グラストロベリィパイ

グラストロベリィパイ

グラストロベリィパイだ(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっおっ
なんか書くよ!!!!!(*゚ー゚)

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バイト中の出来事でござります。


私は某スーパーにてレジ打ちをしております。
閉店までのバイトですので、レジを閉めたり店の戸締まりをしたりするのが最後のお仕事です。

いち早くレジを閉め、駐車場のチェーンを閉めに行きました。
外に出ると冷たい風が薄いバイト着の私を襲います。
さっさと終わらせてしまおう、と思うのは道理でありまして、滅多に動かない身体に鞭打って走り回りました。
先に閉まっているべきチェーンは開きっぱなし、カートは放置プレイ。
素敵ですね。めんどくさいです。
しかも、ああ、なんということでございましょうか。
車が二台隣り合って停まっておりました。
静かな田舎だからでしょう。
離れたところからでもエンジン音が聞こえてきます。
一台分かしら、これは無断駐車の紙を貼らなくてはなりません。

警告の紙を持って行ってびっくり。
二台ともカーナビの光がついているではありませんか。
しかし何故か一台目には人影がございません。
首を傾げながらも二台目を覗き見ます。
運転席には人影がありませんでしたので、とりあえず警告を貼ってしまおう。
そう思った時でございました。

何故でしょうね。
倒された助手席から二つの影がむくりと起き上がってきたのでございます。
男女の影でございました。
二人とも仰向けで、つまりフロントガラスの方を向いて折り重なっていたのでございます。
思考が一瞬停止致しました。
すると、男の方が窓を開けて、
「あの、出た方がいいですか?」
と言ってくるのでございます。
そりゃお前、もう閉店だから出た方がいいに決まってんじゃねえか。
何言ってんだこの糞野郎。
「えっと、あの……もう閉店ですので……」
とりあえずぺこぺこしながら申し上げました。
私の仕事はチェーンを閉めて、駐車場に車が立ち入らないようにすることです。
持ってきた警告の紙を隣でエンジン音を鳴らしている車のフロントガラスに乗せ、開いたままのチェーンの元に行きました。
「カーセックスか?カーセックスなのですか?ぷぎょおおおお」
空に向かって呟きました。
呟くと言っても、一人でしたから結構大きなお声だったかもしれませんね。
聞こえていたとしても構わないでしょう。
彼らの身体を羞恥で爆発させられるかもしれませんからね。

冷たいチェーンを持って、彼らの様子を見守りました。
女が警告の紙を乗せた車に乗り、さっさと駐車場から出て行きます。
その後を追うように男も二人が寝ていた車で出て行きました。
おそらく向かう先は同じところではないでしょうか。
そんなことを思いながら、最後のチェーンを閉めたのでございます。



きっとこれを晒すことが彼らの望みに違いありません。
しかしながら、一つ疑問がございます。
私バイト中に糞ビッチを見るのは2度目なのでございますが、これはクリスマスの一週間前でありました。
レジを通している最中にその真ん前でちゅっちゅぺろぺろし始めたのですね。
今日はバレンタインのほぼ一週間前です。
車でにゃんにゃんしている様子を目撃致しました。


リア充共はこういったイベントの前になると頭が浮かれるようです。
さっさと底津国に去ぬべきだと思います。
滅するが良い。
ホテルでヤれ。



帰りながらふと思ったのですが、あの時、男にはよ帰れと言った時、
「そんなに見られたいのでしたら見ていて差し上げましょうか?」
と言ったら、どんな反応が返ってきたのでしょうか。
気になります。

もっとも、さっさと家に帰りたいので糞ビッチに付き合ってる時間等無いのですが。
 しばらく更新できずにすみませんでした。
 冬休みは一、二回くらいは更新したかったんだけど、ネットがつなげる環境にいなかったのでできませんでした。これはもっともらしい理由だけど、最近更新できなかった言い訳はこの辺にして。

 長編大好きの話をしようかなって思うな。
 私は短編がどうも好きじゃない。短編集は好きな作家でも敬遠してしまうくらいなんですよね、川西先生に「短編素晴らしいじゃない」と言われて、いや素晴らしいって思うんだけど、と小一時間。自分もよくわからない。だから短編が思うように書けないのかもしれません。

 私は小説を書くとどんどん長くなってしまいます。これはかなりコンプレックスで、先日の日本語表現基礎2の時間に教授が「ながながと書いちゃう人はPCで書かないほうがい。だってすらすら書けちゃうから、手書きだといいかも」みたいなことを言っていたのが、本当に納得できました。それを直感してたのか、前期終りの原稿は全部原稿用紙に書いていたけれど、いろいろ不便だったので挫折、今はPCで書いています。おかげさまで原稿は長くなるばかりです。

 なんでこういう話をしているのかっていうと、或いは明日には半月ほど死に物狂いで書いていた原稿が終わってしまう様子だからなのです。
 私は原稿が完結する瞬間が大嫌いです。酷く悲しくなるんです。

 長い旅は頭の中からはじまります。
 こういうのを見たい、こんなシーンを、これを感じたい、そんな漠然としたイメージが、脳裏をよぎっては静電気みたいにぱちぱちして、一瞬で消えていきます。その中でも根強く残った情景をもとにして道のりを考えていく。もうこの時点で、意識しないでも長編の段取りで旅支度は進められていくのです。ここには自分でも戦慄せざるをえませんけど、まあ仕方のないことなのでしょう。
 長い旅路になることがまざまざと予想されて、一歩を踏み出す前に思いとどまる。「果たしてこれでいいのだろうか」。そんな葛藤を繰り返しながら寝ては起きてを繰り返す。
 何かの拍子で何かが背中を押すので、私は怯えながらやっとのことで歩みを進めていく。
 二十歩、百歩、二百歩と歩いていけば、頭の中でよぎった景色がデジャヴのように道の周りに広がっていく。私は少し怯えながらも幾許か安心して歩んでいきます。だって後ろを振り返ったらまだスタートが見えていますし、すぐに諦めて踵を返すことだってできるんですから。
 千歩、五千歩と歩みを進めていきます。怖くなって振り返ってみれば、多少おぼろげになってしまってもしっかりスタートは見えている、だけどこの辺りでたくさんの分かれ道に遭遇します。私はそれを選んで進まなければなりません。「ここでいいのか?」。「この道を選んだらどうなるのか」。これが酷く苦しい。苦しくて苦しくてたまらない。それでも進んでいけば、自分のみたことのない情景がつぎつぎとあらわれて、とうとう困惑してしまいます。たまに地図を見やって、これでいいんだ、これを選んだんだから、と自分を励ます。
 気付けば半分まで来ています。振り返っても、もうスタート地点は見えない。先を見ても、ゴールなんてさっぱり見当たらない。あるのは漠然と広がった分かれ道だけです。ここが一番苦しくて、何回も座り込んでしまう。何回も何回も投げ出そうと思っても、もう投げ出すことすらできない。逃げられないんです。逃げようと思えば今までみてきた景色のすべての時間がとまってもう二度と動かない。必死に咲いていた道端の花も、紡がれた愛も、枯れることなく、実ることなく、その時間を止められる。そんなのってないよ。私は這いつくばってでも道を進んでいきます。
 ゴールはまだまだ見えない。思いもよらなかった情景、考えたことのない世界に触れながらそれでも歩いて行くと、唐突に、頭の中にぽんと浮き上がる何かがある。それはまだ見えていないはずなのに、これ以外はありえないというような、確固たる情景、揺るぎない終末なのです。私はこれに怯えます。ふと振り返れば、今まで通ってきた長い道のりの中で、世界のすべてが鮮やかに息づいている。先の道のりは無彩、不確定で地図にはなにも書いていなくても、今まで見てきた世界のすべてが私にやさしく囁くのです。「こんな終末だ」。
 だれだって知っている道なら絶対的な安堵感に胸をなでおろすでしょう。私だって駆けながら我が物顔で道なき道に道を作っていきます。広がる情景は全部、思い描いたのと完全に一致しています。私はもう、その情景を鵜呑みにするのではなく、答え合わせを繰り返すだけになっています。
 ものすごい速さで歩いていけば、とうとう目の前にゴール地点が立ち憚りました。もう、あと何歩でそこへ辿り着くことができるのかなんて、すっかりわかってしまいます。
 立ち止まって、私は後ろを振り返る。スタートはとっくに見えないけれど、目を瞑ればまぶたの裏に、すぐにでもそれを思い描くことができる。道のなかった道を、私は今までずっと苦しみながら、もがきながらそれでも諦めないで、必死で開拓して、書きとめていったからです。今私のたどった道は、もう名前のない道なんかではなく、それは私が作った私の道です。私が見てきた世界のすべてが、ゴールした瞬間に時間を紡ぐのをやめてしまうことになるでしょう。止まるのではありません。世界は私がゴールした瞬間、0に回帰していきます。誰かがそこへ足を踏み入れ、私の作った地図を片手に、道へ思い思いの彩りを加えながら進んでいく。歩き終えたら、世界はまた0に回帰して、もう一度だって時を紡がない。静かに誰かを待つのです。
 そこにはもう私はいない。否、私の入る余地なんてどこにもないんです。それが酷く悲しい。それでもゴールするしかない。時間を止めるわけにはいかない、これは長い旅路を歩んだものの使命です。
 彼らはその最後の一歩まで、祈り続けるはずでしょう。「愛していました」。

原稿が完成して残るのは、何物にも代えがたい虚無だけです。
それがどれだけ歪でも、後ろ指を指されるような出来栄えでも、あとからどれだけ非難されても、そんなのはまた別の話です。私は書いた瞬間前の三行がクソに見えて仕方なくなって、今すぐにでもゴミ箱にぶち込みたくなってしまうけど、それでも長編なら嘆きながらも歩んでいける、駄目だ、屑だと思いながら、実際そうだとわかっていても、そうやっても進まずにはいられない。これが私の世界の歩き方なんだから。
 なにより、最後の1行を書くという恐怖を乗り越えることに意味があるのでしょう。私はそう思います。その有志は虚無しか生まないけれど、私たちは世界を信じることができる。
 今は酷い気持でも、ずっとずっと未来の先で、それは私をいろんな意味で笑顔にしてくれるに相違ありません。

だから私は長編が好きなのかもしれません。
愛しています、苦しい道のりが大好きです。
泣きたくなるけど、好きでたまらない。

明日私は、最後の一歩を踏み出せるのかな。
そんなの分かんないけれど、来週の今日はきっと。
こんなこと書いてるのがはずかしくって仕方なくなるんだろうな。


以上!文章力が足りなすぎて、端的に言い表せなかったけど
こんな長いの、読んでくれたひと、ありがとうございました!







噂のマヤ文明的に世界滅亡の日ということで、マヤ文明について妄想ミニレポート的なものを書いてみようかと思うのです。
ソースは、ウィキペ先生だ。
いちいち細かく調べるの大変ですし。
20進法頭に叩き込むので死んだとか口が裂けても言えない←2進法でも詰む人


マヤ文明にはいくつかの暦があったそうです。

260日周期で儀式の周期を測る暦(ツォルキン)
360日(20日×18ヶ月)+5日周期の太陽暦(ハアブ)
上の二つを組み合わせ、13年で一巡する暦(カレンダー・ラウンド)
グレゴリオ暦換算で約5125年周期の長期暦

なるものがあるそうです。
更に特定の日付からの経過日数でカウントするロング・カウントなんていうのもあるそうです。
現代の西暦みたいなものでしょうか。

複雑な暦ですね。
意味が分かりません。
でも私だってグレゴリオ暦がどのようにして設定されているのか知りませんので、どうやって割り出すとかは数学者に任せましょう。
後から数えるのは誰にだって出来ると思うんです。
数学なんて出来ませんから一個ずつ数えますけど。

マヤ文明の世界観としては、その周期が終わりますと新しいサイクルに入り、永遠に循環するというものです。
この世界観はメソアメリカの典型的なものだとか。


勢い余って人を殺したりしちゃう人が出て来てしまっている滅亡説ですが、根拠は何ぞやということです。
これは長期暦が今年の冬至付近で終わっている(らしい)ということに由来します。


暦が終わっているというのは、言ってしまえば明けましておめでとうするってことですよね。
行く年来る年ですよね。
壮大な暦ですけども。
しかもマヤの誰も「世界が終わる」とも、「予言がある」とも言ってないです。
研究結果一つの暦が見えて来てその周期に当てはめた場合、その終わりがたまたま今年の冬至に当たっただけですね。

ただ、それっぽい点が無いわけでもないと私は思います。
マヤ文明は天文学に長けた文明だったそうです。
他のあらゆる暦がそうであるのように、長期暦も天体がベースになっています。
そして月がそうであるように、太陽がそうであるように、天体が地球に影響を与えているという事実があります。
それを考えると、「もしかしたら……?」なんていうことに繋がるとは思うのです。

地球は宇宙の中の一部で、宇宙の中の動きはいずれ地球や、他の場所に思わぬ影響を与えるのかもしれません。
バタフライエフェクトなんてのが宇宙にあるのでしょうか。
そう考えると楽しいですね。


「予言」というのは、おそらくチラム・バラムの予言とくっ付いたものと思われます。
内容が歴史と妙に合致している事から「予言が当たってる!」現象になりました。
マヤ文明やアステカ文明などの滅亡、ペスト流行などが言われているようです。

それっぽいことを書いたら、そりゃいつかは当たるだろう……
これが「予言」の真相な気がします。




さて、この冬至は無事に乗り切れるのでしょうか。
無事におせちをつんつんする事は出来るのでしょうか。


結局いろんなサイトを覗きました。
ありがとうございます。
寒いです。ともえです
最近寒くて死にそうだけど
最高が0度を下回らない限り
「暖かいかも」とか思ってしまう。
この頭やられちまってる。

沖縄は1月でも10度はありますよね
なんなんですかね南国ですか?
でも台風くっそ来ますよね
あれ寒そう死ぬ。
結局山形も沖縄も死ぬ。
よし、結論でましたやった。

ところで雪降っちゃったんで
毎朝最寄り駅まで徒歩なんですけど
怠い。非常に怠い。
もっと家でだらだらしていたい。
自転車乗れないかなってちょっと思ってます。
行ける気がするんだ。まだ。

この間雪が降りました。
山形の冬はまだ過ごしたことがなくて、雪がすんごい降るみたい。

この間ね、雪降る前日、雨が降っていました。
朝歩いているときにね、道に落ちた葉っぱが濡れた地面にこびりついてるの見たとき、ああ、冬なんだ。って思った。
その日の深夜、所用で自転車飛ばしていたら、ぽつりぽつりと雨が降ってきました。

「雨も終わりかあ」

ふとそう思いました。
その翌日が雪の降った日でした。

悲しかったな、まあ最近雨降ったけどもww

雨が好きなんだ。大切な時には絶対雨が降っている。雨が好きだ!

でもしばしのお別れですね。
とってもさびしいけれど、また会いましょう。

ending rain

あなたが凍る最期の時まで
私はずーっと見守っています

またね!

たぶんこの絵せーらのついったーアイコンに影響受けてます
いいなーって思ったのってぼんやり覚えてるもんですよね

グラストロベリィパイ