仕事においても、生き方においても、対人関係においても、自分にとってはこれか正しいという答えを持つことだ。
それが自分の人生を生きるということだ。

当然、あなたが選んだ正しい答えは、他人が選んだ答えとは異なる。
批判する者もいれば、攻撃してくる者もいるだろう。
しかしそれはあなたには関係ない。
他人は適当な思いつきや、自分の都合で身勝手な文句を言ってくるものだ。そしてそれに従ったとして、失敗してもその責任など他人は取りはしない。
そんな他人の言うことにまともに耳を傾ける必要はない。まともに取り合う必要はない。
意見や立場、心情は尊重するが、その面倒をあなたが見てやる義理も責任もない。

常にあなたが考え、選んだ正しさがあなたの基準なのだ。

責任を引き受けるのは常に、どんな時でもあなた自身なのだ。
だからこそ、他人の正しさよりもあなたが自分で考え、選んだ正しさを優先するのである。
これは当然のことだ。
他人に流されることは主体性の放棄であり、それは人生の放棄であり、自ら不幸になる行為だ。

あなたが考え選択した正しさが一番優先されるが、他人を無視して無理矢理押し通すということではない。
あなたの選んだ正しさを他人に押し付けたり、理解させようとする必要はない。そんなことは不可能だ。
ことさら自分の正しさを主張する必要もない。そんな事をしても損をするだけだ。

他人と共生するにはある程度の妥協も必要だが、それは厳密に線を引いて行うべきだ。本来なら、自分の選んだ正しさが棄損されることは1ミリもあって欲しくない。
それを妥協するのだから、最小限に抑え、本来の目的を見失わないように注意すべきである。
他人の立場や意見も尊重した上で、それでもあなたの選んだ正しさが、あなたにとって一番価値があり、正しいのだ。

妥協することもあなたの選んだ正しさに含まれる。
自分が選択している。だからその責任も自分が引き受けるのは当然だ。だから妥協してはいけない場面では妥協しない。どうでもいいこと、影響が軽微なものなら妥協する判断が得にもなる。しかし、大きくて重要な目的に関わることに妥協するのは、自分にとって大きな損失になるのだ。だから妥協しないのが当然の判断になる。

こうやって自分なりに考えて選んだ正しさを基準にして生きると、とても清々しく、主体的になり、生きている実感も感じられるだろう。

自分の意見を持たず他人に流される人間は、主体性を失い、自分がやりたいこともできず、他人に振り回され、物理的にも損をして生きることになる。
そんな生き方をお望みか?

どちらが正しいかは明々白々だ。
その正しさを決めるのもあなたなのだ。