貴田庄「志賀直哉、映画に行く-エジソンから小津安二郎まで見た男」を読みました。
その中に 1948年(昭和二十三年)五月号の「オール読物」に載っていた 志賀と高峰秀子の対談の抜粋がありまして
ひさしぶりに「高峰秀子」を感じました。
内容がいかにもデコちゃんらしい。
引用させてもらいます。
高峰
先生のお書きになったもので、あたしに出来るようなものはないでしょうか。
志賀
そうね。あんまり考えたこともないけどね。
高峰
あたし、男だったら「小僧の神様」の小僧をやりたいと思って。。。。ずいぶん前からあの小僧やったらって思ってました。
小津さんなんかだったら、ああいう感じは。。。
志賀
そうね、あの人はいいね。
高峰
「小僧の神様」はやりたいな。でも先生はやっぱり映画にすることはお嫌いなんですね。
志賀
何しろ崩されちゃうのが敵わないね。
高峰
「小僧の神様」なら崩さないで出来ると思いますけど。
志賀
ひまがあれば書いてもいいんだ。別にね。
高峰
小僧がリヤカーを曳いて、うしろからついてくでしょ、あそこがどうしても目に浮かぶの。(以下省略)
「どうしても目に浮かぶの」だって。。うまいなー
どんな偉い人、有名な人、にも臆することなく、積極的に話しかけて、
デコちゃんの虜にしてゆく若き高峰秀子が目に見えるようです。
筆者の貴田が書くように「高峰秀子は原節子とは異なり、きわめて外交的である。積極的にチャンスを活かし、志賀直哉と近しくなっていった」のでしょう。
筆者の貴田は書く。
このような発言を耳にして、志賀は高峰に、さらによい印象を持ったと推測できる。
この提案は、彼女がそうとうに志賀の本を読み込んでいたから口にできた発言である。
と同時に、高峰の映画人としての炯眼に脱帽する。
なぜなら、小津自身が若い頃、「小僧の神様」のような映画を撮りたいと述べているからである。
この対談後、志賀は編集者に高峰に会った印象を聞かれこう答えている。
人間は初心(うぶ)なんじゃないかな。
僕のところに来るっていうんでね、気をつけて、地味な着物を着たりなんぞして来たんだそうな。
爪を赤く染めたのだけは縮尻(しくじ)ったって言ってたそうだよ。
これに対する 貴田の文章がいい。
これは初心(うぶ)とは違う。高峰秀子らしい計算された行動である。
そのことを話すのが、さらに高峰秀子らしい。
私も同感です。
高峰秀子はそんな初心(うぶ)なお嬢さんじゃないと思う。志賀直哉はわかってないと思っちゃう。
高峰秀子はあらゆる著名人とガンガン仲良くなり、
彼らから吸い取るように多くを学んでいったのだと思う。
この本を読むと、志賀はすっかり高峰に惚れ込んだことがわかります。
そこまで惚れたなら、生きてるうちに高峰を題材にした小説でも書いてくれたら面白かったのにな、と思います。
しかし
小説に書くには
高峰のようにわかりやすくモーションかけてくる女優より、
原節子のような女性のほうがよいのかもしれませんね。
志賀
原節子との対談の時、そう言ったら、軽蔑されちゃった(笑)
(中略)
原節子はバーグマンが好きだと言ってた。
それもこっちは同感だけどね。
原節子との対談、というのは
五年も前の対談です。
そんな昔のこと、こんなにネチネチ言うなんて、
相当 志賀のなかで原が印象に残ったのではないか。
志賀は以下の高峰作品を見たという。
馬
愛よ星と共に
或る夜の殿様
宗像姉妹
渡り鳥いつ帰る
流れる
あらくれ
風前の灯
喜びも悲しみも幾歳月
張込み
女が階段を上がる時
志賀直哉が死んだのは1971年(昭和46年)であります。


