先日1日に2名のミスチルファンに会う機会があった。

ディープにミスチルを愛している方々が楽しそうに

語るミスチル愛に触発されてとにかく聞いてみる決心をした。

 

私がそれまで抱いていたミスチルの印象は

【歌詞が入ってこない】だ。楽曲を聞いても何言ってんだか分かんない。

 

という事で、しっかりと歌詞を見ながら約3時間半40曲を聞きまくるというミッションに挑んだ。

 

結果、私の語彙力不足もあって、とにかく気持ち悪い!(いい意味で)

という表現になってしまい、

ミスチルファンの方々にこの私が感じた疼く気持ち悪い魅力を伝えきれずに

もどかしく。

 

で、ミスチルファンの方にそのディープなところのおすすめ曲を教えて頂き

再度、どんな表現で伝えたら伝わるだろう。。と、咀嚼してみた。

 

言わば商業音楽としてこれほどダントツで人間の気持ち悪い部分

とにかく他責に逃げたくなったり自意識過剰だったり

愛について理解が出来なかったりという部分を丁寧に歌詞に落とし込んで

成り立っている事が不思議に思ったのだけど、

 

ミスチルのベースはとにかく自意識過剰なところなのだと思う。

そして、誰の中にもある自意識過剰な部分を無意識に肯定できるように歌詞のストーリーが出来ていて

だからいつまでもそのフックがファンを離さないのだろうと思う。

 

それは例えばスピッツの世界観のベースが駄目な自分設定で

誰の中にでもある駄目な自分設定という魅惑な逃げ場所を全肯定する事で

ファンを離さない構造に似ていて。

 

スピッツの歌詞の世界が余白だらけの例えるならば山崎ナオコーラであり、

ミスチルの歌詞の世界観はしっかりと心情を描写するよしもとばななのようで。

両者ともに人間が持つ気持ち悪さ、未熟さを描き、それがものすごく魅力的で。

だけれど山崎ナオコーラを読むようによしもとばななを読むのはちょっと難しく

逆もそうで。

 

だから、ミスチルを聞くようにスピッツを聞くとしんどいし

スピッツを聞くようにミスチルを聞くとウザい。

 

ちゃんとそのへんをスイッチして聞くと面白い。

 

で、ミスチルの説明過多なくらいの気持ち悪さはむしろ岡村靖幸の気持ち悪さに匹敵するように思う。

 

ミスチルは圧倒的に気持ち悪い。桜井氏のビジュアルも歌い方も何より歌詞の世界が

そして、自意識過剰っぷりが岡村靖幸といい勝負なくらいの気持ち悪さ。

 

 

 

と、ちょっと検索してみると、桜井氏は岡村靖幸氏を天才として憧れているという情報が入って来た。

 

なるほど!!!!!

 

岡村靖幸パート2になりたい桜井氏!!!!!

深く深く納得したのです。

 

童貞モテない設定の岡村靖幸氏

自意識過剰設定の桜井和寿氏

 

もうこれ以上はいらないくらいに納得しました。

 

結論ミスチルはダントツに気持ち悪い!!!

TOP OF TOP!!!

人間の不甲斐なく未熟で自意識過剰で気持ち悪い部分を

全部肯定し、アンチ俗世間であり叫ぶ。

 

ただね、いつまでもココに留まるのはちょっと危険。

俗世間の苦しさをいつまでも敵視していると見えてこない世界があるからだ。

 

私達のベースはあくまでも三次元体験にあります。

だからこそ今、そしてこれからの世界の輝きを享受出来る。

 

もう一度俗世間を俯瞰して楽しむ事を今しないのは実に勿体ない。

だって、もう二度と体験出来ない事が詰まっているのだから。

 

だから私の中でミスチルは血肉では無くデザートにしておこうと思います。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。