今日は暑かった。半袖でも少し暑いぐらい。


今日の授業は面白かったな~。難しかったけど。ソシュールの言語相対論。


言葉の世界には実体は存在しない、とか。「イヌ」という言葉を発した瞬間に目の前にある実体としての「犬」は消滅する、とか。


言葉は物についた名前ではなくて、ある概念(つまりこれはこういうものだ、あるいはこういう意味だという実体の無いイメージ)を認識するための記号に過ぎない。つまり他の物と区別できさえすれば、「犬」という生き物が「イヌ」という名前で呼ばれる必然性は無く、「犬」という生き物を「ネコ」と呼んでも何の問題もない。ただし、「犬」を「イヌ」と呼ぶ常識という名のルール(社会的拘束)が存在するので、「イヌ」と呼ばなければ社会では通用しない、とか。ちなみに最初は今でいう「狼」のことを「イヌ」と呼んでいたようです。家畜としての「犬」が生まれ、野性の「狼」と家畜の「犬」とを区別する必要が出てきた為に「狼」を「ヤマイヌ」と呼ぶようになった。そんな感じで呼び名が変化していき最終的に「狼」に「オオカミ」という呼び名が付くのはさらに時間が経ってからのようです。


要するにソシュールの言語相対論の考え方では、言葉はある物を他の物と区別する為に付けられる記号だということみたいです。区別する必要が無ければ言葉は必要ない。例えばフランス語では、犬も狼も野犬も全て「Chien」という一つの単語で表現するそうです。フランス語には狼とか野犬とかいう概念が無いから。イメージできないものに付ける言葉は必要ないから生まれない。だから、「イヌ」と「Chien」と「dog」という言葉は、厳密には100%同じものを指すわけではない。もっと言えば、日本語の「イヌ」という言葉の指す意味も、使う人によって微妙に違うかもしれない、とオイラは理解しました。


今更遅いけど社会学系の授業よりも、もっとこういう人文系の授業を多めに取っとけば良かった。