欄干に凭れて、月明かりに照らされる川面を見下ろしていた。
ゆったりと穏やかに流れる、大きな川。
橋の高さと、時折走りすぎる車の音で、せせらぎは消されていた。
「…マジで凹む…」
勝手に溜息が漏れる。
両腕を川の上にダランと垂らし、顎を欄干に乗せた。
「あの月、俺を見て笑ってるんだろうなー」
煌々とする月光を見上げて…
正しい呼び方なんて知らないから、見たまま“三日月の、やや太った形”だと思った。
「バカーーー!!」
背後から、突然の罵声。
(えっ、俺!?)
驚いて、身体の向きを変える。振り向けば、小奇麗な身なりの女性が叫んでいた。
――俺ではなく、別の男に向かって。
車道を挟んだ向かい側で、男女が揉めている。
男女が揉めるといえば、痴話喧嘩で確定だろう。
こういう時こそ、自分が不幸せに思える時こそ、“他人の不幸は蜜の味”だ。
(おー。何を揉めてるんだ?)
少しばかり見学してやろうと、野次馬根性で視線を向ける。
――が、喧嘩はあっけなく終わったのか、男が背中を向けて速足で去っていく。
(ちぇ…。つまんねーの)
不謹慎だが、他人事だし、本音とはそんなもの。
一気に興味も失せ、再び欄干に凭れようと、身体を戻しかけ…
視線の端に、一人残された女性の泣く姿が映った。
(…っていうか、遠目に、ブサイクな泣き顔だなぁ…)
元の顔が判らない、というか、想像出来ない。
これが美人なら駆け寄って行くところだけど、泣き顔は残念ながら、好みのタイプではない。
…うん。
本当に、酷い泣き顔だ。
女性の泣き顔が、“別の意味で魅力的”で、ついつい見てしまう。
程々にしておけばいいのに、凝視してしまったのが運の尽き。
向け続けた視線に、気付かれてしまった。
(マズイ!!)
慌てて顔を逸らし、何事も無かったかのように、場を後にしようと歩き出す。
不自然さ極まりないと、自分でも感じた。
「――ちょっと、待ちなさいよ!!」
車の往来が切れたのを確認すると、あろうことか、女性が道路を渡り向かってきた!
(げっ…! あの女、こっちに来やがった!! …嘘だろっ!?)
鬼気迫る形相で追われると、やはり無条件で逃げ出すもの。
速足から駈けだしたが、彼女の足は速かった。
「待ちなさいって!!」
悲しさを怒りに変えたのか、物凄いエネルギーを感じる。
っていうか、他人に当らなくても…。
強く肩を掴まれ、勢いでグルンと回転した。
さっきまでのブサイクな泣き顔は何処へやら、怖い顔へと変身。
「アンタ、さっきからジロジロ何見てんのよ! 人の不幸を笑っ――…」
怒りながら、表情を崩して、またブサイクな顔に戻った。
『うわー…』と思わない事もなかったが、本当に悲しそうな顔を前にすると、やはり笑えない。
彼女は、何も聞いていないのに、自分から事の顛末を話し始めた。
手の甲で涙を拭いながら、誰かに聞いて欲しいとばかりに、機関銃のように話し続ける。
そんな様子に、どうしてか、ハンカチを貸してあげたくなった。
「ほら」
メイクなんて、とっくに流れてしまって、見れた顔ではない。
ハンカチにメイクが付くだろうと思ったが、それでも差し出した。
「使えって」
「……あっ…ありがとう」
一瞬躊躇ったが、二度三度と差し出したハンカチを、ようやく受け取る。
涙を押さえるように拭った彼女は、ハンカチに視線を落として、考える素振りをした。
「…? あ、汚れてた?」
まじまじと、渡したハンカチを見ていた彼女は、黙って首を振る。
そして、泣いてボロボロの顔を上げた。
「…ユキヤくん?」
呟いた彼女は、探るように見上げてくる。
「――え!? なんで…?」
「この、裏側に畳んだハンカチに、覚えがあって…」
(何だ? どうして、俺を知ってるんだ…!?)
記憶を総動員させる。
…が、最近見た顔ではないはず。
(同じ大学か? いやでも、覚えないし……)
友達の彼女にも、こんな子はいなかったと思うし。
(この女は、誰だ――? 俺の事を知っているのなら、俺も知っているはずだ!)
「子供の頃、洗った手を拭く時は表側で、汗とかを拭く時は裏側を使っていた子がいたんだよ」
ポツリと、彼女が話し出した。
その表情は、落ち着いたように見える。
「ポケットに入れる時にも、“汚れたら嫌だから”って、裏側に畳んでしまうの。変な癖だなーって、覚えてたんだ。そんな癖、ユキヤくん以外誰もいなかったからさ」
彼女が、昔を懐かしむように笑った。
あれ? この表情、何処かで…。
――あっ!!
「マキちゃん?」
記憶が辿り着いた瞬間、名前が口をついて出た。
マキは、花が咲いたような笑顔になって、ユキヤに大きく頷いて見せる。
さっきまでの涙は、何処へやら――だ。
「わあ! 本当に、ユキヤくんなの!? こっちには、いつ戻ってきたの?」
懐かしそうに目を輝かす彼女に、少しずつ子供の頃の記憶を手繰る。
近所に住む、同じクラスの女の子。
女子と人形遊びをするのを嫌がり、男子に混ざって遊んでばかりいた。
いつも怪我をして、服も汚し放題。
そういえば、泣き顔がブサイクだったっけ…。
対して俺は、身体が弱くて、友達が元気よく遊び回る姿を、羨ましく見ているだけ。
あの頃、ほんのりと、マキに想いを寄せていた。
本人でさえも気づかないくらいの、淡い想い。
中学で離れ離れになり、高校生になる頃に引っ越した。
ここに戻ってきたのは、つい数年前だ。
「――聞いてる? ちょっと、ユキヤくん」
「えっ? あ、ゴメン」
つい、思い出に浸ってしまった。
しかし、こうしてきちんと見ると、面影は残っている。
「さっきさ、ユキヤくんも、つまらなそうにしてたよね。橋に凭れてさ」
「え?」
「こっちをジロジロ見る前、そんな感じだったじゃん」
「そんな事ねえよ。たまたまそう見えて――…」
「ね。久しぶりの再会なんだし、飲みに行こうよ。私のヤケ酒につきあって!」
「再会がヤケ酒って…。ムードも何もないな」
「まあ、いいからいいから。つまんない同士、飲んで元気出そう!」
「だから、俺は別に…」
すっかり、マキのペースだ。
周囲を巻き込む、こういう所も子供の頃と変わっていない。
まあ――
とりあえずは、俺もフラれたって事を内緒にして、飲みに付き合おうか。
「そっちの通りに、よく行く居酒屋があるんだ。焼き鳥が、超美味い」
「ホント!? じゃあ、そこに行こう!」
楽しげな声が、夜の橋に響いた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。(*・ω・)*-ω-)) ペコリ
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