潜水艦 【序初Ⅰ】  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』  

 
 

最初の近代潜水艦

USS Holland(1900年就役)

1900年になって、近代潜水艦の父と呼ばれた造船技師、ジョン・フィリップ・ホランドによって設計された潜水艦ホーランド号(水中排水量74t)がアメリカ海軍に就役した。ホーランド号は主機のガソリンエンジンと電動機の直結方式であり、内燃機関によって推進する近代潜水艦の元祖であった。

第一次世界大戦期

ホーランド号の就役以降、世界各国で潜水艦が注目されるようになり、列強海軍は挙って潜水艦の建造に着手した。初期の潜水艦はガソリンエンジンが主流であったが、まもなくディーゼルエンジンに代替された。当時の潜水艦は、排水量100-1,000t、水上速力10kt、最大潜航深度100m程度であった。

潜水艦の本格的活躍は第一次世界大戦からとなる。逸早く潜水艦を有効利用したのはドイツ帝国であった。Uボートと呼ばれたドイツ潜水艦は、開戦直後の1914年9月、独海軍潜水艦が英巡洋艦4隻を撃沈したのを始め、次々と英国軍艦・貨客船を撃沈し、通商破壊に活躍した。

英国の商船隊は大打撃を受け、英国経済を瀕死に追い込んだ。しかし1915年7月、ルシタニア号撃沈により米国人多数が巻き添えとなる事件が発生した。これにより、当時の中立国であった米国の参戦を恐れたドイツ帝国は、1915年9月以降は英国船舶への攻撃に消極的になり、その戦果は減少した。

その後、ドイツ帝国は戦局挽回のため1917年に無制限潜水艦戦を再開し、独海軍潜水艦隊は一時的に大戦果を上げた。しかし、英国が護送船団を採用すると、戦果は激減した。さらには英商船への無差別攻撃は米国の参戦を招き、第一次世界大戦敗北の一因となった。

第一次世界大戦では、ドイツ帝国海軍は381隻の潜水艦を就役させ、その内の178隻を喪失したが、終戦までに約5,300隻・1,300万トンに及ぶ艦船を撃沈する戦果を上げ、大西洋の狼・Uボートは世界にその名を轟かせたのであった。

戦間期 - 第二次世界大戦期

伊四百型潜水艦

伊十五型潜水艦

U995 (潜水艦)

Uボートの活躍により、潜水艦の有効性が立証され、各国は本格的な潜水艦隊運用に乗り出した。

第二次世界大戦では、各国の潜水艦が通商破壊だけでなく戦艦や空母を含む戦闘艦撃沈の成果を上げて威力を発揮した。

なお、この頃までは水中攻撃に使える精度が高いホーミング魚雷が本格的に導入されていないため、水中を3次元的に移動する潜水艦同士の戦闘は困難であった。潜水艦が潜水艦を撃沈した例としては、1945年2月に、ノルウェーベルゲン沖で英潜水艦「ヴェンチャラー」が、潜望鏡深度を航行中の独潜水艦U-864ソナーで探知、数度シュノーケル潜望鏡で目視したのちソナーで追撃して雷撃し、撃沈した例[9]、1943年11月に第三次遣独潜水艦作戦の帰途についていた伊三十四ペナン島沖で洋上航行中に英潜水艦「トーラス」に撃沈された例がある。また、双方による攻撃が行われた例としては、 1943年6月にステフェン海峡英語版)で行われた米潜水艦「スキャンプ」と伊号百六十八との間で行われた戦闘がある。しかしいずれも撃沈された潜水艦は洋上またはそれに近い深度での航行中であり、一般にイメージされる潜水艦同士の戦闘とは異なる。

また、映画やシミュレーションゲーム等では潜航中の潜水艦同士の戦闘がよく描かれるが、第二次世界大戦以降においても潜水艦を保有する国同士の本格的な戦闘例が少ないため、現在に至るまで発生していないとされる。

イギリスの旗 イギリス
自国の商船部隊を壊滅寸前にまで追い込まれたイギリスは、ヴェルサイユ条約でドイツに対し潜水艦保有を禁止させ、 また新型の対潜兵器の開発などに注力しようとしたが、財政難による軍事費削減の影響で、戦間期において対潜作戦の技術は停滞していた。
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
ヴェルサイユ条約により潜水艦保有を禁じられたドイツであったが、1935年の再軍備宣言英独海軍協定英語版ドイツ語版)締結以後は建造を再開する。第二次世界大戦開始時、ドイツ海軍は再建途中であった。そのため、完成に時間が掛かる水上戦闘艦艇の建造を後回しにして潜水艦量産に注力し、Uボート部隊は前大戦同様に対英通商破壊に投入された。第二次世界大戦でのUボートの主力は、UボートVII型UボートIX型である。
当初は英国貨客船を多数撃沈したが、後に連合国軍が新型対潜兵器や護衛艦・対潜哨戒機を多数投入するようになると、逆にUボート側が多数撃沈されるようになった。
これに対し、独側もUボートの性能向上を図り、シュノーケルヴァルター機関などの新技術の開発や、奇跡のUボートと呼ばれたUボートXXI型を大戦末期に投入したが、戦況挽回には至らなかった。
大日本帝国の旗 大日本帝国
大日本帝国海軍は潜水艦を艦隊決戦における敵艦隊攻撃用に投入することを意図し、海大型潜水艦と巡洋潜水艦の二系列を中心に建造した。巡洋潜水艦は水上機を搭載したのが特徴で、航続力と索敵力に優れた偵察型であった。対して海大型は、水上速力と雷撃力に優れた攻撃型であった。伊四百型潜水艦は第二次世界大戦で就役した潜水艦で最大。
しかし太平洋戦争では、開戦前に想定されていた艦隊決戦は起こらず、目立った活躍はなかった。インド洋での通商破壊や、南方への輸送任務などに投入されたが、米海軍艦艇の優秀な対潜兵器の前に多くが撃沈されていった。

ルーマニア海軍潜水艦「マルスィヌル

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アメリカ海軍もドイツ同様、潜水艦を対日通商破壊に投入した。米潜水艦は高性能なレーダーソナーなどにより、電子兵装の劣る日本艦船を次々と撃沈していった。米潜水艦の活躍により日本商船隊は壊滅させられ、対日戦勝利に大きく貢献した。

第二次世界大戦後

1955年に完成した米海軍の「ノーチラス」(水上排水量3,180t)は、原子炉蒸気タービンを採用した、史上初の原子力潜水艦であった。本艦は水中速力20ノット、潜航可能時間は3ヶ月間前後であった。原子力主機登場により、潜水艦の水中速力と水中航続力は大きく増大した。それにより、潜水艦の戦闘能力は飛躍的な向上を遂げた。

原子力潜水艦が大型水上艦艇を撃沈した例は、1982年のフォークランド紛争時に、英海軍の「コンカラー」がアルゼンチン海軍の巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」を雷撃にて撃沈した事例が最初である。「コンカラー」は「ヘネラル・ベルグラーノ」を24時間以上追跡したが、全く探知されなかった。この戦いにより、それまで水上艦に対し圧倒的に不利と思われていた原潜の有効性が証明された。逆にアルゼンチンの潜水艦たった一隻を最後まで撃沈出来なかったため、イギリス海軍は作戦の縮小を余儀なくされた。

種類