サケとタバコとメガネな日々

サケとタバコとメガネな日々

「ありあまった時間をブログに使ってみよう」がコンセプトです。

 
Amebaでブログを始めよう!

 約1年ぶりのエントリです。
 コンセプトの「有り余った時間」がすっかりなくなってしまい遠のいていましたが、今日は書きたいことがあってひさびさに起こしてみました。
 ちょうど、雨でそとに出ることもないしね。

 事前に書いておきますが「そんな大それたこと」と思われるかもしれませんが本人にとっては結構大それたことなんです。
 来月、数十年ぶりに生まれ故郷時代の同窓会に出席します。

 最初は遠慮しようかとも思ったんですが、自分の過去を取り戻しにいくことにしました。
 高校までは生まれた場所で過ごしていて、それなりに過ごしてきました。
 大学に行くため、東京にでてきてそこからぐるぐると転がり落ちる人生を歩んできたのが一つの転換点かもしれません。
 「その日暮らし」な生活を送っているところまではまだ「本来の自分」として生きてきたと思います。

 二十数年前のある日、その状況は一変しました。
 ウチの兄貴(実兄)が突然、この世を去りました。
 その瞬間から、「自分を捨てて」兄貴の変わりになることを選択しました。
 実際、自分の親もときどき兄貴の名前でボクを呼んでみたり、兄貴の知り合いからもしょっちゅう連絡があったりと弟であるボクの存在はないものとして接してくる機会も多かったですし。
 もともと、自分は影にいるニンゲンだと思っていたんで自分を捨てることには抵抗なかったんですよね。
 兄貴のことを知っているヒトには「げーぷくんは○○(兄貴の名前)さんにしぐさ似てるね」と言われてきたし。
 意識はしていなかったんですが、普段からそういったしぐさを真似ていたようです。
 確かに、ボクは兄貴の影を追っていつかは追い付くようになろうと思っていたフシがありました。
 ま、死んじゃったおかげでどうやっても追い付かない存在になっちゃいましたが。
 ボクも、それまでふらふらしていた生活から兄貴と同じ職業につくことができて、現在にいたります。
 そのかわり、生きていくのがしんどいビョーキにもなっちゃいましたが。

 1年ほど前のできごとです。
 ひょんなことから田舎の高校時代で同じクラスにいたコと再会する機会がありまして。
 そのときはまだ自分を捨てていたつもりだったんですが、Facebookで高校時代の同級生とつながっていくうちに、「ひょっとして、もう兄貴のかわりはやらなくてもいいのかな?」と思うようになってきて。
 そんなことを考えているうちに、同窓会のお誘いが。
 「もう、兄貴のかわりはつとめなくてもいいのかな。もう、自分に戻っていいのかな」と思いました。
 さんざん悩んだあげく、「数十年分」の自分を取り戻しにいくために出席しよう、と。
 もちろん、昔のままだとは思っていないですが、少しでも昔の空気が味わえればいいや程度の感覚なんですが。

 当然、兄貴のことを捨てるつもりも忘れるつもりもありません。
 でも、兄貴のかわりになる必要はこれ以上ないわけで。
 だから、兄貴が生きていたらこういう生き方をしてるんだろうなぁ、と想像しつつその影を追い続けることにしました。

 その一歩目として、みんなのカオを見に行こうと思います。
 過去をすてた自分がどれだけ取り戻せるかわからないですけども。

 その決心をしたことを宣言したくて今日は書いてみました。
 どうして、それが今日かというと、あと数日で兄貴の命日です。
 平日にブログ書けるだけの余裕もないんで今日書いてみました。

 これを読んでる高校時代のみんな、「そんなごたいそうなもんじゃないよ」と思うかもしれません。
 本人も大げさに書いてしまったかもしれませんが、これが本心です。
 どうかフツーに接してくれるとありがたいです。

 それでは、来月会いましょう。

 

副腎腺腫ってなんぞ???(その4)の続きです。

 このお題に関してはこれが最後のエントリとなります。

 去年、副腎静脈サンプリングをやってきました。
 書き始めると、あれやこれや書きたくなってかなりだらだらしてしまいましたが。

 実のところ、最初のエントリを書き出した前後ですでに結果を聞いておりまして、Twitterでは軽く書いちゃいました。
 そして、いろいろと準備も整ったところで書ききりたいな、と思います。

 12月の某日、検査を受けた病院にて結果の説明を受けにいきました。
 そのまま、手術の手配と事前の採血などなどをやることになっており、いろいろハラくくって行ったわけです。

 待たされること30分。
 お呼び出しです。

 結果は、↓の通り。(紹介元への返信文に病名と所見が記載されています。)

結果と所見

 病名1.「特発性アルドステロン症(両側副腎からの高濃度アルドステロン分泌)」
 病名2.「右副腎非(正)機能性腫瘍」
 病名3.(略)

 わかりやすく言うと、両側の副腎から高濃度のアルドステロンが出ちゃっている、と。
 これで副腎をとる(切る)こと自体が不可能な状多です、と相成りました。
 んで、右の副腎にある22mm大の腫瘍は良性でなんの機能も働いていない「コブ」みたいなもんだって。
 これ以上大きくならなきゃほっといてもいいよって。
 もともと、このおビョーキ、切除できる確率は7割程度なんだそうで。
 残りの3割は、今回みたいに切除できないケースもあるらしく、見事に3割に当てはまりました。

 実のところ、今回の検査で研究用途にいろいろと協力してもらいたいことがあるんですってドクターに言われたのがビミョーにうれしくてですね。
 今まで、まともに世の中の役に立ってこなかったニンゲンがこういうカタチで役に立てる賀茂しれないって思うと、なんか、ね。
 ま、ハラ切るのはありがたくないケド、それ以上に何か役に立つのかもっていう感情のほうが強かったですね。
 だかた、この説明書を読んで同意書にサインして、持って行ったんです。
 手術の手続きの時に渡してしまおうと思ってですね。

特発性アルドステロン研究のしおり

同意書1

 当然、術後に取り出された副腎も検体として提供する旨の同意書もね。

病理検査のしおり

同意書2

 結局、必要なくなっちゃったんですけどね。

 結局のところ、世の中の役に立てませんでした。
 また、別の機会で役に立つ場面があるんでしょうかね。
 (おそらく、一生でしょうが)これからおクスリ生活です。
 あと、定期的な採血も。

 これで、約1年かけた副腎腺腫のあれこれも終わりです。
 なんだか、あっけなかったですが。

 そして、遊びの時間も終わりです。
 これからはまたブーストいっぱい使っておシゴトしなくちゃ、です。

 ブースター、どこまで持つかなあ。
 2016年です。

 去年はまたひとりぼっちになったり、カラダをいじめすぎたことに対していろいろと手当てをしてました。
 あまり、カラダに負担かけないようにする予定だったんですが、結局いつも以上に酷使してましたね。
 3連徹なんて何年ぶりだろ・・・

 さて、遊びの時間ももう少しで終わりです。
 また、このカラダをいじめ抜いて働くかな。

 と思ってたら、これからは手を動かさないで後ろで見てる役目になれ、と。
 とうとう、実働部隊から事務方(管理職)に行け、と言われてしまった。

 まあ、トシとキャリア考えたらもう前にでて何かやるってコトはできんものなぁ。
 人使いがニガテでいままでなんとか許してもらってたけど、もうワガママは言えないしな。

 と、今年は違う意味で苦労し始める1年になりそうです。

 また、気が向いたらブログはボチボチと書きます。

 気が向いたら読み流す程度で。