期待外れだった『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』 | アトラス道求道者の日常

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(なるべくネタバレ控えめで書きますが、一切内容を知らずに映画を見たい方には読まないことをオススメします。)

 

素晴らしかった『魔法使いの旅』の続編がこんな退屈な映画になるとは予想もしなかった。

 

僕はハリー・ポッターの原作小説の日本語訳と映画、前作『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』は全て観ており、J・K・ローリングの魔法ワールドが大好きだ。丹念に練られた舞台設定やキャラクターの魅力には惹き込まれる。しかし今作は5作続くシリーズの2作目であることを意識しすぎてしまっているように思う。

 

『黒い魔法使いの誕生』は今後のシリーズの繋ぎとして作られたとしか言いようがない映画である。1つの映画として面白いかという点でいえば全くもって面白くない。

 

まず主人公ニュートの魅力が完全に殺されてしまっている。前作は魔法生物を保護する心優しい変人の魔法生物学者として動くニュートが闇の魔法使いグリンデルバルドの計画に巻き込まれるストーリーだった。1作目ということもあったのだろうが、ニュートと魔法生物達の交流が多く描写されており彼のキャラクター性がはっきりしていた。

しかし今作ではニュートは恋人の誤解を解くことをメインの目的として動く。ダンブルドアからクリーデンスの保護を頼まれてもいるが、少なくとも前作のようなひたすら魔法生物のことだけを考えて動くニュートでは無くなってしまっている。

そして魔法生物好きの変人という個性を消されたニュートには活躍の機会すらほとんど与えられないのだ。

 

何をメインに描きたいのが見えないのも良くない。今作ではニュートとジェイコブ、ティナ、クイニーのストーリーがほとんどバラバラに進行する。さらにグリンデルバルド、クリーデンスとナギニの物語までバラバラに描かれる。全てが合流するのはラストシーンのみ。そこまではストーリーがゴチャゴチャに進みどこがメインパートなのかはっきりしない。観終わった後の感想は「散らかった映画だな」。

せめて一本本筋を決めてそこにサイドストーリーをちょっと挟むようなスタイルにできなかったものだろうか。本流がない細かく枝分かれした小川のようで盛り上がりに欠け、非常に退屈だった。

 

外伝シリーズ2作目としての特性、これが強すぎるのはシリーズ物の避けられない運命なのだろうか。

まずハリー・ポッターシリーズの要素。ハリポタシリーズを知らない知人は分からないシーンが多かったと言っていた。ある程度は何の説明もなくても推測できるところもあるのだろうが、まるで当然のように過去要素を突っ込んでいるせいで物語の散らかりっぷりが増している。唐突に出てきた白髪の老人が事件の解決に大きく寄与するのはいかがなものかとは知人の意見である。ボガート、血の契約については説明はほとんどなかったもののなんとなく推測できたという。

ファンタビ1からの続編とはいえ、前作を見てない人のためにもう少し説明を加えることはできなかったのだろうか?ニュートのトランクやニフラーは知ってる前提の描かれ方をしている。

何よりも辟易したのは今後の作品のための大量の布石だ。端的にいって本作だけで解決しない要素が多すぎる。クリーデンスの出自には謎が残ったまま。これが解決しないというのにこの映画の3分の1くらいは出自の謎を追うことに割かれている!しかもそれらしい答えが出るのは最後の最後、今までの展開と全く関係ないところからだ。ユスフと予言のくだりは必要だったか?彼がいなくてもリタとクリーデンスだけで十分だっただろう。ユスフは今後のシリーズで活躍させるために作ったのだろうか。ダンブルドアは全然活躍しなかった。これをそれとなく解決したのはなぜかニフラーだがこの点に関しても説明はない。ナギニは本当に必要だったのか。5作目くらいにリドルを出すのかもしれない。だが今後の作品にどれくらい関わらせるつもりにしても、今作での存在意義はほとんどない。

 

他にも最初のシーンが暗すぎて見づらいとか、イギリスとフランスの風景の違いがほとんどないとか、この映画の評価を下げる要素は多い。

 

だがとにかく今作はグリンデルバルド陣営を揃えるストーリーのためだけにキャラクターと脚本が作られているように感じた。各キャラクターの動きを示すことと今後の作品のための伏線を張ることに集中しすぎて一本の映画としての本筋を見失い、話がわき道に逸れすぎて集中できないのだ。

 

次回作は2020年公開予定。それまでは原作小説なり映画なりを観て我慢するとしよう。