清少納言のおばさんが書いた「枕草子」
誰でもわかる超口語訳でお送りしております!
今日は第二十二段の続きです。
第二十二段 その5
まあまあ、良く詠めたんじゃない?って思う和歌を、
手紙に書いて送ったのに、返事がないってのは、
全くもって、ガッカリなのよね。
それがラブレターである懸想文だったとしたら、
まあ、相手がある事だかしね、
必ずしもガッカリ的なことじゃないけど。
ただね、そんな場面だって、
打てば響くような返事ができないってのは、
この人ダメじゃんって思っちゃうわ。
それに華やかで、時めいてる家に、
すっかり時代から取り残されちゃった人が、
自分がこれと言ってやることもなく暇だからって、
何のひねりもない「昔が懐かしい」なんていうような歌を、
ただ昔のよしみってだけで送ってよこしたりするのは、
興覚めもいいとこよ。
祭り見物に出かけるのに、
とっておきの扇を持っているから、
それに見事な絵をかいてもらおうって、
絵の心得の有る人に頼んでおいたはずが、
今更かい治しできない当日になって届いてきて、
出来栄えを見たら、こっちの注文と
全く違う絵が描かれていたりした時には、
マジ、気落ちするわああ~
赤ちゃんが産まれたお祝いの産養(うぶやしない)の時とか、
旅に出るお祝いの馬の餞(はなむけ)とかに、
こちらの贈り物を届けるお祝いに出かけて行った者に対して、
お使いをねぎらう布とかの禄を与えない家は、興ざめよ。
端午の節句の薬玉や、邪気除けに桃の木で作った細長い筒に、
五色の糸を通して長くたらし、正月に飾る卯槌なんかの、
ほんのちょっとした飾りものを送る時でも、
それを届ける使者には、もらった側から必ず心付けを与え得るべきよ。
お使いに行った者は、思いがけず心付けを頂いたら、
とてもうれしいはずよ。
これは大切なお使いだから、きっとお届け先で何か頂けるって
期待してきたのに、何の心付けもない時には、ねえ~
使いの者も超ガッカリってものよ。