(前説)
「大日本人」「しんぼる」に続く、松本人志監督の3作目「さや侍」をレビューします。
レンタル開始からかなり経つけど、なかなか手が伸びなかった今作。なぜなら…前2作がつまらなかったから。
ちょっと長くなるかもなので、トイレを済ませて飲み物とポテチを用意し、電話は留守電設定にしてから読み始めてね。
(簡単にストーリー紹介)
脱藩し、罪人として捕らえられた鞘しか持たぬ「さや侍」野見勘十郎。
ただし切腹までの30日間に1日1芸を行い、感情を忘れた若君を笑わせる事ができれば放免となる。
野見の娘や牢番をも巻き込み、毎日ネタを考え披露するが…ってな感じ。
(感想)
笑えなかった。もう単純につまんない。笑いのプロが笑わせる事を題材にして、なぜこれほどまでに笑えないのか。やっぱりこれは、表現の場を間違えてるのかな。
まず、脚本の核となる「笑わせるネタ」がすべて古典で、それはいいんだけど、無茶な設定を当てはめたいがために「時代劇」を選び、「時代劇」だから古典的なコテコテのネタでいいや…という安直さ、あざとさが見えてしまっていること。
古くはチャップリンから、近年だと北野武のコント映画や三谷幸喜作品まで、映画の笑い、もしくは「笑いの映画」には、時代背景や悲しみや怒りがその裏にあり、だからこそ笑える、だからこそ映画の尺が必要なんだと思うんだよね。
日本人がハリウッドのパロディー喜劇を見て笑えないのと一緒で、ただの短尺コントの繋ぎ合わせでは感情移入できないからね。
この作品には背景としての野見の「悲しみ」が表れていない。
なぜ鞘しか持たぬのか?なぜぼろぼろになりながらも30日の行をこなすのか?という部分を最後まで描いていないから、見ている側が野見を応援できないんだよね。
表現の場として、松本人志がどうして3作も映画で勝負するのか…もし「笑いの表現は映画でもできる」と思ったのならばそれは大きな間違いで、「映画でなければ表現できない笑い」という信念のようなものが無ければ、今後撮ったとしてもまた失敗するだろうな。
良い部分があれば当然書くんだけど、本当に無かったんだ。まだ見てなくて見ようと思ってた人、ごめんなさい。
(ネタバレ、そして毒)
※ここからはオチに触れるし、致死量に値する毒が盛られています。気を付けてー!
映画はやはりラストのオチです。これで作品の価値の半分が決まると言っても過言ではありません!
ラスト…上様がくれた最後のチャンスを使わず、野見は切腹をします。そして、切腹に使った小刀を空だった自分の鞘に収め、最後の最後に野見は侍として死を迎えるのです。うん、かっこいい…ってオチなんだけど、ここまでのメーンストーリー「若君を笑わせる」くだりが笑えなかったので、ギャップが薄いというか、中途半端すぎて見ているこっちが恥ずかしくなっちゃった。さっきも言ったけど、「笑い」と「悲しみ」の落差が低い分、二枚目オチが生きてこないんだよね。
そしてその後、伏線としてちょこちょこ出ていた托鉢僧が、残された娘に父からの手紙を読むラストシーン。涙を誘おうというシーンだが、ストーリーに絡みが無かった僧侶が手紙読んでもまったく感情移入できない!君はいったい誰やねん?って感じ。
しかも読んでる内容を、途中から徐々に歌にして伝えるというクソ演出。(感動シーンにしたかったんだろうけど、ここだけ笑えた!)
松本人志でなければとても企画を通るはずのない脚本…まさに裸の王様映画です。
次回作があるとしても、もう俺は絶対に見ない。中学生の頃からまっちゃんのファンだっただけに、ショックなのです。あんなにも笑いを大事にする人が、こんなにも映画を軽んじるとは。
彼も老いたのか…「映画」ではなく「汚点」を作っている事に、早く気付いて欲しいです。
