなるくらい趣味が合わない人に出会う。そのたびに私はいままでなんて狭い世界で生きていたのだろうかと思い知る。前まではこの点で億劫になり心を閉ざしていたがなぜか今は「まあ、そういう人もいるよね」と思えるようになってきた。私は私でしかないが、それと同時にその人もその人でしかないのだと、ある日突然悟りを開いたように理解できた。

おそらく去年の春の新しい友人との出会いにより少しだけ人として成長できたのだ。類は友を呼ぶ。その通りだと思った。

 

浪人が終わり大学生になった友人と春休みに遊んだ。SNS上でのメッセージのやりとりや電話をしていたとはいえ、顔を合わせるのは1年ぶりだったためとても緊張した。でもなぜか当日行きたくない気持ちになってしまったが飲食店を予約していたため向かうことにした。電車の乗り合わせの関係で当初の時間より少し遅刻してしまったが友人は許してくれた。

だが、飲食店の予約時間前にやりたいことを前日に決めていたにも関わらず、友人は駅前の通りを見たいと言い私も着いていった。高校生の頃もそうだったのだが、なぜかこの子の前では自分が自分でいられない感覚がある。ひっぱられているというより、振り回されている。このことにもっと早く気づけばよかったと思った。

友人の見たい店に行きたくさん話をした。予約時間になり飲食店に向かった。予約したお店が食べ放題のお店だったのでたくさん食べていたら友人に「食べてばかりで急に話さなくなるよね」と言われてしまった。私はこの時になぜそれを気にするのかがよく分からなかった。もうすでに私と友人の間には心の距離ができていたのかもしれない。

飲食店を出て今度は私の行きたい店に向かった。全部で三店舗あったが近いところから行くことにした。たくさん食べたためお腹はいっぱいだがどうしても行きたく足を延ばした。私は、すごく楽しかったが友人は違うようだった。二店舗目に向かう際に使った道がお気に召さなかったらしく帰り道は違う道を行こうと言われた。別に気にする必要も土地勘もないのに私たちは遠回りして三店舗目に向かったが、店に入ったのは私だけだった。ある駅の前を通過したところで友人はここで待っていると言ったのだ。ここまでついてきてくれてありがたいと思ったがあまりにも突然の申し出にびっくりしてしまった。そうだ、この子はそういうところがあるんだった、と自分で自分を納得させ店に向かった。お店はビルの中に入っており廊下から夜空と駅と民家が見渡せた。そこから見た景色がなぜか私は悲しくなり気づくと涙が頬を伝っていた。やっと一人になれたからかもしれない。そこそこ高い場所だったので今、ここで飛び降りてしまいたいと思ったが事件になってはまずいのでぐっと踏みとどまって友人のいる駅に戻った。

そこから電車移動したい友人にもう帰りたいという気持ちをあまり考えずに済むように歩いて向かうことを提案し承諾してもらった。しかし、友人は突然家族に電話をかけ夜ご飯も食べてくると伝えていた。私はひどく震えたがうまく笑ってごまかした。本当はもう帰りたかった。やらなくてはいけない課題があると言い解散の方向にもっていくこともできたのに、なかなか会えないしなと思い友人と夜まで過ごす方を選んでしまった。今思うと私はここで帰るべきだったかもしれない。

歩いて向かった先は繁華街であったがチェーン店の喫茶店に入店した。ここでも友人の話は止まらず疲れていたためなあなあな返事で返し、今日一日の友人の話を注文したコーヒーを飲みながら振り返っていた。

私と友人は学校が同じだったというだけでバックグラウンドが真反対と言っていいほど異なる。それ故にやや閉鎖的な空間である学校では仲良くなれたのかもしれないが、お互い新生活を始め異なる生活サイクルを行うにつれてややズレてきてしまった。話の内容は高校時代の休み時間と変わらず恋愛話や最近あった出来事などだった。しかし、以前からもそうだったのかもしれないが友人が人のことを、主に私をやや見下しているような言葉を会話の随所から感じてしまった。友人にはその気はないのかもしれないが、私は気づいてしまった。気づいたからこそ苦しかった。

 

そこから先はうまく覚えていないが、帰りの電車で運よく座ることができたので自分の今の気持ちを整理することにした。考えて文章にせめて文字に殴り書きすることでなんとなく感じていたもやもやが明瞭になっていった。

友人も変わってしまったのかもしれないがおそらく私が変わったのだ。

このことに最寄り駅に着くころには気づけていた。帰り道なぜそうなのかをパンクしそうな頭で考えたところ一つの結論に至った。

今の周りの友人が全員優しいからだ。だから私の中にある毒素のような人を見下すような悪意があるものが薄まり、友人と話が合わなくなったのだ。私は周りの環境に適応することができたのかもしれない。そのため急に苦しさを感じたのだ、と。

心の底から楽しいと思える時間はもう高校時代で終わりなのかもしれない。しかし、大学生になっても人として成長することはできると思った。本当に仲の良い友人は他にもおり定期的に会うしみんな優しい。多分私に振り回されるのに慣れてしまったのか受け入れてくれているのだろう。今いる友人に心の底から感謝しながら、私は件の友人と適切な距離感で付き合っていくことを決めた。その友人とはもうなかなか会えないかもしれない。だが今はそれでいいと思った。自分が苦しくなるだけの人間関係はまた都会の夜に飲み込まれてしまいたくなってしまうかもしれないから。