911の今日
平和な毎日をおくるにつけ
台風や地震すら
遠くのことに思えてしまう
時々突然
自然が干渉してきて
当たり前なんて幻想で
全て無常なんだよっって
こっちの生活にお構いなしに
揺さぶってくることがあるけど
のど元過ぎると
つい人ごとになりがち
前から漠然と死ぬなら
ぴんぴんころり、がいいなと思っていた
最後まで普段の自分を
生きていられるわけだし
ぽっくり逝けるのって
ぽっくり逝けるのって
潔いあり方の延長線のイメージが勝手にあって
そんな生き方に
憧れてるからなのかもしれない
とはいえ
たいして深く考えているわけでもない
まぁそのうち考えよう
そのうち死期でも悟ったらきっとねー
みたいな
久々に学生からの友人と会った
待ち合わせの場所で
いつも通りの彼女に見えた
そのまま予約したお店へ行き
席について少しすると
少しテンションを高めた口調で
友人は話し始めた
3か月ほど前に
ご主人が亡くなった、という。
その日はごく普通に仕事で
彼は休みだった
普通に行ってきます、と出かけて
普通にただいま、と帰ってきたら
亡くなっていたの
こないだの人間ドックは
何の問題もなかったんだけどね
ただ話を聴いてるだけなのに
息は浅く
頭は真っ白になった
仲良し夫婦だっただけに
心のショックはいかほどだったのか
想像もできない
心の整理を待たずに
もろもろの手続きや処理
誰に連絡したらいいのか…
山積している現実的な課題を
仕事の合間に
少しずつ片付けているという
当たり前だけど
残された人々と逝く人が見る景色は全く違う
ぽっくり死ねたらいいなと
ぼんやり思いながら
それってどういうことなのか
両サイドからの景色を
想像したこともない自分がいた
パートナーくんに
自分に何かあったら
全部分かるようにしてあるから
その時は弁護士に相談するように
と言われたとき
なんでそんなこと言うの怖いじゃない



縁起でもないし
くわばらくわばら

その時は
言挙げ嫌いなジャパニーズよろしく
そのまま思考停止してしまった
でも確かに。
もし希望通りぽっくり逝けたとしても
残された人はその突然の喪失を前に
途方にくれてしまう
喪失感は仕方ないにしても
現実的な処理や手続きが
わたしの最後のあり方を叶えていると分かったら
少しは慰めになるかもしれないし
わたしらしく生きて逝ったと分かったら
悲しくとも、晴れやかに
送ってくれるかもしれない
そこで
試しに自分のぽっくりを想定してみた
誰に連絡してほしいかしら
誰に何をうけとってもらいたいかしら
伝えるべき人に伝えるべきことを伝えれてるかしら
あの白装束だけは着たくない(笑)
やばい、アレだけは見られたくない…
などなど
出るわ出るわの問題点
はて。
わたしってどんな人間関係を大切にしてるっけ
何に価値をもってて、何を捨てていいか
…っていらないものばっかりじゃん
今あるもので、これ着て死にたいレベルの服なんて
持ってないかも(涙)
えー。んじゃこの秋冬物、何買おう
あれ、そういう問題?

まあそこから始めてみよう。
今、大切な人に最後の言葉と思ったら、
どんな言葉を誰にかけるだろう
整理整頓、まじで今すぐ‼ すべしやーん
などなど
死を仮定すると全てが
今へ視点を戻させる
よく死ぬことはよく生きること
なんていう言葉は聞くけど
こうしてみると
ちょっとリアル
エンディングノート
なんて他人事だったけど
本当の自分を知るために
毎日を深く愛するために
面白そうなので
ぼちぼち書き始めることにした
調子いいもので
ぽっくり逝ったらと思うと
すぐ書きあげたくなってくる
一度書き上げれたら
アップデートはわりと簡単かもだけど
最初はちょっと時間かかりそうかな
11月に予定してる50才記念の同窓会で
盛り上がる話題かも
