マルクス主義批判【初】虐殺悪魔共産主義コミンテルン 出典:フリー百科事典 Wikipedia

 

 

 

共産主義体制への批判

マルクスの『資本論』はあくまでも資本主義社会の分析を行っているに過ぎず、共産主義社会の分析を行っているわけではない。共産主義が資本主義よりも優れているという考察や証明は行われていない。

ファシズム、全体主義としての批判

全体主義」および「ファシズム」を参照

マルクスの理論に基づいてレーニンスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制は、共産主義を科学だと自称し、他のイデオロギーを非科学的、反革命的だと弾圧した。レーニンは秘密警察チェーカーを作り、反革命と認定された者を逮捕処刑した。スターリン大粛清では反革命分子として異端とされた党員が数十万から700万が処刑されたといわれる。そのため、労働者階級の解放どころか、結局は人民の自由を抑圧するポスト全体主義体制でしかなかったという批判がある。階級廃絶を主張していたが、党官僚という偽善的な新階級を生み出してしまい、富は公平どころか特権階級に集中したと批判された。自由主義経済学者のミーゼスハイエクは社会主義、共産主義、ナチズムファシズムは同根的な集産主義(collectivism)であり、計画経済や社会主義・共産主義が『独裁制の全体主義』に陥るのは必然的なことだったとの指摘をした[25]ハンナ・アーレントも『全体主義の起源』(1951年)や『革命について』(1963年)のなかで、ナチズムソ連共産主義大粛清の起源をフランス革命に見いだして批判した。吉本隆明も「マチウ書試論」(1954年)のなかで、「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。」と述べ、階級性に関係のない人間の自由意志の存在を指摘している[26]クロード・ルフォールもソ連の体制は、ナチスや東欧諸国とならんで全体主義であると批判した[27]

ミシェル・フーコーはマルクス主義によって政治的な想像力が貧困化し、枯渇したと批判し、その理由として、マルクス主義が権力の一様態にほかならないからであるとした[28]

ズビグネフ・ブレジンスキーは「共産主義とファシズム、ナチズムは歴史的に関連があり,政治的にも類似している。いずれも,工業化時代の深刻な問題―何百万という根無し草のような労働者の出現,初期資産主義がもたらす不公平,そこから生じた階級対立など―への答えとして生まれたものである。」「社会的憎しみを社会正義という理念で包み,社会を救済する手段として国家の組織された暴力を正当化するにいたるのである。ヒトラーのナチス・ドイツとスターリンのソビエト・ロシアはのちに大規模な戦争を展開する」が、これは「共通の信念を持つ者同士の兄弟殺しの戦争であった」「スターリンがナチであったと同様,ヒトラーはレーニン主義者であったといっても過言ではない」とのべている[29]

ソ連から西ドイツに亡命したミハイル・S.ヴォスレンスキーは、ソ連の「現存社会主義社会には、生産手段の『国有』ないし『社会有』以外に法的な所有形態は存在しないから、生産手段の所有を通じての支配・被支配の関係は生まれない」という主張はフィクションにすぎず、実際のソ連では共産党員1700万人中4パーセントの70万人が指導者層のノーメンクラトゥーラを形成し、それが生産手段を超独占的に管理することによって、労働者階級を支配し搾取し、一党独裁による官僚制国家であると西側社会に報告した[30]

計画経済批判

詳細は「計画経済」を参照

マックス・ヴェーバーは近代産業社会において官僚制化の過程が浸透すれば、新たな隷従をうむと診断しており、これはマルクスとも共通していたとも指摘されているが、生産手段の国有化は労働者の状態を悪化させるし、資本主義には欠陥もあるが社会主義的な国家統制型の経済秩序よりもましであって、計画経済よりも交換経済の方がよいと、マルクス主義を批判した[2]。1918年講演「社会主義」では、生産手段の社会化によって階級闘争が終止符を打つことは決してない、と批判した[31]

レーニンは著書「国家と革命」の中で、共産社会が実現した暁には国家経済の運営は極めて単純になり、郵便事業をモデルとした読み書きと四則演算ができる程度の人材であれば誰でもその運営に携われるとしたが、実際には計画経済を立案・実施するためには極めて専門的な知識と技能をもったエリート集団が必要となり、庶民とはかけ離れた特権的官僚組織を生み出した。また治安維持についても「泣いている子がいれば近所の人間が黙っていないように」社会が自発的に秩序を保つと予言したが、実際にソ連国家が生み出したのは秘密警察強制収容所(ラーゲリ)での強制労働・組織的拷問などの歴史上まれに見る権力による暴力組織であった。ソ連の経済政策の結果、ウクライナ人1450万人が犠牲となった人工的な大飢饉ホロドモールが1932年-33年に発生した。また中華人民共和国でも1958年から大躍進政策が実施され、人工的な大飢饉によって推計5000万人が犠牲になった。アマルティア・センはこうした人工的な飢饉は政策によって回避できるとして批判した[32]

また、需給に関する全ての情報が効率的に集められない以上、効果的な計画経済は不可能であるとの指摘(経済計算論争)もある。現実に、道路建設、住宅建設、軍事産業、宇宙事業などの大規模な重厚長大産業では大きな効果を発揮したが、スピードと多様性が要求される情報産業やサービス産業には対応できず[33]、民需品の品質は低いものが多かった。1960年代後半には宇宙事業でもアメリカの後塵を拝した。ソビエト共産党自身もその不合理性を認め、政治・経済の自由化を推し進め、1991年に解散した。[24]

前衛主義批判

前衛党」および「エリート主義」を参照

マルクスは「哲学者は世界をさまざまに解釈してきた。しかし重要なのは世界を変革することだ」と主張し、理論革命家が革命を先導すべきだと主張した。これをレーニンは前衛主義として受け継ぎ、前衛党組織をつくった。しかし、もしマルクスの言うように革命が「歴史の必然」ならば、知識人インテリ(ロシア語インテリゲンツィア)が信念を持って革命を遂行する必要などないはずである。

笠井潔は、インテリゲンツィアを知的無用者だと述べ、彼らが革命の理想にとりつかれたのは、本来は無用者であるのもかかわらず、自分をひとかどの人間だと思い込んだエリート意識であり、過剰な自己観念であり、にもかかわらず自分を評価しない社会に対するルサンチマン劣等感であると指摘している。無目的で鬱屈としたインテリにとって、マルクスの革命理論は絶好の受け皿となった。これらのコンプレックスと自意識の強い田舎インテリの姿は、ドストエフスキーの文学などに多種多様に描写されている。前衛主義とは大衆を愚衆と考えた傲慢なエリート主義であり、排他的で硬直化した独善性である。それはレーニンの「マルクス主義は真理であるがゆえに全能である」という言葉に象徴されている。人民を解放しようという献身的な利他性どころか、世界を意のままに動かそうとする肥大化したエゴであり、ソ連が収容所群島と化したり、連合赤軍が観念的なテロリズムに走るのは、その独善性と傲慢さゆえに必然であると指摘している。[34]

吉本隆明は、知識人階級は非現実的で抽象的な理想に走るのではなく、<大衆の原像>を自分の理論の中に組み込むことが、世界を正しく認識する上で重要だと主張している。

宗教的予言としての批判

科学哲学者のカール・ポパーは、マルクス主義は科学を自称しているが反証可能性がないため科学ではない、と指摘している[35]。共産主義社会の到来を予言したが、時期を明確にしていないので、永遠に「いつか共産主義社会が到来する」と言い続けていたらその予言は外れることはない。これは歴史上言い続けられてきた「いつか最後の審判が訪れる」「千年王国は近づいた」といった宗教的予言と同種の構造であり、科学として正誤を確認しようがないのである。

矢内原忠雄は「マルクス主義と基督教」(一粒社 1932)においてキリスト教とマルクス主義は類似しているが、マルクス主義はキリスト教に匹敵するところではないと批判している[36]。 

小泉信三[9]小室直樹もマルクス主義を宗教として批判している[37]小泉信三によれば、社会主義の、まず原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な千年王国待望論で、宗教的信仰であったと批判され、また、階級が消滅した後の世界についてマルクス主義は具体的なことをほとんど何も語っていないが、闘争のない一切が平和と幸福に満ちた停止した社会とすれば、それは皮肉にもマルクスが否定したユートピアのように聞こえる。未開社会やサルのような動物の社会でも、順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない[9]小泉信三は、社会主義は科学ではなく、労働者の資本家に対する体系化された嫉妬の情であると指摘している[9]

マルクス主義の理論体系は倫理的指令によって決定づけられ、世界の隅々まで解明しつくすカトリック神学体系に匹敵するものだったともいわれ、神によって強者の富者が否定され,弱者の貧者が救済され、恩寵として両者が逆転するという「マリアの賛歌」や、ヨハネの默示録などの思想を継承した「破局的な恐慌」をマルクスが述べるなど、マルクス主義はキリスト教的革命論の継承者とも指摘されている[38]

1948年、上智大学教授だったヨゼフ・ロゲンドルフはマルクス主義について「その見せかけの厳密な論理性の背後には、経済史の恐しい展開につれて一歩一歩近づいてくる最後の審判の黙示的な幻影の火が燃えている。実際、今世紀に於ける全体主義哲学はすべて、キリスト教会を追放した結果近代社会に出来た大穴を埋めるべく、反教会の旗印も鮮かに乗りこんできた異教なのである。宗教のみがそそり立てることのできる忠誠と献身と雄々しさの感情は悉く彼等の手中に帰した。彼等もまた、キリスト教と同じように殉教者も、祭式も行列も、そしてドストエフスキーがすでに予言しているように、大審問官の宗教裁判まで、取りそろえている」と書いた[39][36]

猪木正道は『共産主義の系譜』(1949年)において「マルクスは教祖とし、資本論を聖典とする一大教会の形態をとり、法王、枢機官、僧正、司祭といった大小の聖職者を生み出し、僧侶の差別さえあらわれる。マルクス主義が負のキリスト教(Negative Christianity)と呼ばれるのはこのためである」とのべている[40][36]

1966年に清水幾太郎はマルクス主義などの19世紀の「大思想の分解を正面から認め,それに堪えて行かなければならない」と指摘した[41]。当時のアカデミズムはマルクス主義に制圧された時代であったため、清水は転向者とみなされた[38]

哲学者の梅本克己1967年『唯物史観と現代』(岩波新書)において、マルクスは資本主義の崩壊を予測したが、20世紀に資本主義は発展する一方、革命によって成立した共産主義が前近代的独裁国家となっていることを背景に、厳密な意味でマルクスの予測は外れたので、崩壊しているのはマルクス主義の方だと指摘し、こうした梅本の指摘は「神の死」に匹敵する「マルクスの死」とされた[38]

ズビグネフ・ブレジンスキーは『大いなる失敗――20世紀における共産主義の誕生と終焉』において「共産主義が20世紀の歴史にこれほど大きな位置を占めてきたのは教義の極度の単純化が時代に合っていたからだといえよう。あらゆる悪の根源が私有財産制度にあるとした共産主義は、財産を共有することで真に公正な社会が、したがって人間性の完成が達成できると仮定した。」「インテリにとって贖罪のための革命を推進する政治活動や合理的な計画によって公正な社会を実現しようとする国家統制は魅力的であった」とし、マルクス主義を宗教思想としみなし、「共産主義は理性の力を信じ,完全な社会を建設しようとした。高いモラルによって動かされる社会を作るために,人間へのもっとも大きな愛と,抑圧への怒りを結集したのである。それによって最高の頭脳,最良の理想主義的精神を持った人々の心をとらえた。にもかかわらず,共産主義は,今世紀はもちろん他の世紀にも類を見ないほどの害悪を生んだ」と批判した[29][38]

フランソワ・フュレは『幻想の過去―20世紀の全体主義』において、共産主義は、フランス革命の記憶を利用して、進歩の先導者を自称し、世界を革命と反革命に分けたことで、共産主義への批判は困難になり、普遍主義は独善の論理に転化したと指摘した[42]山下範久も同書書評において「世界の改造や社会の改革を叫ぶ普遍主義者が、「味方でなければ敵」というレトリックを振り回す状況が、決して過去ではない」と指摘した[42]

戦争の消滅に関する予言

マルクスは歴史上の全ての闘争は階級闘争であると主張する。レーニンは共産主義が普及したら階級闘争はなくなり、世界から戦争もなくなると主張したが、戦争原因は経済的合理性には還元できない。もしそうなら、世界大戦のように戦勝国も敗戦国も大被害を受けるほど戦争が拡大することはなかったはずである。首都が瓦礫になるまで徹底抗戦するなどということは、どう考えても不合理である。また、もし国民が餓死寸前であり、貧困にあえいでいたら、近代的な軍備を整えて戦争を起こすことすら不可能なはずである。逆説的な言い方だが、戦争は経済的な余裕があるからこそ実行することができるのである。

フランシス・フクヤマ戦争は精神的な気概、優越願望の衝突によって起こると主張する。例えば、動物の世界では同種同士では住み分けを行い、争いは回避されるようなシステムになっている。ナワバリ争いで闘うこともあるが、負けた方は致命傷を受ける前にすごすごと退散し、勝った方はナワバリを維持できたことに満足し、わざわざ追い討ちをかけたりはしない。同種同士で殺し合いまでエスカレートすることはめったになく、戦争は気概を持った人間に特有の行為である。侵略的な国王が自国で自給自足できるだけの生産力があるのにもかかわらず、巨費を投じて他国を武力侵略するのは、彼が自分の力を誇示したいという名誉欲、野心に駆られたからだと考えたほうが合理的である。また、動物に自己防衛という概念はあるが、報復や復讐と言う概念はない。生存効率や経済的合理性を無視して、仇討ちや復讐を実行するのは人間だけである[24]

ジョルジュ・バタイユは、人間には経済的合理性では説明できない破壊衝動が存在することを指摘し、それを蕩尽、あるいは過剰なる太陽エネルギーと呼んでいる。

哲学