ハル・ノート
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ハル・ノート(Hull note)は、太平洋戦争開戦直前の日米交渉において、1941年(昭和16年)11月26日(日本時間11月27日[1][注釈 1])にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。正式には合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)と称する[2]。
冒頭に「厳秘 一時的且拘束力ナシ」[3](Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment)という但し書きがあり[注釈 2]、アメリカ政府の正式な提案ではなく、ハルの「覚書」という側面がある[7]。日本で「ハル・ノート」という通称が用いられるようになった時期は明確ではないが、戦後の極東国際軍事裁判前後だと考えられる[8]。アメリカでは1941年11月26日アメリカ提案[9]、あるいは"Ten Points"とも呼ばれている[10]。
野村吉三郎駐米大使(1941年2月14日)
来栖三郎特命大使
目次
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- 1提示までの経緯
- 211月26日日米会談におけるハル・ノート提示
- 3開戦へ
- 4解釈と評価
- 5脚注
- 6参考文献
- 7関連項目
- 8外部リンク
提示までの経緯