今までは、よくかすめとることをしていた。
これくらいいいやろう、と勝手に思い込もうとしていた。
例えば、突然の雨
傘を持っていない
そこに誰かが忘れていたのか、捨てられたのか、
こわれかけの傘がトイレの中にあった。
誰もとりにくる気配はない
私はどうするだろうか。
以前の自分はそれをとっていた。
そのときの言い訳
ちょっと借りるだけ
捨てたんやろう
トイレの美化に協力
などなど
道徳的に、
あるいは
法律的に
利用するのがいいとか悪いとか
という
問題ではなく、
そのときの心の状態で、無理やり理屈をつけて行動するのようなら
やめた方がいい
なぜなら、
後味が悪くなるのは自分なのだから
例えば
認知症の人は
無理やり理屈付けをする必要がないので、躊躇なく利用するだろう
他人のものと自分のものとの区別がついていないくらいの子供もそうかもしれない
あるいは、
他人を利用して生きてきた人は何も感じないだろう。
楽に生きようと思えば
自分で創っている
いろいろな境界線を外す必要がある。
もし、言い訳をつくろうとしているとしたら、
それは、その時点の自分の気持ちに嘘をつく、不正直な状態であるので、
とどまった方がいい。
さまなければ、
後々まで後悔を引きづることになるのだから・・・
けれども、後悔をするのを恐れてもいけない。
なぜなら、
その後悔がなければ
自分の行動を修復するきっかけにならないのだから。
その後悔の気持ちを大事にしよう
なぜなら、
もうすぎた時間、やった行動は元には戻せないのだから。
逆につこれからは新たな後悔の種はつくらないようにしよう。
積極、すべては経験であり、
経験して、居心地が悪ければ
次の方法を試してみればいいだけのこと。
結局は、一番大切なことは人生をあきらめないこと。
何かを達成できなくとも
その方向に向かって、いのちを手放せば、
必ず、その後も続けることができる
なぜなら魂は永遠なのだから