平安時代のエッセイ集、面白おばさんの清少納言さんの傑作よお!
御存じ「枕草子」
誰でもわかる超口語訳でお送りしておりまする!!
今回はかの「清涼殿の丑寅の隅の…」の3回目で~す。
さて前回、天皇様の前で、
何でもいいから浮かぶ歌を書きなさいと言われて、
清少納言のおばさんが書いた歌…
「年経てば齢は老いぬ然は有れど花をし見れば物思ひも無し」
年月が経ち、私も年取ったが、そうはいっても美しい桜を見れば、何も思うこともないですね。
っていうような意味なんですがね… 何を仕掛けたのやら…
この歌の第四句の「花をし見れば」の部分を「君をし見れば」と書き換えてお渡ししたの。
天皇様が御覧になって、
「そうか、この心映えが知りたかったんだよ」
と、上機嫌でおっしゃって、もう私は思いっきり感動しちゃったのよね~
このやり取りを御覧になっていた中宮様が、
何気なくついでみたいに私が和歌を書き換えたのと、同じようなことがかつてあったわと話されたの。
「これはここにおられる一条天皇様のお父様の円融院様が、まだ天皇でおられた頃ですの。
有る時円融院様の御前で、紙をとじた草紙を示されて、
ここに和歌を一首かきなさい、と殿上人たちに仰せられたのです。
誰もが困ってしまって、御辞退する人が相次いだのです。
筆跡の良しあしは問わないし、書いた歌が今の季節に合わなくてもいいから、とおっしゃるので、
困りながらも、皆が何かを書いたところ、
今の関白、私のお父様がまだお若くして三位の中将でいらしたのですが、
潮の満ついづもの浦の何時も何時も君をば深く思ふはや我が
(潮が満ちたいづもの浦のように、いつもいつもあなたことを私は思っています)
という歌の、第五句の [思うはや我が] はこのままでは恋愛の雰囲気なので、
[頼むはや我が] と変えて、天皇様に対する臣下の情に読み替えたのです。
そのことを円融院様はとても喜ばれたそうですよ。」
と、中宮様がおっしゃったのよ。
こんな恐れ多い先例に例えられた私は、恥ずかしいったらなくて、汗が噴き出そうだったわ。
誰もがよく知ってる和歌の言葉を入れ替えることも、目の前にお出での天皇様を称えることも、
ある程度の人生経験が必要だから、若い人にはなかなかできないかもね~
いつもとても上手に描く人も、しなくてもいい緊張から、皆気後れしちゃって。
かき間違って紙を汚す人もいたほどよ。
さらに興に乗った中宮様は、古今和歌集の冊子をお前に置かれて、
和歌の上の句だけを口にされて、「この下の句はどういう句かしら?」と聞かれる。
夜の弘も気にかかっているので、よく覚えている歌もあるのよ。
でも、いざってなるとよく覚えてなくて、下の句を答えられないなんて、なんてことだろう!
同僚の一人の才女の誉れ高い宰相の君は、さすがに十首ほどは答えられたわ。
でも、それじゃ古今和歌集を覚えているうちには、とてもはいりゃしない。
まして、五首か六首くらいしか言えない人はね~
忘れましたって申し上げて、恥じるべきなんだと思うけど、
「それでも、存じませんなんて、そっけくお答えするなんて、中宮様に申し訳なくて、
とても私の口からは申せません」なんて言って残念がってる、笑っちゃうわ。
「下の句を知っております」って女房が誰もいないと、中宮様はそのまま下の句を読まれる。
その下の句を聞いたとたんに
「あ、そうそう、それですよ、その歌は存じてましたのに。ど忘れするなんて…
私ってどうしてこんなに記憶力が良くないのでしょうか」
なんて言って、嘆いている人もいる。
今回はここまでで…
余りの暑さに私も集中力がどこぞに隠れてしまっております。
頑張ってまた書きますが… いつのことやら。