最近のおかず | フェンリルの胃袋
子供のころはこれが普通だと思ってたが、どうも両親の蔵書量が並ではない。
別に月に何十冊と買い込んでくるわけではないが、私が生まれてくる前から読書家なんだからその量はちょっとしたものになっている。種類も多種にわたり、見ていて飽きることが無い。
私は中学(高校)とラノベを主食に生きてきたようなもんだが、最近はラノベといえば西尾維新ぐらいしか読んでない。紙に印刷してあったらラノベだろうが漫画だろうが新聞だろうが小説だろうが何でもござれの悪食に育ったから、別にラノベに飽きたわけではなく、単に好きなラノベ書きが時代とともにフェードアウトしていっただけであろう。今でも本屋に行けば必ずラノベの棚を眺めてからでないと帰れない。眺めるだけなんだけどな。
最近、家庭の事情で夜にパソコンが使えないときはその両親の蔵書から1冊拝借して読むことにしている。芥川だの太宰だのも当然のように陳列されていたが、さほど興味が湧かないのでもっぱら時代小説を読破中である。とはいえこちらも池波正太郎や藤沢周平なんかはちょっと量が多すぎて手が出ないので、そうではない物から読んでいる。
時代小説と言えば一般的に時代設定が江戸時代であるものを指すと思って話を進めるが、これらにはなぜか食事の場面が必ずといっていいほど書かれている。まあ大抵において江戸時代の人々の生活を書いているわけだから食事は切り離せない要素なのかもしれないが、それだけではない何かを食事の場面から感じるのだ。ただ江戸時代の人々の生活が書きたいならば農家が主役の時代小説とかあってもいいはずだ。だけど私が読んだ中には農家が主役の時代小説なんてものは無く、士工商の華やかで質素な江戸の暮らしぶりばかりが書かれていた。江戸時代においても農家ってのは地味で平和な職業だったらしい。
翻って近代小説(って言うのか?現代小説?)では食事はどう扱われているか。食事をネタにしたものならともかくとして、ただ坦々と食事風景を書いてあるものはそんなに無いのではないだろうか。メニューも江戸時代に比べれば莫大に増え、家庭の食卓を普通に書いたところでそれが風俗を現していることには成らないのかもしれない。