アメリカ合衆国の映画 Ⅰ【初序丈】目次 歴史  

 

1970年代

1970年代には再びアメリカ映画に大きな変化があった。スティーヴン・スピルバーグジョージ・ルーカスフランシス・フォード・コッポラらの登場である。彼らは映画学校で学び、1960年代ヨーロッパで生まれた技術を身につけた新しいタイプの監督だった。大きな興行成績を上げるうえに批評家たちからも高く支持された。なお、文芸派コメディが日本やヨーロッパで高い評価を得ているウディ・アレンが注目されたのも1970年代に入ってからである。また、この頃より『ロッキー』等「アメリカン・ニューシネマ」に代ってサクセスストーリーを描く映画が増えた。

又、巨額を投じたパニック映画の製作も流行した年代である。

1980年代

1980年代に入り、アメリカや日本西ドイツなどの先進国を中心に爆発的に普及したビデオというメディアは、スタジオにとって新たな収益源となり、ハリウッドビジネスにも大きな影響を与えた。

1989年ソニーが『スパイダーマン』や『チャーリーズ・エンジェル』シリーズを持つコロンビア映画を、翌年にパナソニックが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズなどを持つユニバーサル・ピクチャーズを買収するなど、新たな収益源である映像ソフト(ビデオ)権利の入手を目的の1つにした日本企業による大手スタジオの買収が相次いだ。

1990年代

コンピュータグラフィックスCG)技術の発展により、従来の技術的・費用的限界からの解放が進んだ。また、社会派監督のスパイク・リーの出現や、クエンティン・タランティーノポール・トーマス・アンダーソンのようなビデオ世代の映画監督が出現したことも特筆すべき事である。

2000年代

コンピュータグラフィックス(CG)技術の更なる発展により『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』、『PLANET OF THE APES/猿の惑星』、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『トランスフォーマー』など大作が幾つも作られた。

しかし、近年では出演者に対する出演料や製作費の高騰などコストの問題や、日本映画などの外国映画や過去のヒット作の続編・リメイク作品の増加などが顕著となっている。

また、デジタルメディアインターネットの普及に伴い、中華人民共和国タイ王国などの、著作権関連の法律の取り締まりが比較的緩い開発途上国におけるブートレグ(海賊版)の横行という新たな問題にも直面している。

2010年代

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著作権の保護期間

詳細は「著作権の保護期間」を参照

著作権の保護期間は、他の国では公開後70年となる場合が多いが、米国の場合は少々複雑である。

以下の場合に米国での著作権が消滅し、パブリックドメインとなる。ただし、著作権保護制度や保護期間は国ごとに異なり、米国外では依然として著作権を有する場合がある。米国ではパブリックドメインであるが、日本では著作権の保護があるとして訴えた著名な例として、

ローマの休日」が挙げられる(最終的に日本でもパブリックドメインであることが確認された。ローマの休日#著作権問題も参照)。

上記以外は保護期間が公開後95年となる。

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