2011年7月9日、10日と、復興地に行ってきました。

以前同様、自分の思った事を自分の思うがままにご報告させて頂きます。


7月9日。

今回、向かった先は、気仙沼、大島、仙台駐屯地。

気仙沼は、友達のマギー審司さんの出生地。

3月11日以来、故郷の気仙沼でマギーさんが支援活動をしてきた姿をTVやtwitterで見てきました。

僕も、3月26日に1度、岩手県の大槌町や宮城県の東松島市や石巻市に行き、支援物資の運搬を手伝わせて頂き、初めて訪れた被災地の変わり果てた姿を目にし、支援活動に、より一層、力を入れ復興の手助けをして行きたいと思っていた所、マギーさんから、一緒に気仙沼に来て貰えないか?との提案があり、今回に至ったしだいです。

気仙沼。

この震災が無ければ、ひょっとしたら伺う機会が無かった街だったかもしれませんが、震災から4ヶ月が経ち、初めて訪れた僕の感想を率直に言います。

「まだこれしか進んでいないのか・・・。」

気仙沼に向かう途中、南三陸町を通って来たんですが、震災から4ヶ月も経った街の姿とは思えないほど、何も進んでないように感じました。

もちろん、道を遮っていた瓦礫や、津波で流された車などは、整理され、集積場に運ばれてはいましたが、メインの道路以外の、住宅地があったであろう場所で倒壊し波に攫われた住宅の瓦礫は、未だ、手の付けようが無い状態の場所も多々あるように見受けられました。

海岸より1kmほど離れた街道を走ってるんですが、4ヶ月前までは、建物に阻まれ、見えなかったであろう海岸が見える状態が、続いていました・・・。

今回、一緒に同行してくれたTAKUROが、その光景をみながら、何度も「この場所から海が見える事が信じられない・・・」と言いながら、深刻な顔で窓の外を眺めていました。

衝撃的だと思います。

でも・・・。

初めて僕がこの光景をみた時は、震災から2週間後。

最愛の家族が行方不明になり、自分の家があったであろう場所の付近で、家族を捜す人達・・・。

自衛隊の方々が、いたるところにいて、瓦礫を丁寧に撤去し、行方不明者を捜索している状況でした。

愛する人達を必死に探す人達の姿を見る度に、胸が締め付けられ、自分が今まで経験して来た全ての常識を遥かに逸脱していて、脳が理解出来ない状態に陥り、感情とは無関係に涙が滲む状態が続いていた。

現実を受け止めることができなかった。

今回改めてこの光景をみた時に感じた、静寂さや、物悲しげさ。

自衛隊の姿が消え、人の姿も消え・・・。

大きなショベルカーが瓦礫の整理をしているが、あまりにも瓦礫が多過ぎて、一向に作業が進んでないように思えました。

仙台を8時40分に出発し、気仙沼港に着いたのは12時10分。

マギーさんが待っててくれました。

そこから大島へ。

フェリーで20分。

甲板から「かっぱえびせん」を海に向かって投げると、かもめがナイスキャッチ!

かもめマスターは、片手で持って食べさせるみたいです・・・。

このフェリーの名物のようです。

マギーさん実践。



かなり盛り上がりました!

でも、ちょっと怖いね。

大島では、町長さんや自治会の方に色々聞きました。

震災時、気仙沼で起きた火災が、海を越え、大島へ。

消火活動や、防護壁を作る作業が1週間も続き、寝ずの対策を強いられ、孤立した島。

自衛隊員が大島に来るまで2週間もかかったと聞きました。

2週間、島に住む方々だけで助け合い、電気も、ガスも水も無い状況で乗り越えたようです。

ある日、プールに溜まってた汚水をそのまま飲んで難を凌いだと報道されてから、全国から、水の支援がたくさん届き、嬉しかったと言ってましたが、実は、ちゃんと蒸留して飲んでたようです。

震災時は、情報って大事ですね。

そうそう、大島では有名な子達がいて、震災以来、4ヶ月間、無償で大島で瓦礫の撤去などのボランティアをし続け、無償でこんな事をするそんなおばかな人はおらん!と言う事で、おばか隊と呼ばれ愛されてるようです。

実際、ボランティアの方々は最初の1ヶ月は来てくれたが、それからはさっぱり来なくなってしまったようで、早急にもボランティアの方々の手をお借りしたいと言ってました。

夏には観光に目処を付けたいようで、先ずは、瓦礫の撤去作業を手伝ってくれるボランティアの方を募集しているようです。

お問い合わせ先

気仙沼市役所大島出張所

〒988-0604
宮城県気仙沼市廻舘110
0226-28-2601

大島を後にし、気仙沼へ。

先ずは、マギーさんの実家へ。



ご両親、ご兄弟。

みんな、優しいオーラ、ばんばん出てます。

お父さんが、近くのコンビニからお茶やアイスを買って来てくれるんですが、いちいち量が多い(笑)

僕の父もそんな感じ(笑)

そんなマギー家のお宅を拝借し、ミニライブの練習。

軽く歌ってたら、マギーさんの弟さんの奥さんの啜り泣く声が・・・。

みんな、辛い思いをして来たんだな~・・・。

音楽で少しでも安らげる時間を提供して行きたい。

そう強く思いました。

今回、何故、気仙沼か?と言うと、先程お話しした、マギーさんの想いもありますが、以前、twitterで出会った階上中学校の3人組との約束を果たしたいと言う思いもあったからなんです。

不思議な縁。

でも、「僕達の中学校にも来て下さい!」その一言で、生まれる出会いもあるんです。

準備が整い、階上中学校へ。

ステージに立ち、驚きました・・・。

冷房の無い体育館に未だに避難生活を余儀なくされている方々がいる。

4ヶ月です。

信じられますか?

未だに体育館で、段ボールで敷居を作り、生活をしている方々が、まだまだいるんです。

4ヶ月ですよ!

1年の3分の1です。

仮設住宅云々じゃなく、体育館で生活をしなきゃいけない状況を誰かが先頭に立ち、変えて行かなければいけないと思いました。

国や自治体は勿論、避難場所を提供してる事で、するべき事はしていると自負しているのかもしれませんが、実際、自分がそんな生活を4ヶ月もできるのか?と、自分の身に置き換えて考える人が、いないのか?と・・・。

未だに避難生活をしている方達の朝食は、おにぎり・みそ汁・缶詰。

毎日、この生活です。

炊き出しをお願いしたくて、炊き出しが出来る場所を調べて頂いたんですが、炊き出しは、復興を目指し頑張ってる飲食店も多いので営業妨害になりかねない、そんな返答が返って来ると・・・。

わからないでもないが・・・。

自立したくても、職がない。

自立したくても、お金がない。

そんな方々は、毎日支給されるご飯を食べて、体育館で避難生活。

衣食住、全てをサポートすることは出来ないかもしれないけど、でも、「住」だけは、プライベートな時間や、体育館よりも涼める場所で暮らせる環境を提供する事は出来ないのだろうか?

少しでも良い環境で生活出来るようにして欲しいと、願うばかりで、自分が何もしてあげられない事に悔しさを感じずにはいられない・・・。

だからこそ、僕は、自分にしか出来ない事をしていけたらと思うんです。

ギター1本持って、歌いに行く事で、喜んでくれる人がいる。

楽しんでくれる人がいる。

安らぎを感じてくれる人がいる。

だから僕は、動く。

今回はtwitterで出会った3人組の思いが僕に届いたから、このような機会に恵まれたんです。

体育館で生活している方々のお邪魔にならないよう、生活スペースじゃないところで座って参加してくれた人をあわせると300人くらいいたんじゃないかな?

ステージから届けたのは、生きてく強さ・HOWEVER・BELOVED・I'm in love。

生きてく強さを大合唱し、マギーさんを呼び込み、TERU&TAKU&マギー審司のスペシャルコラボ・マジックショー!

暑いのに、あの衣装でのマジック!

3人とも汗だくです。

ず~っと嬉しそうに見てた奥さんと、3人組の1人をステージに呼び、ビッグマジック!

奥さんのブラジャーがするり・・・。

でっかくなっちゃった!!!(大爆笑)

その後、K1選手の小比類巻選手のスパーリングタイム。

中学生がスパーリングに応戦。

凄い笑顔でした。

「身体を動かすと心が元気になります!」by小比類巻選手

とても良い言葉だと思いました。

30分位歌ってたかな~。

最後にI'm in love。

お父さんやお母さんも多かったので、少し歌詞を変え、大合唱。

お~気仙沼~♪お~気仙沼~♪お~気仙沼~♪あ~いして~る~~~~♪

みんな歌ってくれました。

大変なことがあったけど、でも、それでも、気仙沼を愛して、気仙沼で生活する方達。

一緒に歌えて、僕は嬉しいです。

自分の生まれ育った待ちをず~っと愛して欲しいな~。

階上中3人組に別れを告げ、ステージを下りましたが、たくさんの方々に激励されました。

また来たいな~。


7月10日。

8時50分出発。

10時に仙台駐屯地に入り、活動の説明を聞き10時30分、演奏開始。

以前、この場所に来た時は、海上自衛隊に行く予定があり、待ち合わせ時間が迫ってると言う事で、挨拶だけさせて頂いたんですが、その時に、次ぎにくる時は、ギター持ってきます!と、女性隊員の方と約束をしたので、その約束果たしに来ました。

集会場のような場所に、マイクと椅子が置かれてあり、準備万端。

僕らが入る前から、盛り上がってる様子(笑)

待っててくれたんだな~。

毎回、ここ仙台駐屯地には有名人の方が訪れてくれるんだけど、説明を聞き、その後直ぐに復興地へ行ってしまうと言う事で、結局、滞在時間は長くても10~15分。

前の俺みたいな感じですね。

なので、今回のようにミニライブをやってくれた人がいなかったってことで、期待度もMAX!

朝10時半から、歌う事って滅多に無いんですが、頑張りました!

いきなりHOWEVER!

つかみはOK!

「北海道から来てる隊員さんも多いと聞きました。僕らが生まれ育ったあの場所を思い出しながら聞いて下さい!」

winter again。

みんな喜んでくれました。

ここで、小比類巻選手登場。

前の晩に、コヒ君ともっと上手くコラボするにはどうすれば良いか?をミーティング。

「アントニオ猪木で言うところの、燃える闘魂、張り手、あんな感じのをコヒ君でできないかな~?」

そんなひと言に、毎回、一緒に同行してくれるTOMOちゃんが、伝家の宝刀、ローキックの名称を「こひだま」って言うのどう?と・・・。

ナイスネーミング!

で、僕が当て字。

「呼火魂」

そう命名された呼火魂初披露!

隊員に「ローキックおみまいされたい人~~~!!!」

は~~い!!!と、数人が手を挙げたので、もう一声!

「今こそ、普段の鬱憤晴らす為に、ローキックでけって欲しいって言う人を指差して~!」

一斉に注がれる多くの指先(笑)

そんな人達を5名呼び、呼火魂炸裂!

多分、20分の1位の力だったと思いますが、重そうでした・・・。

みんな大盛り上がり!

そして、またまた演奏へ。

震災以来、激務の中、家族と共に過ごす時間が殆どなくなってしまった隊員さん達・・・。

「いつまでも奥さんや子供達を大切にして欲しいと言う思いを込め歌います!」

ずっと二人で。

泣いてる方もいました。

「最後になりますが、今回、みなさんのお力のおかげで、たくさんの方々が救われました。日本を助けてくれたみなさんに、ありがとうという気持ちを込めて歌います」


Thank you for your love


君の優しい声が 聞こえるような気がして 時々 祈るように夜空を見上げる

遠く繋がる空 君も見ているかな? この想い届けたくて僕は歌う


僕はこれからも、この想いを届ける為に、歌い続けます。

また、僕の歌が必要ならば、ギターかついで行きます。

どんな時も、GLAYを支え続けてくれたみんながいる。

被災に遭った街にもたくさんいるんです。

今度は、僕らがみんなを支えるばんです。



今回出会えた方々に、感謝です!

PS

まさかのアンコールに応えて、BELOVED・I'm in loveも演奏。

みんな心から楽しんでくれたようでした!