カルドセプトサーガとそのストーリー | フェンリルの胃袋
ちょっと久々に古いカードに触ったらカードゲーム病の発作が。



 カルドセプトサーガにおける108の欠点の内、かなり大きなものであるストーリー部分について。
 なぜあんなに魅力のないストーリーになってしまったのか?
 私は脚本担当の冲方さんが悪いわけではないと思う。冲方さんの他の作品を見ればわかることだが当代随一と称されてもおかしくない実力者だし、なんといってもストームブリングワールドの存在が大きい。あれは実によく出来てて面白かった。あの上下2冊のライトノベルは私の中で不動の地位を築いている。カルドセプトをよく知らない作家がサーガの脚本を書いたのならともかく、冲方丁が書いておかしなことになるはずがない。これは発売前からそう思ってたし、発売されて実際におかしくなっちまったとわかった後でもまだそう思ってる。っていうかサーガのストーリーはストームブリングワールドの後書きに書かれた冲方さんのカルドセプト精神を実によく表してると思う。大河ロマン的ファンタジー青春ボーイ・ミーツ・ガールであり、少年と少女二人のすべてを賭けた物語。サーガのストーリーを要約するならまさにそのとおりだった。
 では、なぜか。なにがいけなかったのか。

 カルドセプトのゲーム部分との親和性がよくないんだと思う。主人公の成長、帝国軍との戦い、ファウスティナの葛藤、カードの守護者、対サフィウス、3度にわたるゼロムとの謁見、未来の選択、そしてバルテアス。そこにサブキャラも絡んで実に大河ドラマ的な壮大なストーリーが見えるのに、それがまったく語られない。ロード時間と、バトル開始前開始後のほんの少しのテキストで垂れ流されるのみ。それじゃあ「ファウスティナファウスティナファウスティナ僕は来た僕は来た僕は来た」が精一杯だわ。
 せめてAIがまともだったら、戦闘中にそのストーリーを展開することも可能なのにAIが馬鹿だから戦闘が面白くない。戦闘中の台詞もおもしろくない。セカンドまでだったら舞台となるマップも含めてキャラクターのプレイングがよく演出されていた。今回は後半の黒ファウスティナが多少尖って個性が出ていたものの、他のキャラは殆ど木偶。カルドセプトのストーリーパート中最大の時間を占める戦闘がダメでは物語に入り込むことなんてできない。

 大体カードゲームでストーリーなんて、と思われるかもしれない。ゲームとしてゲーム性がよければあとは知的スポーツの分野で、物語なんかニノツギだろ、と。
 そうではない。断じてそれは違う。
 今となっては歴史に沈んだ古い某カードゲームもストーリーはあった。当初直接の物語などはごくわずかなフレーバーテキストに表されるだけだったが、カードセットが発売されるにつけて世界はふくらみ、カードとカードの関係性で最後の方ではかなり壮大な物語が見えていた。小説やなんかで補完されている部分も大きかったのは事実だが。
 よりカルドセプトに近いゲームとしてアヴァロンの鍵を思い出す。これはいいゲームだった。私がカードゲームに望む要素がふんだんに盛り込まれてた。(参を開発してるって噂はどうなったんだろう?)
 アヴァロンではカルドセプトよりもテキスト量は少ない。アーケードゲームだから、というのもある。でもそれで「物語がヘボい」なんて文句はなかった。楽しかった。
 将棋やチェス囲碁なんかの部類になってくるとかなり簡素化されてはいるがもう殆どストーリーの塊といっても過言ではない。
 全部想像力の世界であり、脳内おつだ。
 しかし、カルドセプトサーガではすべてが悪い方向へ想像力を邪魔する。

 昔はバグだらけだったサーガもいまや過去の話、対人ゲームとしては良ゲーなのは間違いない。トレードトレスパスがバランス云々の話は今はしない。
 オンラインで人と遊ぶだけならストーリー部分なんて関係ないが、それではあまりにももったいなさ過ぎる。ゲームってのは古今東西須らく想像力によるものであり、ストーリーはそれを一番享受できる部分なんだ。
 だから、早いとこサーガの小説をだしてくださいよ。
 ちょうど漫画カルドも終わりそうだし、こうなったら漫画でもいい。原作ウブちんで作画かねこなんていう夢のような漫画でもいい。このままサーガのシナリオが黒歴史として忘れられていくのは忍びないにも程がある。