ある事件が原因で、15年間、孤島に建つハイテク研究所で完全に隔離された生活をしている天才工学博士、真賀田四季。
そんなある日、研究所をつかさどっているシステムが原因不明のエラーを起こし、15年間開けられることのなかった博士の部屋の扉が開き、ウェディングドレスを身にまとい、両手両足を切断された死体が荷物運搬ワゴンに乗って現れた。
たまたま研究所を訪れていたN大助教授、犀川創平と学生、西之園萌絵がこの奇怪な事件の謎に挑む。

森博嗣の「S(犀川)&M(萌絵)」シリーズはこれが最初だと言われているが、実際、先に作品として完成していたのは、「冷たい密室と博士たち」の方だったという。
それに・・・主人公の苗字から頭文字を取るのなら、「M」は西之園の「N」になるのではないか?
なぜ、女の方は萌絵のMから取ったのだろう?
ナゾはここから始まっている?

西之園萌絵はただの女子大学生ではなく、名門・西之園家のご令嬢で何と諏訪野という執事が彼女の世話をしている。叔父は県警本部長、伯母は愛知県知事夫人、地方にも一族がおり、それぞれ重職についている。
まだ19歳の大学生でありながら、師である犀川創平の給料の何倍もの税金を納めている。
彼女は16歳のときに両親を飛行機事故で亡くしており、そのとき居合わせたのが、当時、萌絵の父親の生徒であった犀川創平だ。
彼は西之園萌絵のことを9歳のときから知っていた。

西之園萌絵は名門・西之園家の政治力を使って、天才工学博士真賀田四季との面会に成功した。なぜか、真賀田四季博士は彼女に関心を持ち、そして、彼女の師である犀川助教授にも興味を持ったようだ。

「先生…、現実とは何でしょう?」
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」
「普段はそんなものは存在しない」
「でも、現実と夢とは明らかに違うでしょう?」
「他人の干渉を受ける、あるいは他人と共有している、という意味で、現実はやや自己から独立したものとして自覚されているね」
「でも、他人に干渉を受けない、あるいは、他人と共有しない現実も、一部分だが努力すれば構築することができるだろう?たとえば、未来には、必ず個人の現実はそういった方向へ向かうはずだ。何故なら、みんながそれを望んでいる。だから・・・、現実は限りなく夢に近づくだろう」
「そう、ほとんどの人は、何故だか知らないけど、他人の干渉を受けたがっている。でも、それは突き詰めれば、自分の満足のためなんだ。他人から誉められないと満足できない人って多いだろう?でもね・・・、そういった他人の干渉だって、作り出すことができる。つまり、自分にとっては都合の良い干渉とでも言うのかな・・・、都合の良い他人だけを仮想的に作り出してしまう。子供たちが夢中になっているゲームがそうじゃないか・・・、自分と戦って負けてくれる都合の良い他人が必要なんだ。でも、都合の良い、ということは単純だということで、単純なものほど、簡単にプログラムできるんだよ」
「そうやって、個人を満足させる他人をコンピュータが作り出して、その代わり、人はどんどん本当の他人とコミュニケーションを取らなくなる・・・、ということですか?」
「そうだね・・・、そう考えて間違いないだろう。情報化社会の次に来るのは、情報の独立、つまり分散社会だと思うよ」

それぞれ個々が満足できる現実をコンピュータが作り出して、それだけに囲まれていたら戦争すら起きなくなるかもしれない。争いや戦争は不自由や不満がもとで起こるのだろうから。

人間の精神さえもデジタル化できるのかもしれない。もし、そうならば、人間は肉体は朽ちても、精神だけは電脳空間の中で好きなだけ生き続けられるのかもしれない。
そうなると、死さえどうってことなくなるのではないか?
たかが、肉体だ。

「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?犀川先生・・・。自分の意志で生まれてくる命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志でなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」

人間は死が怖いのではなく、死に至る生、死までのプロセスが怖いのだと思う。
何故死を怖がる?死を体験することなどできないのに。
殺されるということは傍が思うほど悲劇的なことではないのかもしれない。
うまくすれば、さほど苦痛を感じることなく自分でも気づかないうちに、一線を他人の手で超えさせてくれるのだから。生きたいと思っている人にはお気の毒なことだが。

真賀田四季博士は私のような凡人には理解できないが、彼女はロボットでも化け物でもない。人間だ。が、「人間を超えた人間」なのだろう。

彼女は・・・面と向かって話すことができない彼とどんな会話をしたのだろう?

「ニキビのようなもの・・・。病気なのです。生きていることは、それ自体が、病気なのです。病気が治ったときに、生命も消えるのです。そう、たとえばね、先生。眠りたいって思うでしょう?眠ることの心地よさって不思議です。何故、私たちの意識は、意識を失うことを望むのでしょう?意識がなくなることが、正常だからではないですか?眠っているのを起こされるのって不快ではありませんか?覚醒は本能的に不快なものです。誕生だって同じこと・・・。生まれてくる赤ちゃんだって、だからみんな泣いているのですね。生まれたくなかったって・・・」

そう、少なくとも私は生まれたくなかった。
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