2014年5月25日土曜日、アランフォーダム自筆記載アーカイブス。

愛情に満たされていない日々が長年続いて来た。自分自身の心情内に置いて、癒しや慰めに相当する趣旨を、音楽演奏やアニメ・映画作品等を観賞する事で、心の隙間を間接的に埋め合わせて来た。第三者から己の心の盲点を、厳しく指摘されたとしても、幾ら空元気を出しながら開き直った所で、何一つ成せる総べも無く。只無駄な時間を弁解しながらその場を凌ぐに過ぎない。妻や彼女の居ない寂しさを、間接的に紛らわせる為に、風俗店通いに興じる勇気・度胸すら無く。家に帰って音楽鑑賞している時間のみが、唯一労いのいたわりの心を感じさせる。自分が高齢者世代入りした際に、最終的な晩年に孤独死を迎える可能性が極めて濃厚であり、幾ら強情を張って無理矢理に養子・養女を迎え入れたとしても、財産狙いが目的なのは何処の誰が見ても一目瞭然である。自分と直接的血縁があろうが、無かろうが、養子縁組に興じる行動が概して肯定的であると正直な所思えないのが本音である。高齢者世代入りした頃、たとえ自力を出して頑張って来たとしても、自分自身でやり遂げない趣旨が数多くあり。若い世代の人達の知恵・力を借りる事で、成せる事ができる要素が数多く存在している。高齢者のみが単独で実生活を営んでいた場合、他の人が忍び寄って来て、お金を騙して取ったり、強盗・盗難の被害に遭遇する可能性が極めて高い。単独高齢者世帯を近所ぐるみで連携して、情報伝達して守り支え合う態勢作りが、重点的課題となりつつある。自分の住んでいる家屋は、セキュリティの面で決して堅実とは言えない。押し売りや悪徳セールスマンが、自分の家の玄関に押し掛けて来た際、売り言葉に買い言葉如くの駆け引きの攻防がある。セールスマンが玄関を開けた際に、自分はセールスマンの用件を一応聞くのだが、大半は断る主義である。たとえ上手い話を持ちかけられたとしても、断固として断る。自分の車庫のガレージが壊れていたとしても、流しで訪販している押し売りセールスマンに、車庫のシャッター取り替えを依頼する気には到底ならない。訳の解らない社名を名乗った、不動産屋がセールスが来る。「不動産物件の売買や、空いた土地に不動産賃貸物件を建てて、賃貸オーナー収入でリッチな生活をしませんか?!」とPRするのだが。銀行から融資を受けて迄も、賃貸物件を建設したとしても、不動産収入の大半が借金と固定資産税で焦げ付き、純収入源はごく僅かに留まっている例が大半である。セールスマンの中で、客が買う気が全く無いと悟った場合、僅かな望みを託そうとせず、さっさと諦めて別な客を探すやり方が本望であろう。健康食品をセールスしている様子なのだが。話の内容趣旨を聞いていると、買った客が別な客を紹介する事で、本部から手堅いリペイドが支給される。友人の友人を介して、紹介者と販売数を見積もって、紹介する度に紹介料金が進呈されると言うものだ。典型的なマルチ商法・ねずみ講なのだが。一人の人が友人同士を介して募る事で、最終的にねずみが餌を喰い潰すように、ねずみ講を仕掛けた企業が潰れる。マルチ商法は法的に禁止されてはいるのだが。表が健康食品販売促進を促してはいるのだが、裏の世界ではねずみ講商法で、襤褸儲けしている事実があり、大変狡賢く思えたのだが。日本国内でねずみ講ビジネスが全く衰えない様子なのだが。他人の褌を借りて相撲を取って、勝ちたいと悲願している人達の数が、案外多いのが根本的理由である。ねずみ講が合法的に認められなくて当然であり、有りと在らゆる手段を駆使しても、マルチ商法撲滅への道のりは長く続く。以前自動車ディーラーの営業マンが、流しで自分の家へ訪問したのだが。自分が概して新車購入に興味を示さなかった事を知る事で、新車販売斡旋を諦める。自動車販売ディーラーの営業マンが、何故自分が長距離走行した、古いポンコツ車を重宝がって乗っているのか?到底理解に苦しんでいる様子である。大昔に製造された国産車は、パーツ部品や消耗品も規格が古く、燃費が全く良く無い。珍しいデザインの車だったとしても、表面的意表を衝くだけの話であり。一度乗ると決してオーナーになりたくは無いと言う心境に陥る。物の物流経緯を窺った際、大昔の自動車は物質的に今現在の時代と適応する事が難しい。ガソリンの販売価格が高騰している為に、燃費の悪い自動車を、長年のスパンで継続維持し続ける事は大変な労力と根気・意地が必要となる。自分が新規で新車購入しない人生選択は、単なる雞知であるだけが根本的要因では無く、物の寿命を考えた場合、消耗部品が入手できる間は、大切に使用して乗り続けて行きたいと言う使命が湧く。大昔の中古車が落ち目である時代背景なのだが。今後自動車を使用する上で、必然的な重要箇所を厳しく見極める時代が到達しつつある。